本ページはプロモーションが含まれています
項羽と劉邦はキングダムに登場するのか?
結論から言うと、項羽も劉邦も888話の時点で本編に登場していません。項羽は紀元前232年生まれで、いま描かれている紀元前229年は、まだ幼い子どもです。
それでも「項羽 キングダム」と調べられるのは、二人がキングダムのすぐ後の時代の主役だからです。しかも項羽の祖父・項燕は、キングダムで信のモデルになった李信を史実で破った楚の将軍でした。この記事では、二人がいま何歳なのか、キングダムとどうつながるのか、そして登場する見込みはあるのかを、史記の記録と作中の年号を突き合わせて見ていきます。
この記事でわかること
- 項羽と劉邦が、キングダムの時代に何歳だったか
- 項羽の祖父・項燕と、李信の敗北のつながり
- 二人とも始皇帝を実際に見て、言葉を残している
- キングダムから楚漢戦争までの時系列
- 本編に登場する見込みと、項翼との関係
- 統一の物語の外側に、次の主役がもう生まれている(カイの読み)
項羽と劉邦は、キングダムの時代に何歳だったのか
キングダムは紀元前245年ごろから始まり、80巻の趙を攻める戦いは紀元前229年です。史記の記録から、二人の年を並べてみます。
| 項目 | 項羽 | 劉邦 |
|---|---|---|
| キングダムに登場したか | 888話まで未登場 | 888話まで未登場 |
| 生まれた年 | 紀元前232年 | 紀元前256年説と紀元前247年説がある |
| 出身 | 楚の将軍の家。祖父は項燕 | 沛(いまの江蘇省)の農家 |
| 紀元前229年(いまの本編) | まだ幼い子ども | 20代(どちらの説でも) |
| 紀元前221年(中華統一) | 10歳前後 | 20代半ば〜30代半ば |
| 最期 | 紀元前202年、垓下で敗れ烏江で自害 | 漢の初代皇帝になる |
劉邦のほうは、信や嬴政と同じ時代をすでに大人として生きています。ただ、沛の片田舎の若者で、キングダムが描く戦場にも宮廷にもいません。
僕はこう読む
表の一行目と二行目を並べると、この物語の背中に次の物語が立っているのが見えます。
信たちが命を懸けて統一へ向かっているまさにそのとき、統一を壊す二人はもう生まれている。
しかも一人は、信が戦うことになる楚の、将軍の家の子です。
キングダムが「統一まで」の物語だからこそ、この二人は画面の外に置かれ続けるのだと思っています。
項羽の祖父・項燕は、李信の20万を破った将
項羽の家系は、キングダムの本筋と直接つながっています。
『史記』項羽本紀は、項羽の叔父・項梁について「梁の父は即ち楚の将項燕なり」と書いています。項燕は項羽の祖父で、項梁は叔父です。項羽はこの項梁のもとで兵法を学んでいます。
史実では紀元前225年、秦の李信が20万の兵で楚へ攻め込み、項燕に大敗します。そのあと王翦と蒙武の60万が楚を攻め、紀元前223年に項燕は命を絶ちました。項羽から見れば、祖父を死なせたのは秦の軍、そしてその先頭にいたのが信のモデル・李信です。
二人とも、始皇帝を見て言葉を残している
キングダムの嬴政が中華を統一して始皇帝になったあと、二人はそれぞれ皇帝の行列を目にしています。史記に残る言葉は対照的です。
- 項羽は、叔父の項梁と一緒に巡行の行列を見て「彼取って代わるべし」と言い、項梁にあわてて口をふさがれた
- 劉邦は、咸陽で行列を見て「大丈夫当に此の如くなるべし(男と生まれたらこうあるべきだ)」とため息をついた
項羽は奪う相手として、劉邦は憧れの姿として、同じ始皇帝を見ていたことになります。身の丈は八尺余り、鼎を持ち上げるほどの力があったと書かれる項羽らしい一言です。
僕はこう読む
キングダムの嬴政は、「法による統治」を掲げて中華をまとめようとしています。
その姿を、統一後の民は行列越しに見上げることになる。
項羽の「取って代わるべし」は、政が作った仕組みを、力で上書きできると思った若者の言葉です。
作中の政がこの言葉を聞いたら何と返すのか、つい想像してしまいます。
キングダムから楚漢戦争までの時系列
キングダムの本編と、項羽と劉邦の時代の距離を年表にします。
- 紀元前229年:趙を攻める戦い(いまの本編)
- 紀元前225年:李信が楚で項燕に大敗する
- 紀元前221年:秦が中華を統一し、嬴政が始皇帝になる
- 紀元前210年:始皇帝が巡行の途中で亡くなる
- 紀元前209年:陳勝・呉広の乱。項梁と項羽が挙兵し、劉邦も沛で立つ
