【キングダム】鄴攻め後の論功行賞まとめ!信の評価は低い?驚きの将軍昇格の真実 | 漫画コミック考察ブログ

PR

スポンサーリンク

【キングダム】鄴攻め後の論功行賞まとめ!信の評価は低い?驚きの将軍昇格の真実

キングダム 李信 功績の証
スポンサーリンク
この記事を読むとわかること
  • 信は初陣で百人将に出世した
  • 山陽の戦いで信は千人将に昇格
  • 信の家は昔のボロ小屋だった

大激戦となった鄴攻略戦。

そしてお楽しみの論功行賞

天下の大将軍を目指し走り続けてきた信。

いよいよ「その日」がきたのでしょうか!!?

 

スポンサーリンク

 

【キングダム】そもそも論功行賞とは?

数々の激戦が繰り広げられているキングダムですが、戦いの後に待っているのが皆のお楽しみである論功行賞!

読者としては、信の出世は楽しみの一つではないでしょうか。

そもそも「論功行賞」とはどういう意味なのかご存知でしょうか?

漢字とストーリーから、表彰式で表彰されるみたいな感じかなぁと思いますよね。

ざくっとそんな感じではありますが、正しく説明しますと「論功」とはその人がどのような功績を上げたか、またはその功績の大小はどの程度か、それに見合った褒美は何かを話し合って決める事です。

「行賞」とは読んで字の如し、賞を与える事を意味します。

「功を論じ賞を行う」事を「論功行賞」と言います

 

スポンサーリンク
"
"

【キングダム】昇級と褒美を決める基準とは?

では、論功行賞の基準とは何なのでしょう?

これまでの論功行賞を振り返ってみましょう。

論功行賞自体は描かれなかったですが、信は初陣の甘蛇平原の戦いの後に一気に百人将にまで出世しています

この時の信の功績は、黄離弦を討ち取り麻鬼を討ち取っていますね。

壊滅的打撃を受けた第四軍隊を実質率いて、その後の麃公の援軍につなげましたね!

とても初陣とは思えない程の功績により信は百人将に出世しました

この時の戦いで、尾平や尾到も兵卒から伍長に出世していますが、元々伍長だった澤さんは、この二人と同じ動きをしていましたが伍長のままでした。

この時の他の兵卒の功績は、いっても伍長までだったようですね。

やはり首級を上げるというのが、一番大きな功績となるようですね。

 

スポンサーリンク

【キングダム】これまでの論功行賞の結果は?

初めてキングダムで論功行賞が描かれたのは、山陽の戦いの後でした。

廉頗率いる魏軍を破り、中華統一の要所である山陽を秦が手に入れた戦いです。

この時の第一功は総大将の蒙驁でした。

蒙武の功績は、総大将として秦を勝利に導いた事でしょうか。

第二功は桓騎でした。

桓騎の功績は、敵の将軍である玄峰を討ち取り、魏軍総大将の白亀西を討ち取った事です。

そして第三功は信でした。

信の功績は敵の将軍である輪虎を討ち取った事です。

この時の功績で信は千人将に出世したのです。

次の論功行賞は合従軍後でした。

この時の第一功は蒙武でした。

蒙武は楚の汗明を討ち取り、退却する合従軍を背から追い、更なる打撃を与えました。

次に第二功ではなく、蒙武を除いた秦の6人の将軍に国の特別大功が与えられました

次も第三功ではなく、特別準功が3つありました。

一つは命を投げ出して、李牧軍と戦った蕞の住民に。

二つ目は蕞攻防戦にて秦を救った山の民に。

最後の三つ目は信でした!

趙の将軍万極を討ち取り、麃公と共に南道から侵攻している李牧軍を追い時間を稼ぎ、蕞では激戦区となった南壁を守り抜き、最後は龐煖と一騎打ちとなり、討ち取る事は出来ませんでしたが、秦国の武威を示したのです。

この時の功績で信は一気に三千人将に出世したのでした。

 

スポンサーリンク

【キングダム】期待が高まる鄴攻略後の論功行賞

合従軍以来の大激戦となった「鄴攻め」

数々の武将が大きな武勲を上げた戦いでした。

総大将を努め、兵糧攻めを兵糧攻めで返すという奇策で秦を勝利に導いた王翦。

壊滅寸前の左翼を復活させ、紀彗軍を足止めした蒙恬。

誰も想像しなかった奇策で馬南慈軍に大打撃を与え、尭雲を討ち取った王賁。

影の立役者である亜花錦。

鄴を包囲し続け、開放しようとする趙軍を尽く撃退した桓騎。

遼陽城を落とした楊端和。

犬戎族の王であるロゾを討ち取った壁。

そして、岳嬰と趙峩龍を討ち取り、武神龐煖をも討ち取り、右翼の勝利を決定的にした信。

論功行賞が楽しみでしょうがありませんね!

