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田里弥は死亡したのか?
結論から言うと、田里弥は戦死しています。番吾の戦いで王翦を逃がす殿に立ち、73巻793話「本物の殿」で馬上のまま息絶えました。
王翦軍の第二将で、軍いちばんの知将と呼ばれた田里弥は、自分では矛を振るわない将でした。その人が最後に引き受けたのは、考える暇もない殿の役です。この記事では、田里弥が死亡した巻と話、番吾の戦いで何が起きたのか、第二将になるまでの歩み、そして田里弥が命と引き換えに逃がした王翦がいまどうしているかを順に見ていきます。
この記事でわかること
- 田里弥が死亡した巻・話と、同じ戦いで討たれた亜光
- 番吾の戦いで田里弥が殿に立った理由
- 第三将から第二将に上がるまでの歩み
- 対になっていた倉央との違い
- 田里弥が逃がした王翦は、79巻・80巻でどうしているか
- 知将が最後に殿を選んだ意味(カイの読み)
田里弥の死亡は何巻何話か
田里弥の最期が描かれるのは、73巻793話「本物の殿」です。一つ前の792話では、王翦軍の第一将・亜光が司馬尚に討たれています。王翦軍は二話続けて、軍の柱を二本失いました。
| 項目 | 田里弥 |
|---|---|
| 読み | でんりみ |
| 立場 | 王翦軍の第三将から第二将へ |
| 初登場 | 54巻583話(朱海平原の戦い) |
| 生死 | 73巻793話「本物の殿」で戦死 |
| 戦った場所 | 番吾の戦い(71巻770話〜73巻799話) |
| 同じ戦いで | 第一将の亜光が792話で司馬尚に討たれる |
| 史実 | 記録に名が無い、作品オリジナルの将 |
僕はこう読む
話の題が、そのまま田里弥のために付けられているのが分かります。
「本物の殿」という言い方は、それまでの殿が本物ではなかったと言っているのに近い。
時間を買うために、自分の命を最後の兵として差し出した。
知将がたどり着いた最後の采配を、原先生は一話の題でまるごと肯定したのだと読んでいます。
番吾の戦いで、田里弥はなぜ殿に立ったのか
番吾の戦いは71巻770話で始まり、73巻799話で決着しました。相手は李牧と、趙北部から現れた司馬尚です。「負けない戦しかしない」はずの王翦が、ここで初めて大きく崩れました。
司馬尚の軍は、王翦軍の読みを上回る強さで押してきました。まず亜光が792話で司馬尚に討たれ、王翦の本陣まで敵が届く形になります。残った田里弥が選んだのは、王翦を逃がすために、その場に留まって敵を受け止める役目でした。
田里弥はこのとき、すでに深い傷を負っていました。それでも撤退の号令を自分には出さず、兵を指揮し続けます。王翦には側近として力が足りなかったことを詫び、武運を祈る言葉を残しました。趙の兵が迫ったとき、田里弥は馬に乗ったまま、指揮をとる姿のまま息絶えていました。
王翦は田里弥と亜光に逃がされる形で戦場を離れ、命を拾っています。番吾で王翦軍が失ったのは、兵の数よりも、王翦の考えをいちばん深く読める二人でした。
僕はこう読む
田里弥の死に方が刺さるのは、いちばん向いていない役を引き受けたからだと思っています。
兵を賢く動かすことで価値を出してきた人が、最後は動けない場所に立った。
考える人が、考えるのをやめて立っていることを選んだ。
立ったまま息絶えていた姿は、殿として最後まで持ち場を離れなかった証拠として置かれているように見えます。
田里弥が第二将になるまで
田里弥は王翦軍の第三将として、54巻583話の朱海平原の戦いで初めて姿を見せました。王翦軍の第二将だった麻鉱は、49巻531話で李牧の急襲を受けて戦死しています。その空いた席に、田里弥が繰り上がりました。
朱海平原では中央軍を受け持ち、王翦のそばで戦況を読み続けました。作中で目立つのは、ひたすら考えている顔と「……」の沈黙のコマです。喋らないぶん、王翦の考えを測ろうとしている時間がそのまま描かれていました。
その後の武城・平陽攻めでも、軍議の中心になって話を進めています。味方である桓騎の計略にまで目を配るほど慎重で、その慎重さは最後まで崩れませんでした。田里弥の兵も同じ色に鍛えられていて、苦戦した相手には現場で攻め方を切り替えられる軍として描かれています。
対になっていた倉央
田里弥と同じ時期に王翦軍の将として出てきたのが、第四将の倉央です。二人は何もかも逆に作られています。
寡黙な田里弥に対して、倉央は軽口の多い明るい将です。田里弥がまず考えるのに対し、倉央はまず口に出します。王翦に遠慮のない物言いをする倉央を、田里弥がたしなめるのが二人のいつもの形でした。倉央は田里弥の軍の副官・山秀を「堅物ぞろいの田里弥軍で唯一笑える男」と評しています。この一言だけで、田里弥の軍の空気が伝わってきます。