- 紀元前206年:秦が滅ぶ。項羽は西楚の覇王を名乗る
- 紀元前202年:垓下の戦い。項羽が自害し、劉邦が皇帝に即位する
項羽と劉邦が表舞台に立つのは、統一からおよそ12年後です。キングダムに出てくる人物のうち、李斯や趙高、蒙恬、蒙毅は、この先の時代にも史実で名が残っています。蒙恬は始皇帝の死の直後、趙高らの謀略で命を絶たされました。
項羽と劉邦は、この先キングダムに登場するのか
本編がこのまま中華統一までを描くなら、二人が大きな役で出てくる余地は小さいと考えられます。統一の年、項羽はまだ10歳前後の少年で、劉邦は沛の一人の若者にすぎません。
一方で、楚を攻める戦いはこれから描かれます。項燕が前に出れば、その家の子として幼い項羽が一コマ映る可能性はあります。作中にどう置かれるかは、まだ誰にも分かりません。実写映画でも、5作目の『魂の決戦』まで項羽と劉邦の役はありません。
楚の将・項翼は同じ「項」の名前なので、項羽の一族ではと言われることがあります。ただ作中で項羽と結びつける説明は出ていません。
僕はこう読む
楚を攻める戦いは、史実で李信が項燕に大敗する戦いです。
キングダムがそこを描くとき、敗れた側の家に祖父の背中を見ている子どもを置くかどうか。
置けば、統一の物語の最後に「次の時代」の影を差し込めます。
置かなければ、信の物語は信の物語のまま終わる。どちらを選ぶかで、原先生の終わらせ方が見えてくると思っています。
まとめ|項羽と劉邦は、キングダムの次の時代の主役
項羽と劉邦は、888話の時点でキングダムに登場していません。項羽は紀元前232年生まれで、いまの本編ではまだ幼い子どもです。
押さえておきたい事実を並べます。
- 項羽は紀元前232年生まれ。劉邦は紀元前256年説と247年説がある
- 項羽の祖父は項燕、叔父は項梁。項燕は紀元前225年に李信を破った
- 項羽は「彼取って代わるべし」、劉邦は「大丈夫当に此の如くなるべし」と始皇帝を見て言った
- 二人が挙兵するのは紀元前209年、統一からおよそ12年後
- 項翼と項羽を結びつける説明は、作中に出ていない
僕はこう読む
キングダムは、統一という大きな夢の物語です。
その夢が十数年で崩れることを、読者は史実で知っています。
項羽と劉邦が画面の外にいることが、かえって信たちの戦いを切実にしているように見えます。
項羽を「キングダムの続きの主役」と見るか、「統一の物語には要らない存在」と見るかで、楚との戦いの読み方はずいぶん変わってきます。
——あなたは、キングダムの楚との戦いに、幼い項羽が一コマでも描かれると思いますか。それとも、二人は最後まで画面の外に置かれると思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
項羽と劉邦は、紀元前232年という生まれ年と、紀元前209年の挙兵で見るとキングダムとの距離がつかめます。
Q. 項羽はキングダムに登場しますか?
A. 888話の時点では登場していません。紀元前232年生まれなので、いま描かれている紀元前229年はまだ幼い子どもです。
Q. 劉邦はキングダムに登場しますか?
A. 登場していません。劉邦は信たちと同じ時代に大人として生きていますが、沛の若者で、戦場にも宮廷にもいませんでした。
Q. 項羽と項燕はどういう関係ですか?
A. 項燕が項羽の祖父です。項燕の子の項梁が項羽の叔父で、項羽を育てました。
Q. キングダムと項羽と劉邦、どちらの時代が先ですか?
A. キングダムが先です。秦の統一が紀元前221年、項羽と劉邦の挙兵が紀元前209年で、楚漢戦争はそのあとです。
Q. 項翼は項羽の一族ですか?
A. 同じ「項」の名前ですが、作中で項羽と結びつける説明は出ていません。史実で項羽の祖父にあたるのは項燕です。
項羽はまだ9歳でした。信はいま何人将かも、史実の李牧も、項燕の記録も。
信のいまの階級信はいま何人将なのか?人将は卒業して将軍です。次は空席の新六大将軍・第六将!信は人将を卒業し、いまは将軍です。
史実の李牧像李牧は史実でどんな将軍なのか?守備の達人です。匈奴10万を破り、秦から領地も奪還!匈奴10万を破った李牧の史実の姿です。
項羽の祖父・項燕項燕は登場したのか?本編は名前だけ、史実では李信の20万を破った楚の虎です!項羽の祖父・項燕は本編に登場したのでしょうか。
この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月25日


コメントを残す