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録嗚未(ろくおみ)とは何者か?
結論から言うと、録嗚未(ろくおみ)は王騎軍の第一軍長だった秦の将軍です。王騎の死後は騰の下で戦い、騰が六大将軍を退いたあと騰軍をまるごと引き継ぎました。死亡はしていません。
録嗚未は「軍内最強」と呼ばれる武将で、同時に「軍内随一の激情家」でもあります。すぐに怒鳴り、すぐに突っ込み、上官の騰には毎回からかわれる。それでも戦場では、いちばん先に敵陣を割るのが録嗚未の軍です。立場の移り変わり、強さが見える戦い、騰との「いじり」、いまの録嗚未軍、そして史記に名前があるのか、実写で誰が演じたのかまでを順に見ていきます。
この記事でわかること
- 録嗚未の読み方と、王騎軍から騰軍、録嗚未軍までの立場
- 臨武君との一騎打ちと、騰の「録嗚未いじり」
- 著雍・什虎・韓攻略で見せた強さ
- 録嗚未は死亡したのか、いまどこで戦っているのか
- 録嗚未は史実に実在したのか、史記に残る騰の記録
- 実写で録嗚未を演じた三浦誠己さんと、アニメの声
録嗚未のプロフィール|早見表
録嗚未の立場は、物語が進むたびに一段ずつ上がっています。王騎軍の第一軍長から始まり、騰の下で将軍になり、いまは自分の名前の付いた軍を率いています。
| 項目 | 録嗚未 |
|---|---|
| 読み | ろくおみ |
| はじめの立場 | 王騎軍の第一軍長 |
| 王騎の死後 | 騰軍の第一軍長。著雍の戦いで将軍に昇進 |
| いまの立場 | 騰から騰軍を引き継ぎ、「録嗚未軍」を率いる将軍。死亡していない |
| 評判 | 軍内最強にして、随一の激情家 |
| 史実 | 史記に名前が無い。キングダムが生んだ将 |
| アニメの声 | 田尻浩章さん(第1・第2シリーズ)、関口雄吾さん(第3シリーズから) |
| 実写 | 三浦誠己さん(『キングダム 魂の決戦』2026年) |
僕はこう読む
録嗚未は、出世していくのに性格がまったく変わらない人です。
軍長のときも将軍になってからも、怒鳴り方も突っ込み方も同じ。
肩書きが上がるほど、変わらないことが頼もしさに見えてくる。
王騎軍の空気をいちばん素のまま持ち歩いているのが録嗚未だと思っています。
王騎の死を聞いた録嗚未|馬陽の暴走
録嗚未の激情がはっきり描かれたのは、馬陽の戦いです。趙の万極軍と戦っている最中に、王騎が討たれたと知らされます。最期に立ち会えなかった録嗚未の軍は、怒りのまま暴れ回りました。万極軍は、この暴走で大きな痛手を受けています。
王騎は死の間際、軍長を含めて誰も自分の後を追ってはならないと言い残しました。録嗚未のように、放っておけば後を追いかねない者がいた軍だからこそ出た言葉です。
主を失った王騎軍は、そのまま騰に託されました。録嗚未も騰の下に入り、第一軍長として戦い続けます。副官だった騰にだけはいつもタメ口をきくのも、王騎を一緒に見送った二人の間柄が言葉づかいに出ているからでしょう。王騎の側にいた騰が上に立ち、録嗚未がその先頭を走る。この並びは、ここからずっと変わりません。
臨武君との一騎打ちと、騰の「録嗚未いじり」
合従軍編(26巻)の函谷関で、騰軍は楚の第一軍とぶつかりました。敵陣を真っ先に突き破ったのは録嗚未です。ところが楚の将・臨武君は、王騎軍の第五軍長だった同金を一撃で倒すほどの相手でした。
録嗚未は鱗坊と二人で臨武君に挑みますが、第三軍長の鱗坊は楚の弓の名手・白麗の矢で命を落とします。録嗚未も押されて地面に叩きつけられました。そこへ「ファルファル」という音と一緒に騰が現れ、臨武君を討ち取ります。