将としての型も逆で、矛を振るわず知略で指揮する田里弥に対し、倉央は前線に入って兵を鼓舞する武闘派です。番吾の戦いのあとも生き残ったのは倉央のほうで、王翦軍のもとの四将のうち、残っているのは倉央ひとりになりました。
僕はこう読む
この二人を対に置いた意味は、田里弥の最期で回収されると思っています。
前に出るのは倉央の役目で、考えるのが田里弥の役目でした。
その分担を、最後の場面で田里弥のほうが破っている。
役を降りてまで守ったものが、そのまま王翦への忠義の答えになっています。
田里弥が逃がした王翦は死亡したのか
王翦は死亡していません。番吾で敗れたあとも秦の将として戦い続け、78巻からの趙完全攻略編では総大将を務めています。
2026年5月19日発売の79巻には857話から867話が入っていて、秦軍が趙へ全方位から攻め込む大きな戦いが続きます。山の民の楊端和とダントが中華十弓の青華雲に射抜かれるのは、その前の78巻(855話)です。最新の80巻は2026年8月19日に出ていて、雑誌の888話でも王翦は司馬尚の軍と向き合っています。
つまり、田里弥が793話で買った時間は、いまも続く趙攻めにそのままつながっています。
史実に田里弥はいない
キングダムは『史記』などの記録を下敷きにしていますが、田里弥は記録に名前の無い、作品オリジナルの将です。亜光・麻鉱・倉央も同じで、王翦軍の側近はみな原作が作った人物です。
史実の王翦は趙と楚を滅ぼした将軍として大きく名を残しました。記録に残るのは大将級の名前だけで、その王翦を支えた右腕が誰だったかは分かっていません。その空白に置かれたのが、田里弥たちです。
まとめ|田里弥は番吾で殿となり、王翦を逃がして戦死した
田里弥は戦死しています。73巻793話「本物の殿」で、王翦を逃がす殿として最後まで持ち場を離れず、馬上のまま息絶えました。
押さえておきたい事実を並べます。
- 最期は73巻793話「本物の殿」。番吾の戦いでの戦死
- 一つ前の792話で、第一将の亜光も司馬尚に討たれた
- 初登場は54巻583話の朱海平原。麻鉱の戦死で第二将に上がった
- 王翦軍のもとの四将で残るのは倉央ひとり
- 逃がした王翦は生きていて、79巻・80巻の趙完全攻略でも総大将
僕はこう読む
田里弥の「……」は、何も言っていないコマではありませんでした。
王翦の考えを測ろうとして、ずっと動いていた沈黙です。
その人が最後に選んだのが、言葉のいらない役目でした。
喋らない将の最期として、これ以上の置き方は無いと僕は思っています。
田里弥の死を王翦軍の損失と見るか、田里弥自身が選んだ最後の指揮と見るかで、番吾の戦いの重さはずいぶん違って見えます。
——あなたは田里弥の最期を、追い詰められた末の犠牲だと思いますか。それとも、知将が自分で選んだ最後の一手だと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
「本物の殿」という話の題が何を指しているのか、番吾のあと王翦軍がどうなったのかを気にする人が多いので、短く答えます。
Q. 田里弥は何巻何話で死亡しますか?
A. 73巻793話「本物の殿」です。番吾の戦いで深手を負ったまま殿を務め、王翦を逃がして馬上で息絶えました。
Q. 田里弥と同じ戦いで死んだのは誰ですか?
A. 王翦軍の第一将・亜光です。793話の一つ前、792話で司馬尚に討たれています。
Q. 田里弥が逃がした王翦は死亡しましたか?
A. 死亡していません。番吾で敗れたあとも、78巻からの趙完全攻略編で総大将を務めています。
Q. 田里弥はいつ第二将になったのですか?
A. 第二将だった麻鉱が、49巻531話で李牧の急襲を受けて戦死したあとです。第三将だった田里弥が繰り上がりました。
Q. 王翦軍の将で生き残っているのは誰ですか?
A. もとの四将のうち、生き残っているのは第四将だった倉央です。亜光と田里弥は番吾で、麻鉱は朱海平原で戦死しました。
Q. 田里弥は史実にいた人物ですか?
A. いません。記録に名前の無い、作品オリジナルの将です。
王翦軍を支えた側です。亜花錦も、宜安の戦いも、番吾のあとの王翦軍もその先に。
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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月26日


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