【キングダム】諸葛孔明も驚いた!楽毅(がくき)の史実に基づく驚きの事実とは? | 漫画コミック考察ブログ

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【キングダム】諸葛孔明も驚いた!楽毅(がくき)の史実に基づく驚きの事実とは?

キングダム 楽毅の功績
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この記事を読むとわかること
  • 楽毅が燕を救った戦い
  • 合従軍を結成した外交力
  • 恵王の追放後の楽毅の選択

キングダムの舞台でもある春秋戦国時代より少し前に、楽毅という大将軍がいました。

楽毅は、秦・趙・魏・楚・韓・燕・斉の7つの国の中で、当時もっとも弱かった燕の国を率いて、当時最強といわれていた斉の国を倒し、中華史上でも最強の将軍と呼ばれていました

この楽毅の存在は、のちの三国志の英雄でもある天才軍師の諸葛孔明や、前漢の初代皇帝で高祖とも呼ばれる項羽と劉邦の高祖劉邦でさえも憧れを抱き、「軍神」と称されています。

キングダムでも過去の回想の中で登場する楽毅について、今回は紹介します。

 

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【キングダム】楽毅とは?

楽毅に関しては、史実でもよく登場します。

楽毅が燕に赴いた当時、燕は斉の攻撃によって滅亡しそうなほど苦しめられていました。

この状況を改善するべく当時の燕の国王である昭王は、敦隗という人物に相談します。

すると敦隗は、「先ず隗より始めよ」と告げ、昭王は敦隗自身に投資しろということを伝えます。

これに昭王従うと、敦隗が連れてきたのが楽毅でした。

その後、楽毅率いる燕軍は、秦・趙・魏・韓と連合軍を結成し、斉を討つべく攻め入ります。

その連合軍は総勢50万もの大軍になり、楽毅はその総大将をつとめ、結果的に斉を討つことに成功し、斉は莒と即墨という2つの城のみとなってしまいました

当時の中華は東の斉と西の秦といわれるほど2強の力が抜けていましたが、その中において斉を討つために4国を説得した外交技術力は、キングダムの李牧並みであったと思われます

また、50万の大軍を率いたことから武力や知力に関しても長けていたことが伺えます。

 

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【キングダム】楽毅の異名とは?

戦国中期の時代、東中華の大将軍といえば、誰もが声をそろえて楽毅というように、楽毅の名前は斉を討ったことで世に広まりました。

亡国寸前までいっていた燕を復興させ、大国だった斉への逆襲を果たしたその戦いぶりに、後世の偉人である諸葛孔明や高祖劉邦をもってして「軍神」と言わしめたほどでした。

 

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【キングダム】楽毅の功績とは?

楽毅の功績は、何といっても亡国寸前だった燕を救い、当時覇権を担っていた斉に対して合従軍という戦略を用いて討ち落としたことにあるでしょう。

この結果によって、合従軍による攻撃の破壊力の高さが明白となり、キングダムにおいても李牧を中心に合従軍が攻め入った際に感じた絶望感は、この時の斉が2城を残して壊滅してしまったことに由来しています。

 

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【キングダム】楽毅の強さとは?

楽毅の実際の戦いの様子に関しては、キングダムの中では描写されていません

扱う武器や、戦い方などは詳しく描かれていないため分かりませんが、楽毅が敦隗に誘われ、燕の昭王のもとに赴いた際に、一緒に劇辛という将軍もいました。

劇辛は、楽毅の戦いを常に側で見ながらメモを取り、自身の戦略の参考にしていました

その劇辛は、キングダムの中で李牧と龐煖と戦います。

この中で劇辛は、「音無き暗殺部隊」と言われる「毒猫」と、最速の騎馬民族と言われる犬戎族で構成される「毒犬」という部隊を自軍に抱えていました。

ただ、この劇辛の特殊部隊による攻撃は全て李牧によって見抜かれてしまいます。

一見劣勢かに思えた劇辛でしたが、豊富な経験から逆に李牧の戦術を見抜き、一転して攻勢に転じます。

最後は龐煖によって討ち取られてしまう劇辛でしたが、この戦いから、楽毅は劣勢を反転させるような戦術が得意とみることもできます

 

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【キングダム】楽毅と燕国の関係性とは?

楽毅による合従軍の戦いによって亡国寸前の危機を救われたことで、燕の昭王の楽毅に対する信頼は非常に高まり、この功績を称えて昌国君という地位を与えます。

ただ、昭王が亡くなり、次の王についた恵王は、あまり楽毅を信頼してはおらず、その後のデマに踊らされ楽毅は燕を追放され、趙に亡命します

ただ、その後に斉から逆襲を受けたこともあり、楽毅を追放したことを後悔した恵王は、楽毅に燕に戻ってきてほしい旨の書簡を送ります。

それに対し、楽毅はこの返事にて先代の昭王への感謝とその忠義心を述べ、燕に戻ることはありませんでした

この恵王への返信は、「報遺燕恵王書」と呼ばれ今でも有名な文章となっています

 

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【キングダム】楽毅の登場場面は描かれている?

キングダムにおいて、楽毅は先ほど触れた劇辛が趙の李牧・龐煖との戦いの際に、劇辛による回想シーンにて登場します

李牧が合従軍を起こす上で燕を攻めたのは、過去に合従軍を起こして斉を滅ぼした楽毅にあやかるためでもあり、楽毅の回想があってこそ秦を攻め入った合従軍がより一層引き立った形でもあります。

 

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【キングダム】楽毅の名言とは?

楽毅が直接発言したわけではありませんが、楽毅に関連した名言としては、やはり「先ず隗より始めよ」という言葉が有名です。

斉によって亡国寸前の燕の昭王が、敦隗に相談したことが発端ですが、この際に敦隗に言われた言葉です。

「自分のような身近な人物を大切にすれば、より優秀な人物がもっと優遇されると考え、他国からやってくるでしょう」という意味の言葉となりますが、これによって集まったのが楽毅です。

 

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【キングダム】楽毅の最期とは?

楽毅は昭王亡き後、恵王によって一時は趙に亡命しますが、「報遺燕恵王書」もあって燕とは和解します

ただ、その後は趙に移り住んだまま最期を迎えます

 

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まとめ

いかがでしたでしょうか。

楽毅の存在は、キングダムの中で最大の戦いである合従軍の戦いに大きく関わる人物でもあります。

李牧もそれを意識して、合従軍の戦いを起こすために事前に燕を討ち取ったと思われます。

楽毅の力は秦の六大将軍や趙の三大天クラスとも言われています。

その流れを汲む劇辛将軍が一部戦うシーンを見せましたが、今後も楽毅の存在がキングダムの中で描かれるシーンが出てくるかもしれません。期待しましょう。

この記事のまとめ
  • 楽毅は燕を救った軍神です
  • 合従軍で斉を滅ぼした戦略
  • 楽毅の外交技術は李牧並み
  • 昭王の信任を受けた功績
  • 恵王の後悔と楽毅の忠義
  • 名言「先ず隗より始めよ」
あいり
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