 

スポンサーリンク

【キングダム】式典前に信の「姓」が決まる

飛信隊が咸陽に凱旋すると熱烈な歓迎を受けます

民衆は皆、飛信隊の活躍を知っていたのです。

モテモテの楚水。

自分の活躍を盛りまくって話す尾平。

老人に求婚される河了貂。

松左に花束を渡したくて探している女性に気づき「後で渡しておきます」と受け取る崇源。

それを上から眺めている政も満足そうでしたね。

飛信隊員達がそれぞれ報奨を受け取り故郷へ戻る最中、干斗が信に家は故郷の城戸村なのか尋ねます。

信の家は風利にあります。

幼い頃の河了貂と2人で暮らしていたあのボロ屋敷がある場所です。

信は実は田有に家(屋敷)の建設を依頼していたようです。

そして田有から鄴攻めの最中に完成したようだと告げられます。

そのまま信の家を見に行こう!と全員風利を目指す飛信隊員達。

風利に到着し信に案内された飛信隊員達が見た家とは・・・

河了貂と暮らしたあのボロ小屋です笑

唖然とする隊員達。

ボロ小屋を「前より渋くなってる気がする」と天然ボケをかます信笑

そっちじゃねぇ・・・とばかりに信の顔の向きを変える田有。

そこで信が見たものは・・・なんとどデカいお屋敷ではありませんか!!

これぞ五千人将!

その日は新しい信の屋敷で大宴会が行われました。

隊員達も家族を読んで大騒ぎして楽しんでいました。

その時、三日後に王宮に呼ばれている事を告げる信。

いよいよ信が将軍に!と思う者達もいれば、論功行賞はまだなのに呼ばれるのはオカシイと怪しむ我呂。

そんな事は気にせず三日後に王宮に河了貂と共に向かう信でしたが、久しぶりに会った政から姓がないと将軍になれない事を告げられます。

しかも今ここで姓を考えろという政・・・結構無茶苦茶です笑

そう言えば漂も姓を持たねばならず、その時政がよく食べていた李(すもも)を見て、漂は「李(り)」と決めたのでした。

なので漂の名前は「李漂」だったのです。

漂と一緒に天下の大将軍になるはずだった信。

「へへへ、じゃあ俺も李信にする」

そんな簡単に?!と、空いた口が塞がらない河了貂と昌文君。

そんな2人を尻目に「了解した」と穏やかに返事をした政。

ここに二千年以上のも間、歴史に残る事になる偉大な名前が誕生したのです!

 

スポンサーリンク

【キングダム】王翦・楊端和・桓騎の評価は?

大激戦であった「鄴攻め」。

それぞれの軍を率いた王翦・楊端和・桓騎。

3人の評価はどうだったのでしょう?

桓騎は鄴を包囲し、鄴を開放しようとする趙軍を尽く跳ね返しました。

この戦いは秦軍の兵糧が尽きるか、九城もの難民を受け入れてしまった鄴の食料が尽きるかの、兵糧攻め合戦となったのです。

もし鄴が開放されて食料が届けられる状況になってしまっては、他の戦地でどれだけの勝利を収めようと、秦の負けは確定してしまうのです。

それだけ重要な任務であり、責任重大な役目だったのです。

それを完璧にこなした桓騎は、今回の戦いの立役者なのは間違いありません

楊端和は鄴を開放する事が出来る戦力を有する、遼陽の軍を抑える役目でした。

しかし楊端和は遼陽の軍を抑えるどころか、遼陽城を支配していた犬戎族の王ロゾを討ち取り、遼陽城を奪ったのです。

更に主を失った犬戎族を味方に取り込み、遼陽の戦いの勝利を決定づけたのです。

もし遼陽軍が楊端和軍を破り、鄴を開放しに来ていたらさしもの桓騎軍をもってしても、抑えることは不可能でした。

それほど巨大戦力である遼陽軍を撃破した楊端和は流石の一言ですね。

王翦は鄴を開放する事が出来る戦力を有するもう一つの軍、閼与の軍を抑えるべく珠海平原で李牧を迎え撃ちました。

王翦は自軍第二将である麻鉱を李牧の奇襲により失い、第一将である亜光も負傷により戦列を離れてしまい、信頼していた部下2人を一気に失ってしまいます。

しかし若き将である蒙恬・王賁・信の3人の活躍により李牧本陣を捉えます。

その裏で秦軍の兵糧より余裕のあった鄴の兵糧を、伏兵により焼き払う事に成功し、逆に趙軍を窮地に立たせます。

李牧の戦術勝負にも勝利し李牧軍を後退させ、飢えた難民に鄴城門を開かせ、労せず鄴城を陥落させたのです。

鄴攻略は王翦なしでは不可能だったと言っても過言ではないでしょうね!

