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【キングダム】扶蘇はなぜ登場しないのか?24巻261話で妊娠が判明した嬴政の長男の謎!

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扶蘇はなぜ登場しないのか

結論から言うと、扶蘇は嬴政(えいせい)の長男ですが、作中に姿は描かれず名前だけが登場します。毐国動乱編で命を狙われ、無事が報告された場面のみです。史実では始皇帝の後継者になるはずでした。

嬴政の子といえば、向との娘・麗が大きく取り上げられます。ところが実は、麗より先に懐妊していた宮女がいました。それが扶蘇の母です。この記事では、描かれない長男に何が起きるのかを追います。

この記事でわかること

  • 扶蘇が作中でどこに、どう出てくるのか
  • 史実での扶蘇と、その最期
  • 扶蘇を殺す人物が、すでに作中にいること(カイの読み)

作中での扶蘇

扶蘇は嬴政の長男です。向の妊娠が発覚した24巻261話で、実は向より先に別の宮女が懐妊していたとさりげなく明かされています。それが扶蘇でした。

登場するのは名前だけで、姿は描かれていません。名が出るのは毐国動乱編です。毐国の咸陽侵攻時、太子として毐国将軍・樊於期(はんおき)に命を狙われますが保護され、第434話で嬴政に無事が報告されます。

母親についても、向とは違う宮女であること以外、顔も名前も明らかになっていません。

史実に名の残る人物

扶蘇は史実に実在します。始皇帝には息子だけでも20余人いたとされ、そのうちよく名が知られているのが長子の扶蘇と末子の胡亥です。

始皇帝は扶蘇を太子に立てようとしていたと考えられていますが、実際に二代目皇帝になったのは胡亥でした。作中では麗の少し前、紀元前240年頃の誕生とされていますが、史実では生まれ年は明確になっていません。

焚書坑儒を諫めて左遷される

扶蘇は聡明で思いやりがあり、温厚な人物だったとされます。ところがその性質が、父との距離を決定的にしました。

焚書坑儒——諸子百家の書物を焼き捨てさせ、儒学者を生き埋めにした政策です。政治批判を強引に封じ込める思想弾圧でした。誰も始皇帝を諫められないなか、扶蘇だけが「まだ天下が平定されたばかりで、民を不安にさせるようなことはやめたほうがいい」という趣旨の諫言をします。

これが始皇帝の怒りを買い、扶蘇は匈奴征伐のため北方に駐屯していた蒙恬(もうてん)のもとへ左遷されました。

ただし別の見方もあります。蒙恬はこのとき匈奴征伐のために30万の兵を持っており、下手をすれば匈奴と手を組んで脅威になりかねません。その監視役として、能力を見込んで扶蘇を送ったとも言われています。どちらにせよ扶蘇はその後、名将・蒙恬と共に匈奴征伐に励みました。

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左遷なのか、大役なのか。史実がどちらとも取れる形で残っているのが面白いところです。
ただ、結果として扶蘇は咸陽から遠ざけられました。この一点が後の運命を決めます。
始皇帝が倒れたとき、扶蘇は都にいません。遺言を受け取るのも、伝えるのも、他人を介するしかない。
諫言した人間を遠くへやる。その判断が、自分の帝国を終わらせる引き金になりました。

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史実での最期——偽の遺書

扶蘇は紀元前210年に死去したとされます。父である始皇帝が亡くなったのと同じ年です。

始皇帝はそれまで後継者について語ってきませんでした。しかし紀元前210年の巡行中に倒れ、扶蘇に「咸陽に戻って自分の葬儀を執り行うように」との言を遺します。これは事実上「扶蘇に後を継がせる」という意味でした。

ところがこの巡行に同行し、遺言を預かった宦官がいました。趙高です。

趙高は始皇帝の崩御後、胡亥と李斯を抱き込み、遺書を書き換えます。そして偽の遺書を送りました。蒙恬と辺境に長く駐屯しながら何の成果も挙げず、それどころか私の行いを直言して誹謗した扶蘇は不孝であるから自決しろ。扶蘇の行いを矯正しなかった蒙恬も不忠であるから自決しろ——という内容です。

自分が教育係を務めてきた胡亥を皇帝にするため、ひいては自ら実権を握るために、趙高にとって扶蘇と蒙恬は邪魔でした。蒙恬は「真の遺書か確かめてからでも遅くない」と諫めますが、扶蘇は自決します。

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ここが、この記事でいちばん言いたいところです。
扶蘇を殺す趙高は、すでにキングダムに出ています。いま毐国編で、太后に付き従い、毐国の土台を作っている、あの宦官です。
作中の趙高は、まだ誰も殺していません。それどころか向を刺した人物として描かれるだけの、脇の存在に見えます。
ところが史実では、この男が偽の遺書一枚で長男と名将を同時に葬り、秦を滅亡へ向かわせます。
キングダムが趙高を丁寧に描いているのは、そのためだと思っています。いま積み上げているのは、扶蘇を殺す男の履歴書です。

麗との関係

扶蘇の母は向とは別の宮女なので、麗とは異母兄妹にあたります。母の懐妊が向より少し早かったため扶蘇が兄と考えられますが、出産時期はそれほど違わないでしょう。

作中で二人が交流する描写は、今のところありません。ただしキングダムは、嬴政と成蟜(せいきょう)という兄弟の確執から始まった作品です。その嬴政の子である二人がどういう関係になるのかは、気になるところです。

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麗は描かれ、扶蘇は描かれない。この差の理由は、母親にあると思っています。
麗の母・向は作品オリジナルの人物です。誕生も、育ちも、自由に描けます。
一方の扶蘇は実在の人物ですが、その母は史実に一切名が残っていません。始皇帝は皇后という地位を作らず、正室も側室も名が残っていないとされます。
実在する子を、実在しない母から生ませるわけにいかない。だから誕生の場面を描けなかったのではないでしょうか。
史実に縛られているからこそ扱いづらい。皮肉な話です。

今後、登場するのか

キングダムは秦の中華統一の過程を描く作品です。扶蘇が史実で名を残すのは統一後なので、このまま登場しない可能性はあります。信と嬴政の物語として完結するなら、麗以外の子を出す必要性は薄いからです。

ただし、中華統一の時点で扶蘇は20歳近いはずです。大王の長男としての存在感は確実に増しています。中華統一後まで描かれるなら、当然登場するでしょうし、それ以前に姿を見せる可能性もあります。

まとめ|扶蘇をどう読むか

扶蘇は嬴政の長男ですが、作中に姿は描かれず名前だけが出てきます。毐国動乱編で命を狙われ、無事が報告された場面だけです。

分かっている範囲を並べておきます。

  • 嬴政の長男。作中では名前のみで、姿は描かれていない
  • 毐国動乱編で樊於期に命を狙われ、434話で無事が報告された
  • 史実では焚書坑儒を諫めて左遷され、趙高の偽遺書で自決した
  • 扶蘇を殺す趙高は、すでに作中で動いている(カイの読み)

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作中では、生まれたことがさりげなく触れられただけの存在です。それでいて史実では、二代目皇帝になる寸前で謀略により命を落とし、その死が秦の滅亡を招いたとまで言われる人物です

キングダムが中華統一までを描く以上、扶蘇の登場は難しいのかもしれません。それでも趙高が丁寧に描かれている以上、期待してしまうところではあります。

——あなたは扶蘇が今後描かれると思いますか。統一までで物語は完結すると思いますか、それとも趙高の結末まで描かれると思いますか。よければコメントで、あなたの読み方を聞かせてください。

よくある質問

Q. 扶蘇はキングダムに登場しますか
A. 名前のみ登場し、姿は描かれていません。毐国動乱編で毐国将軍・樊於期に命を狙われるも保護され、第434話で嬴政に無事が報告される場面があります。

Q. 扶蘇は史実に実在しますか
A. 実在します。始皇帝の長子で、末子の胡亥と並んでよく名の知られた人物です。始皇帝は扶蘇を太子に立てようとしていたと考えられていますが、二代目皇帝になったのは胡亥でした。

Q. 扶蘇の最期はどうなりましたか
A. 紀元前210年、始皇帝と同じ年に死去しています。始皇帝は扶蘇に後を継がせる意の遺言を残しましたが、宦官の趙高が胡亥と李斯を抱き込んで遺書を書き換え、自決を命じる偽の遺書を送りました。

この記事の続きに

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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年8月8日

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