そして騰は、討ち取った臨武君にこう言いました。
「あの世で同金、鱗坊、録嗚未と酒でも飲むがいい」
録嗚未は生きています。すぐ横で勝手に死んだことにされ、呆然とするしかありませんでした。読者が「録嗚未いじり」と呼ぶのは、こうした騰のからかいのことです。「録嗚未 死亡」と検索されるのも、この一言が強く残っているからだと思います。
僕はこう読む
同金と鱗坊を失った直後に、あの冗談を入れているのが効いていると思っています。
普通なら悲しみで締める場面に、生きている部下の名前を混ぜてくる。
王騎を失った軍が、もう笑える状態まで戻っている。
負けた録嗚未を騰が救う順番で騰の格を立て、それでも怒鳴り返す元気を録嗚未に残した。読者に嫌われない理由はそこだと読んでいます。
録嗚未は同じ合従軍編で、媧燐軍の戦象隊に苦しみながらも指揮官を討ち、乱戦を生き延びました。そのあとは干央の軍と一緒に、媧燐軍の背後を突いています。
著雍で見せた、走り出せば止まらない軍
録嗚未の軍の強さがいちばん分かりやすいのが、魏との著雍の戦い(35巻から37巻)です。録嗚未はこの戦いで将軍に上がっていました。
秦軍は、王賁の案で三つの主攻を立てました。録嗚未軍・玉鳳隊・飛信隊が、それぞれ目の前の敵を破り、三日目の正午に同時に魏軍本陣へ突入する作戦です。騰と隆国でも手が見つからなかった布陣に、若い王賁が出した策でした。録嗚未は王賁の態度にも策にも不満顔で、作戦が始まってもあのガキとこぼしています。
二日目が終わっても、録嗚未軍はまだ敵の前線を越えていませんでした。サボっていたのではありません。日ごとに計算して進むのが性に合わず、それまでは魏軍に押されている騰の本軍の脇を守っていたのです。録嗚未は騰に、自分の軍は走り出せば止まらないと言い切りました。
その言葉どおり、録嗚未軍は三日目、半日で魏軍の防陣を抜けて本陣に届きました。そのあとは玉鳳隊と一緒に敵を引きつけ、最後に現れた飛信隊が本陣を突く道を作っています。
僕はこう読む
録嗚未が王賁の策に腹を立てた理由が、僕はいちばん好きです。
著雍は中華じゅうが見ている、騰と呉鳳明の戦いでした。
だからこそ若造の策ではなく、騰の力で勝ってほしかった。
怒鳴っている中身が、ずっと騰への誇りでできているのが録嗚未らしいところです。
什虎では乱美迫に斬りかかられた
什虎の戦いでは、騰に従って蒙武の援軍に入りました。秦と魏が手を組んで楚に当たる、珍しい戦場です。録嗚未は楚の千斗雲と一騎打ちになりますが、そこへ魏の狂戦士・乱美迫が割り込み、味方のはずの録嗚未にまで打ちかかってきました。
魏軍と睨み合いになりかけたところで、録嗚未は一喝して楚軍へ攻めかかっています。怒りっぽいのに、敵を取り違えないところが録嗚未の将としての芯です。
韓攻略で洛亜完を追い詰めた録嗚未軍
桓騎が討たれたあと、録嗚未は騰や信と一緒に、韓非を秦へ招くための使節の護衛として韓の王都・新鄭を訪れています。実際には、韓を攻める前の下見でした。
そして韓攻略編です。作中の始皇十六年、騰軍は飛信隊と共に韓へ入り、騰の策で南陽を無血開城させました。南陽に入った新兵を、飛信隊と一緒に鍛えたのも録嗚未です。翌年の新鄭攻めでは、英呈平原で韓の総大将・洛亜完の軍とぶつかります。録嗚未は騰と渡り合う洛亜完のもとまで迫り、あと一歩で討ち取るところでした。翌日の東砂平原では、録嗚未の配下の単呂が韓の将・眉景を討っています。
新鄭が開城したあと、洛亜完は残った兵を連れて蘭城へ退きました。その討伐に向かったのが録嗚未で、洛亜完の残党は全滅しています。
録嗚未は死亡したのか|騰軍を継ぎ「録嗚未軍」へ
録嗚未は死亡していません。臨武君に敗れたときも、什虎で乱美迫に割って入られたときも生き延びてきました。
韓が滅んだあと、騰は旧韓領の新鄭を治めることに力を注ぐため、844話で六大将軍を退くと告げます。驚いた録嗚未でしたが、騰の考えを受け入れ、騰軍全軍の指揮を引き継ぎました。
78巻からの趙攻めでは、録嗚未の率いる旧騰軍が、飛信隊や旧韓軍と一緒に新鄭から趙へ出陣しています。作中の始皇十八年に始まった秦と趙の全面戦争で、旧騰軍は「録嗚未軍」と名を変え、864話で相手が斉から趙へ移った将・顔聚の軍だと分かりました。王騎の軍は騰へ、騰の軍は録嗚未へ、と二度受け継がれたことになります。2026年8月19日に出た80巻まで、録嗚未が討たれる場面は描かれていません。
僕はこう読む
騰がいちばん頼りにしていたのは、毎回からかっていた相手だったのだと思っています。
いじられても本気で怒り、それでも最後まで離れない。
冗談を言える距離にいた男に、軍ごと預けた。
「録嗚未軍」という名前には、王騎から続く軍の信頼がそのまま入っているように見えます。
録嗚未は実在したのか|史記に名前は無い
キングダムの時代の秦の動きは、主に『史記』の秦始皇本紀に年ごとに書かれています。そこに録嗚未の名前は一度も出てきません。隆国・鱗坊・干央・同金といった、王騎軍のほかの軍長も同じです。
一方で、上官の騰には記録があります。秦始皇本紀には、秦王政の十六年(紀元前231年)に韓が南陽の地を差し出し、「南陽の仮守の騰」がそれを受けたこと、翌十七年(紀元前230年)に「内史騰」が韓を攻めて韓王安を捕らえ、その地を潁川郡にしたことが書かれています。「内史」は官職の名で、騰の姓は分かっていません。
| 人物 | 史記に残っているか |
|---|---|
| 録嗚未 | 名前が無い。キングダムが生んだ将 |
| 騰 | ある。前231年に南陽の仮守、前230年に内史として韓王安を捕らえ韓を滅ぼす |
| 王騎 | ある。王齮として将軍に任じられ、前244年に「王齮死す」とだけ記される |
| 隆国・鱗坊・干央・同金 | 名前が無い |
つまり王騎軍は、史実に名がある王騎と騰を頭に置き、その下の軍長をすべて作品の側で作った軍です。録嗚未はその軍長たちの筆頭にあたります。史記の騰が果たした一番の仕事は韓を滅ぼしたことで、作中の韓攻略で騰のそばにいるのが録嗚未でした。「南陽を受けた」「韓王を捕らえた」という史実の骨に、録嗚未という実働部隊の肉をつけた形です。
僕はこう読む
史記の騰は、南陽を受け取り、韓王を捕らえた、という二行しか残っていません。
その二行の人物を、あれほど涼しい顔の将軍に仕立てるには、隣で熱くなる誰かが要ります。
録嗚未は、騰の涼しさを見せるために置かれた熱だと思っています。
記録の縛りが無い人だから、怒鳴れるし、泣けるし、上官にタメ口もきける。そして記録に無い人が、記録に残った騰の軍を受け取りました。
実写で録嗚未を演じたのは三浦誠己さん
実写映画で録嗚未を演じたのは、三浦誠己さんです。シリーズ第5作『キングダム 魂の決戦』(2026年7月17日公開)に登場しました。
録嗚未の配役は公開前には発表されておらず、公開後に「待望のキャラが登場した」と話題になりました。映画では楚の臨武君(一ノ瀬ワタルさん)とぶつかり、原作よりあっさり敗れます。そのあと臨武君を討った騰から勝手に死んだことにされる掛け合いも、原作どおりに再現されました。騰は要潤さん、同じ元王騎軍の干央は高橋光臣さんです。
| 項目 | 三浦誠己 |
|---|---|
| キングダムでの役 | 録嗚未(『キングダム 魂の決戦』2026年) |
| 生年月日 | 1975年11月16日 |
| 出身 | 和歌山県 |
| 経歴 | 1996年にお笑い芸人としてデビューし、2003年から俳優に |
アニメでは、第1〜2シリーズを田尻浩章さん、第3シリーズからを関口雄吾さんが録嗚未の声を担当しています。
まとめ|録嗚未は王騎軍から続く軍を、いま率いている
録嗚未は、王騎軍の第一軍長から騰の下で将軍になり、騰が六大将軍を退いたあと騰軍を引き継いだ秦の将です。死亡はしておらず、史記には名前の無い、キングダムが生んだ将でもあります。
- 読みは「ろくおみ」。王騎軍の第一軍長で、軍内最強の激情家
- 合従軍編で臨武君に押され、騰に救われた。「録嗚未いじり」はこのとき
- 著雍では三日目の半日で魏軍本陣に届いた
- 韓攻略で洛亜完を追い詰め、蘭城の残党を全滅させた
- 844話で騰が退き、全面戦争では「録嗚未軍」として顔聚軍と対峙
- 史記に名は無い。実写は『魂の決戦』の三浦誠己さん
僕はこう読む
実在の人物は、史記に書かれた結末へ向かって歩くしかありません。
録嗚未にはその地図がありません。だから読者は、この人の先だけは本当に分からない。
録嗚未軍が趙とどう戦うかは、史記ではなく原先生だけが知っているのだと僕は見ています。
録嗚未を、騰にいじられる愛すべき脇役と見るか、史実の地図を持たないまま王騎から続く軍を任された後継ぎと見るかで、「録嗚未軍」という名前の重さが変わって見えます。
——あなたは録嗚未を、いじられ役の猛将だと思いますか。それとも、王騎から続く軍を任された本物の後継ぎだと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
録嗚未は死亡説や「いじり」のほうが先に広まっている人なので、気になりやすいところを短く答えます。
Q. 録嗚未とは何者ですか?
A. 王騎軍の第一軍長から騰の下で将軍になり、騰軍を引き継いで「録嗚未軍」を率いる秦の将軍です。
Q. 録嗚未は史実に実在しますか?
A. しません。史記に録嗚未の名前は無く、キングダムが生んだ将です。上官の騰は「内史騰」として史記に残っています。
Q. 録嗚未は死亡しましたか?
A. していません。80巻まで生きていて、騰から引き継いだ軍を率いています。
Q. 録嗚未いじりとは何ですか?
A. 騰が録嗚未をからかう場面のことです。合従軍編で臨武君を討った騰が「あの世で同金、鱗坊、録嗚未と酒でも飲むがいい」と、生きている録嗚未の名前を混ぜた場面がよく知られています。
Q. 騰はなぜ録嗚未に軍を任せたのですか?
A. 韓の滅亡後、騰は旧韓領の新鄭を治めることに力を注ぐため六大将軍を退きました。その軍を、王騎軍のころから先頭を走ってきた録嗚未が引き継いでいます。
Q. 実写映画の録嗚未は誰が演じていますか?
A. 三浦誠己さんです。第5作『キングダム 魂の決戦』(2026年)で登場しました。
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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年10月8日


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