そんな3人の論功行賞は意外すぎるほどあっさりとしたものでした。

王翦は第一功として特別大功を授けられます。

そして楊端和と桓騎も同じく特別大功を授けられました

しかし3人とも昇進はなく、将軍のままでした。

将軍の上は大将軍しかありませんが、第一功の王翦でさえ大将軍への昇進はありませんでした。

これは大分予想外でしたね。

もうしかしたら王翦は王様になりたがっている危険人物なだけに、大将軍への昇進はないのかもしれません・・・

にしてもこの大激戦を牽引してきた3大将の評価は、あまりに低いような気がしてしまいました。

 

スポンサーリンク

【キングダム】李信・蒙恬・王賁の評価は?

鄴攻略戦の中でも最激戦区となったのが珠海平原の戦いでした。

そこで活躍したのが信・蒙恬・王賁の若き3将です。

珠海平原の戦いで秦軍を率いたのは、総大将の王翦でした。

右翼と左翼が相手の両翼を撃破し、真ん中の王翦軍とで必勝戦略である「挟撃」を狙っていました。

しかし序盤で麻鉱を失い、中盤で亜光が戦線離脱してしまい、両腕を失ってしまった王翦が不利になると思いきや、若き3将が台頭してきて秦軍を勝利に導いたのです。

軍略に大きな差はなかった王翦VS李牧。

李牧が負けた大きな理由・・・王翦曰く、それは「手駒の差」でした。

尭雲・趙峩龍・岳嬰を失った趙軍は大きく失望しましたが、秦軍は麻鉱・亜光を失っても信・蒙恬・王賁が軍を立て直したのです。

「若き3人の駒が台頭し、軍の力は失墜するどころか、結果神がかった粘りと強さを見せた」

そう王翦に言わしめるほど3人の存在が、珠海平原での秦軍勝利に大きく影響したのです。

3人は鄴攻めに出発する前に、政に「3人揃って将軍に昇格しろ」と激を受けていましたね。

今回の3人の活躍はまさしく将軍昇格に相応しいものでした。

今回の論功行賞は、どう見ても若手3将の為にありましたね!

 

スポンサーリンク

【キングダム】李信の評価が武功に比べて低い?

李信・蒙恬・王賁の若き3将が、いっぺんに将軍に昇格した今回の論功行賞。

では3人の武功は同等だったのか?

と言われるとどうでしょうか。

麻鉱を失い崩壊寸前だった秦左翼を見事に復活させ、相対す趙右翼大将である紀彗を抑え込んだ蒙恬。

突拍子もない発想で馬南慈軍を弱体化させ、趙軍の要である尭雲を討ち取った王賁。

岳嬰・趙峩龍、そして三大天の一人である龐煖をも討ち取った李信。

過去の論功行賞では、やはり首級をあげる事が出世に大きく影響していたと思います。

では3人の中では李信が一番武勲をあげたと言ってもいいのではないでしょうか

信の主戦場は王賁と同じ右翼でしたが、蒙恬の左翼も助けに行っていますし、右翼を抜いて挟撃したのも李信率いる飛信隊でした。

右に左に中央にと縦横無尽に走り回り、秦軍勝利に貢献したのです。

この戦いで一気に大将軍となっても良かった?

と思う読者もいたかもしれませんね。

 

スポンサーリンク

まとめ

政との約束通り3人揃って将軍になった信・蒙恬・王賁の3人。

そして信は「姓」を手に入れ、後世にその名を残す事になる「李信」という名前になりました

次はいよいよ大将軍ですね!

この記事のまとめ
  • 信は初陣で百人将に昇進した
  • 王翦は特別大功を授与された
  • 李信の武功は特に評価された
  • 論功行賞は意外な結果だった
  • 信は姓を持つことで名声確立
  • 若手三将が将軍に昇格した理由
あいり
読者の皆さまがこの後に読んでいる記事はこちらです。

⇒著雍の戦いで霊鳳が死亡?論功行賞の意外な結末を徹底解説!・・

⇒信と龐煖の決着!合従軍編で明かされる信の驚愕の功績とは?・・

⇒出世競争で信・王賁・蒙恬が激突!誰が先に将軍になるのか徹底・・

⇒斉王との口約束が歴史を動かした!?感動の名場面10選!・・

⇒信の初陣!蛇甘平原の戦いの真実と信の驚くべき活躍とは?・・

 

スポンサーリンク

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA