【キングダム】趙荘(ちょうそう)の忠義心と驚きの最後!王騎を討つための策略とは? | 漫画コミック考察ブログ

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【キングダム】趙荘(ちょうそう)の忠義心と驚きの最後!王騎を討つための策略とは?

キングダム 趙荘 荒くれ討つ!
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この記事を読むとわかること
  • 趙荘は王騎討伐の軍師だった
  • 李牧が真の黒幕だった
  • 趙荘の最後は意外な満足感

信は、更に強くなり、大将軍になる夢を叶える為に、当時信と王宮につなぐ連絡係の渕さんに頼みこんで、伝説の六大将軍の生き残りである王騎将軍の城に行き、修業を付けてもらいました。

修業の内容は、無法地帯で暴れ回っている荒くれ達を、倒して平定させる内容です。

見事に荒くれ達を、倒した信は、本格的に王騎将軍に修業を付けてもらう約束だったのですが、秦国が韓を攻めていた時に、趙軍が攻めてきていました。

そこで、王宮では緊急軍議が行われていて、王騎将軍が王宮に呼ばれていました。

この戦では、本来は蒙武(もうぶ)が総大将を務める予定でしたが、攻めの武力は十分にあったのですが、守りの武力がかけている為に、総大将から外され、攻めの武力と守りの武力が十分にある王騎将軍が、秦国軍の総大将を務める事になりました。

趙荘軍の総大将には、王騎将軍と因縁がある武神の龐 煖(ほうけん)が総大将となりました。

龐 煖(ほうけん)が現れるまで総大将を、務めたのが趙荘軍の軍師である趙荘(ちょうそう)が務めました

趙荘は、王騎将軍を倒す他に、目的がありました。

その目的とは?

今回は、総大将の代理を務めた趙荘をご紹介します。

 

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【キングダム】龐煖の代わりに大将代理で登場した趙荘

龐 煖(ほうけん)が現れるまで大将代理を、務めた趙荘の登場は、秦国が韓国を攻めている時に、隙をついて秦国の馬央へ攻撃した時に登場します

趙荘は、この戦で絶対の戦略を持っていて龐煖(ほうけん)が現れてからも、王騎将軍を討つ為に、大将代理を務め軍師も務めました

 

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【キングダム】馬陽攻防戦とは?

王騎将軍は、龐煖(ほうけん)に、王騎将軍の妻になる予定だった秦の将軍だった摎(きょう)が殺されてしまったので、馬陽の地を選びました。

この地で、摎が殺されたので、仇を討つ為に、王騎将軍は秦軍の総大将となりました

4日目の夜中に、飛信隊が山で休んでいる時に、趙軍の総大将である龐煖が現れ襲撃を受けます。

龐煖が、信達の前に現れた理由は、飛信隊の副長である羌瘣の強さに呼ばれたので現れました

龐煖の強さは、今まで戦ってきた武人達と違い、ケタ違いの強さでした。

龐煖の強さには、信も太刀打ちできずに、倒れてしまい、羌瘣も太刀打ちできませんでした。

龐煖が現れたおかげで、飛信隊の兵の数は、100人くらいはいたのですが、襲撃で36人まで減らされます。

倒れた信を、安全な所まで、運ぶ尾到でしたが、敵の矢を受けて亡くなってしまいます

飛信隊の初めての犠牲者でした。

 

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【キングダム】趙荘は史実では存在しない?

総大将代理を務めた趙荘は、中華時代に存在したのでしょうか?

その事について、調べたのですが、残念ながら存在はしていませんでした

モデルになった武将もいませんでした。

趙荘は、澤圭と同じく原先生が、キングダムの為に用意したオリジナルキャラでした。

 

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【キングダム】趙荘は軍師として優秀だった?

総大将代理として登場した趙荘は、趙軍の軍師としても優秀な武将でした。

趙荘は、軍師としての策は、偽の龐煖を囮にして、蒙武軍を罠にはめる事でした

秦軍にいる厄介な武将は、王騎将軍の次に手ごわい蒙武でした。

蒙武を潰して戦を有利にする為に、この策を思いつく趙荘!

趙荘の武力では、総大将にはなれなかったですが、軍師としてはとても厄介な武将でした。

 

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【キングダム】王騎の軍略に圧倒される趙荘

趙荘の戦略は、完璧なものと思われていましたが、王騎将軍には全部お見通しでした

王騎将軍は、攻めの武力や、守りの武力を持った最強の大将軍で敵が、考えている作戦も見通しできる能力を持った武将!

蒙武を罠にかけて、王騎将軍と龐煖が一騎打ちをしている中を、回り道をして討つ予定でしたが、王騎将軍は、右腕である騰部隊を、趙荘の所に向かわせます

 

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【キングダム】本当の目的はただの時間稼ぎ?

この戦は、王騎将軍を討つ為でしたが、他に目的がありました。

その目的は、三大天の李牧(りぼく)の軍が到着して王騎将軍を討つ事が、本当の目的でした。

李牧はこの戦の黒幕の武将!

趙荘の完璧すぎる策も、李牧が思いついた策でした。

王騎将軍がこの戦で、打たれれば秦国は、大きな戦力が奪われてしまいます。

李牧の策に、蒙武はうまく使われ、趙荘も時間稼ぎとして上手く使われました。

趙軍の最強の軍師は、趙荘ではなく李牧でした。

王騎将軍は、龐煖との一騎打ちの時に、李牧の兵の矢を受けて重症を負います。

龐煖と一騎打ちを早く済ませたかったのは、秦国の新たな敵となる李牧が近づいていた事を知っていたので、王騎将軍は、一騎打ちを急ぎました。

 

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【キングダム】健闘するも騰からは逃れられなかった?

蒙武を罠にかけて、先回りをして王騎将軍の所に、行こうとする趙荘軍!

趙荘軍に、追っての軍隊が迫っていました。

その軍隊は、王騎将軍の右腕で王騎将軍な亡くなった後に、王騎軍の将軍となった騰(とう)でした。

趙軍の軍師である趙荘を、打ったのは騰でした。

趙荘は亡くなる時に、軍師として役目を果たした事に満足して、亡くなるのですが、王騎将軍の死を見届ける事ができなかった事を、心残りと言いこの世を去りました

 

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【キングダム】趙荘の名言

趙軍の軍師である趙荘の名言をご紹介します。

 

1、フフ、この私が大将代理を務めた戦いで王騎が死ぬ、笑わずにはおられぬわ!

2、唯一の無念は、この目で奴(王騎)の最後を見届けられぬことか、先に逝って待っているぞ王騎…

3、ついにこの刻が来たか王騎 あの生ける伝説の六将・王騎が地に沈む 全土を震え上がらせ続けたあの王騎が!!

 

以上が、馬陽の戦で軍師と大将代理を務めた趙荘の名言でした。

この名言を、見ると趙荘は、自分の手で王騎将軍を倒しかった事が、よく分かります

趙国は、一度秦軍に敗れているので、趙国の意地を見せたかったのではないでしょうか。

 

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まとめ

趙荘軍は、王騎将軍を取り逃がして首を、取る事が出来なかった事から、趙軍の敗北と見られていますが、戦の後に王騎将軍は、この世を去って秦国は、大きな戦力を失ったので秦国の敗北でした。

王騎将軍は、最後に政に遺言を残して戦に、出陣しているので無事に帰って来れないと分かっていたと思います。

王騎将軍の意思は、信に受け継がれ矛も託されます。

王騎将軍の死は、信の大将軍になる夢の一歩の成長でした。

王騎将軍の死を乗り越えて、信は大きく成長していくでしょう。

この記事のまとめ
  • 趙荘は王騎を討つ策略を立案した
  • 李牧が真の黒幕だった
  • 趙荘は軍師として優秀だった
  • 王騎の軍略に趙荘は敗北した
  • 最後に名言を残して亡くなった
  • 趙軍の敗北は秦国の戦力喪失を意味した
あいり
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