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【キングダム】鄴攻めの論功行賞はどうなったのか?信は将軍に昇格し、姓は李。59巻642話です!

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鄴攻めの論功行賞はどうなったのか

結論から言うと、信・王賁(おうほん)・蒙恬(もうてん)の若き3人が揃って将軍に昇格しました。信はこのとき「李」の姓を得て、李信になっています。

該当するのは単行本59巻・第642話です。一方で王翦(おうせん)・楊端和(ようたんわ)・桓騎の3将は、特別大功を受けながら昇進なしでした。

この記事でわかること

  • 鄴攻め後の論功行賞の結果一覧
  • 王翦たち3将が昇進しなかった理由
  • 信が「李」の姓を選んだ経緯
  • 過去2回の論功行賞と、昇進の基準
  • 3人の武功に差はあったのか

そもそも論功行賞とは

『キングダム』では大きな戦のたびに論功行賞が描かれます。言葉の意味を先に押さえておきます。

「論功」は、誰がどんな功績を上げたか、その大小はどれほどか、見合う褒美は何かを話し合って決めること

「行賞」は、賞を与えることです。

合わせて「功を論じ、賞を行う」——これが論功行賞になります。

鄴攻めの結果一覧

人物 主な功績
王翦 第一功・特別大功
昇進なし
総大将。珠海平原で李牧を迎え撃ち、兵糧攻めを兵糧攻めで返して戦術勝負に勝利
楊端和 特別大功
昇進なし
遼陽城を攻略。犬戎族の王ロゾを討ち、主を失った犬戎族を味方に取り込んだ
桓騎 特別大功
昇進なし
鄴を包囲し続け、開放に来る趙軍をことごとく撃退した
李信 将軍へ昇格 岳嬰・趙峩龍を討ち、三大天・龐煖(ほうけん)を討ち取って右翼の勝利を決定づけた
王賁 将軍へ昇格 奇策で馬南慈軍を弱体化させ、趙軍の要である尭雲を討ち取った
蒙恬 将軍へ昇格 麻鉱を失って崩壊寸前だった左翼を復活させ、紀彗軍を抑え込んだ
犬戎族の王ロゾ討伐に貢献
亜花錦 影の立役者として趙軍の情報戦を支えた

3将が昇進しなかった理由

王翦・楊端和・桓騎の3人は、いずれもすでに「将軍」でした。

そして将軍の上は大将軍しかありません。つまり昇進させるなら、いきなり大将軍にするしかなかったわけです。

第一功の王翦でさえ、そこには届きませんでした。

僕はこう読む

「あの働きで昇進なしは低すぎる」と感じる人は多いと思います。僕もそう思いました。
ただ、大将軍という位が何なのかを思い出すと、話が変わります。
大将軍に与えられるのは「王の命令なしで戦争を行う権利」です。国を預けるのと同じ意味を持ちます。
——そして王翦は、作中で自分が王になることを望む危うさを見せている人物です。
つまりこの「昇進なし」は、働きが足りなかったのではなく、渡す相手として保留されたと読むほうが自然だと思っています。
功績を測る話ではなく、信頼を測る話だったのではないでしょうか。

信が「李」の姓を得た経緯

飛信隊が咸陽に凱旋すると、民衆から熱烈な歓迎を受けます。

隊員たちが報奨を受け取り故郷へ帰るなか、信は風利に建てた新しい屋敷へ皆を案内しました。河了貂(かりょうてん)と二人で暮らしたボロ小屋の場所です。

そこで待っていたのは五千人将にふさわしい大きな屋敷で、その夜は大宴会になりました。

そして信は、三日後に王宮へ呼ばれていることを告げます。論功行賞はまだなのに呼ばれるのはおかしい——そう怪しんだのが我呂でした。

「じゃあ俺も李信にする」

王宮で政から告げられたのは、姓がなければ将軍になれないという事実でした。しかも今この場で決めろと言われます。

ここで信が思い出したのがのことでした。

漂も姓を持つ必要があり、そのとき政がよく食べていた李(すもも)を見て、自分の姓を「李」と決めたのです。だから漂の名は李漂でした。

漂と一緒に天下の大将軍になるはずだった信の答えは、こうです。

「へへへ、じゃあ俺も李信にする」

あまりの即決に河了貂と昌文君は絶句しますが、政は静かに「了解した」と返しました。

僕はこう読む

この場面が効いてくるのは、李信という名が実在の武将の名だからです。
史実に残る名前が、作中では「死んだ友達が付けた姓」として渡される。
——歴史の側から見れば動かせない固有名詞が、物語の側から見ると漂の忘れ形見になっているわけです。
そして政が即答で認めたのも大きいと思います。李という姓は、政が食べていた李(すもも)から来ているのですから。
つまりこの一言で、漂・政・信の3人が同じ名前でつながり直したことになります。
「そんな簡単に?」と河了貂が驚くのは正しい。簡単に決まったのではなく、とっくに決まっていたのだと思います。

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過去2回の論功行賞と比べる

昇進の基準を見るには、これまでの論功行賞を並べるのが早道です。

初陣・甘蛇平原の戦い

論功行賞の場面そのものは描かれていませんが、信は一気に百人将まで出世しています。

功績は黄離弦(こうりげん)と麻鬼を討ち取ったこと。壊滅的打撃を受けた第四軍を実質率いて、麃公(ひょうこう)の援軍につなげました。

このとき尾平と尾到も兵卒から伍長に上がっていますが、同じ動きをしていた澤さんは伍長のままでした。ここから見えるのは首級を上げることが最も大きな功績になるという基準です。

山陽の戦い

作中で初めて論功行賞が描かれた回です。

  • 第一功 蒙驁(もうごう)……総大将として秦を勝利に導いた
  • 第二功 桓騎……敵将・玄峰(げんぽう)と、魏軍総大将・白亀西(はくきさい)を討ち取った
  • 第三功 信……敵将・輪虎を討ち取った → 千人将へ

合従軍戦

ここは形が変わっています。

  • 第一功 蒙武(もうぶ)……楚の汗明を討ち、退却する合従軍を背後から追撃した
  • 第二功ではなく、蒙武を除く秦の6将軍に国の特別大功
  • 第三功ではなく、特別準功が3つ——蕞の住民、山の民、そして信
  • 信は趙将・万極を討ち、南壁を守り抜き、龐煖と一騎打ちして武威を示した → 三千人将へ

並べると分かるのは、大戦の後ほど「功」の形が崩れるということです。順位を付けきれないほど働きが並ぶと、秦は特別大功という枠を使います。鄴攻めもその形でした。

3人の武功に差はあったのか

鄴攻略戦で最激戦区となったのが珠海平原の戦いでした。王翦は序盤で第二将の麻鉱を李牧の奇襲で失い、中盤では第一将の亜光も負傷で戦線を離れます。両腕をもがれた状態から立て直したのが、この3人でした。

3人は鄴攻めに出る前、政から「3人揃って将軍に昇格しろ」と発破をかけられていました。結果はその通りになります。

ただし武功が横並びだったかというと、そうとも言い切れません。

過去の基準どおり首級の重さで測るなら、三大天・龐煖を討った信が抜けています。加えて信は主戦場の右翼だけでなく、蒙恬の左翼にも助けに入り、右翼を抜いて挟撃を成立させたのも飛信隊でした。

王翦は李牧が負けた理由を「手駒の差」と言っています。尭雲・趙峩龍・岳嬰を失った趙軍が崩れた一方、秦軍は麻鉱・亜光を失っても信・蒙恬・王賁の3人が軍を立て直したからです。

「若き3人の駒が台頭し、軍の力は失墜するどころか、結果神がかった粘りと強さを見せた」——そう評されるほどの働きでした。

まとめ

鄴攻めの論功行賞で、信・王賁・蒙恬の3人が揃って将軍に昇格しました。59巻・第642話です。

同時に、昇進しなかった側もはっきりしています。

  • 王翦は第一功として特別大功。楊端和・桓騎も特別大功だが3人とも昇進なし
  • 将軍の上は大将軍しかなく、そこへの昇進は誰にも与えられなかった
  • 将軍になるには姓が必要で、信はその場で「李」を選んだ
  • 「李」は漂が政の食べていた李(すもも)から取った姓。漂は李漂だった
  • 鄴攻めで信は岳嬰・趙峩龍・龐煖を討ち取っている

僕はこう読む

「あの働きで昇進なしは低すぎる」と感じる人は多いと思います。僕もそう思いました。
ただ大将軍に与えられるのは「王の命令なしで戦争を行う権利」です。国を預けるのと同じ意味を持ちます。
そう考えると、あの据え置きは評価が低いのではなく、位の重さの話に見えてきます。

もうひとつ効いてくるのが、李信という名が史実に残る武将の名だということです。歴史の側から見れば動かせない固有名詞が、物語の側から見ると死んだ友達の忘れ形見になっている。どちらから読むかで、あの命名の重さが変わってきます。

——あなたは信が「李」の姓を選んだ場面を、史実の李信へ繋がる必然だと思いますか。それとも、漂の忘れ形見を受け取った私的な瞬間だと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。

よくある質問

鄴攻めの論功行賞は昇進した側と据え置かれた側が入り混じります。59巻642話の中身を、順番に確認しておきます。

Q. 鄴攻めの論功行賞は何巻の何話ですか
A. 単行本59巻・第642話です。信・王賁・蒙恬の3人が揃って将軍に任命されました。

Q. 信は将軍になれましたか
A. なれました。同時に「李」の姓を得て、李信となっています。

Q. なぜ信に姓が必要だったのですか
A. 姓がなければ将軍になれないためです。政にその場で決めろと言われ、漂と同じ「李」を選びました。

Q. 王翦・楊端和・桓騎はどうなりましたか
A. 3人とも特別大功を受けましたが、昇進はありませんでした。将軍の上は大将軍しかないためです。

Q. 信の武功は3人の中で一番でしたか
A. 首級で測るなら一番です。岳嬰・趙峩龍に加え、三大天の龐煖を討ち取っています。

Q. 過去の論功行賞で信はどこまで上がりましたか
A. 初陣で百人将、山陽の戦いで千人将、合従軍戦で三千人将です。

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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月5日

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