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合従軍編で最強は誰なのか?
結論から言うと、合従軍編の武将を一騎打ちの勝ち負けで並べると、1位は麃公を討った龐煖、2位は楚の汗明を倒した蒙武です。
合従軍編は、秦と楚・趙・魏・韓・燕の5か国が一度にぶつかった戦いです。名のある将が次々に一騎打ちをし、その勝ち負けがはっきり描かれました。この記事では、作中で誰が誰に勝ったかを根拠に強さのランキングを作り、そのうえで武ではなく知略で戦を動かした将を別に並べます。
この記事でわかること
- 合従軍編の強さランキング(一騎打ちの勝敗が根拠)
- 龐煖と蒙武、どちらが上と言えるのか
- 騰・麃公・臨武君・信の位置づけ
- 武ではなく知略で戦を動かした将
- 合従軍編で「最強」がひとつに決まらない理由(カイの読み)
合従軍編の強さランキング
並べ方の決まりは一つです。作中で一騎打ちをし、はっきり勝ち負けがついた相手を根拠にします。勝った相手が強いほど上に置きました。
| 順位 | 武将 | 根拠 |
|---|---|---|
| 1位 | 龐煖(趙) | 南道で麃公を討つ(30巻325話)。蕞では信に手傷を負わされ退く |
| 2位 | 蒙武(秦) | 楚の汗明を一騎打ちで倒す(29巻314話) |
| 3位 | 汗明(楚) | 楚の大将軍で「至強」を名乗る。蒙武の左腕を砕き、あと一歩まで追い込んだ |
| 4位 | 騰(秦) | 初日に楚の臨武君を一騎打ちで討つ(26巻283話) |
| 5位 | 麃公(秦) | 龐煖に敗れるが、その片腕を折った |
| 6位 | 臨武君(楚) | 騰軍の同金を一撃で倒し、録嗚未を押し込む。騰に敗れる |
| 7位 | 信(秦) | 趙の万極を討ち(27巻287話)、蕞で龐煖に手傷を負わせる |
1位の龐煖と2位の蒙武|どちらが上か
龐煖を1位にしたのは、麃公という秦の大将軍を一騎打ちで討っているからです。南道で李牧を追った麃公は、李牧の前に割って入った龐煖と戦い、30巻325話で討たれました。龐煖はそれ以前にも、馬陽で王騎を討っています。
ただ、龐煖も無傷ではありません。麃公は左腕を失いながら右手一本で龐煖を押し込み、龐煖の片腕を折りました。さらに蕞では、信が龐煖の胸を突き、顔を斬りつけて退かせています。
2位の蒙武は、合従軍の「武の象徴」だった楚の汗明を一騎打ちで倒しました。序盤は汗明に押され、左腕を砕かれて負けかけながら、最後に汗明の頭を砕いています。龐煖と蒙武は合従軍編で戦っていないので、どちらが上かは作中では決まっていません。勝った相手の格で並べると、大将軍を討った龐煖が一歩上、という順です。
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龐煖は一騎打ちでは勝っているのに、合従軍編の終わりには信に退けられています。
強い相手ほど、最後の一撃で龐煖の体に傷を残していきました。
龐煖の強さは、倒した相手の数ではなく、倒した相手に削られていく重さで描かれていると思っています。
麃公の片腕と信の一太刀は、58巻の決着につながる最初の傷でした。
3位から7位|汗明・騰・麃公・臨武君・信
3位の汗明は、蒙武に敗れたとはいえ、その蒙武をあと一歩まで追い詰めた楚の大将軍です。自ら「至強」を名乗るほどの武の持ち主でした。
4位の騰は、開戦初日に楚の第一陣を率いる臨武君を一騎打ちで討っています。王騎の副官として長く陰に隠れていた騰が、はっきり自分の武を見せた場面です。
5位の麃公は龐煖に敗れていますが、片腕を折った働きは他の誰にもできなかったものです。6位の臨武君は、王騎軍の軍長の同金を一撃で倒し、録嗚未を力で押し込みました。7位の信は、長平の生き残りで秦を恨む趙の万極を討ち、蕞では龐煖に手傷を負わせて退かせています。このとき信はまだ千人将でした。
武ではなく知略で戦を動かした将
一騎打ちの強さとは別に、合従軍編の勝ち負けを決めたのは知略の将たちでした。ランキングとは分けて並べます。
| 武将 | 知略で果たした役割 |
|---|---|
| 李牧(趙) | 合従軍を組み、開戦から兵を南道に回して咸陽を狙った |
| 昌平君(秦) | 軍総司令として函谷関に将を割り振り、合従軍を受け止める策を組んだ |
| 王翦(秦) | 燕のオルドを翻弄し、15日目に函谷関の裏手を救った |
| 媧燐(楚) | 正面を目くらましに、別働隊を函谷関の裏へ回した |
| 嬴政(秦) | 蕞に自ら入り、民を兵に変えて7日間守らせた |
昌平君は、何百回と模擬戦を重ねて、5回に1回は勝てる策をようやく見いだしたとされます。まだ国に入っていない斉を開戦前に抜けさせ、残る5か国に長い戦をさせない形を作ったのも、この策の一部でした。李牧のほうは、南道へ回す兵を各国から千騎ずつ出させています。咸陽を落としても手柄を趙だけのものにしないための、連合への気配りでした。
媧燐は、戦象で騰の本陣を乱し、蒙武と汗明の一騎打ちに横槍を入れ、項翼を五千人将に抜擢して騰軍にぶつけるなど、正面で自由に動き回りました。その全部が、別働隊を誰にも気づかれずに函谷関の裏へ届けるための目くらましだったのです。
そして楊端和は、北の大勢力バンコ族と戦っている最中に、秦への援軍を選びました。計算では8日かかる道のりを7日で走り、蕞の7日目に間に合っています。その蕞を7日間もたせたのは、自ら城に入った嬴政でした。けが人や老人、女や子どもばかりの住民を前に、嬴政は共に血を流すために来たと語り、民を兵に変えています。
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合従軍編の一騎打ちは、勝った側がそのまま戦にも勝ったとは限りません。
龐煖は麃公を討ちましたが、趙は蕞を落とせなかった。
武の最強と、戦を決めた人が別々にいるのが、この編のいちばん面白いところだと思っています。
まとめ|合従軍編の最強は龐煖、戦を決めたのは知略と王
一騎打ちの勝ち負けで並べると、合従軍編の最強は麃公を討った龐煖、2位は汗明を倒した蒙武です。
押さえておきたい点を並べます。
- 1位 龐煖:麃公を討つ(30巻325話)。ただし片腕を折られ、蕞で信に退けられた
- 2位 蒙武:汗明を一騎打ちで倒した(29巻314話)
- 3位 汗明、4位 騰(臨武君を討つ、26巻283話)、5位 麃公
- 6位 臨武君、7位 信(万極を討つ、27巻287話)
- 知略では李牧・昌平君・王翦・媧燐、そして蕞の嬴政が戦を動かした
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ランキングの7位に、まだ千人将の信が入ります。
合従軍編は、大将軍たちの力比べの中に、信が初めて顔を出した戦いでした。
この表の一番下の名前が、いずれ一番上の龐煖を討つところまで含めて、合従軍編の強さの話だと僕は読んでいます。
合従軍編の最強を「一騎打ちで勝った龐煖」と見るか、「戦を決めた王翦や嬴政」と見るかで、この編の読み方はずいぶん変わってきます。
——あなたは合従軍編の最強を、一騎打ちで勝った龐煖だと思いますか。それとも、戦を決めた王翦や嬴政だと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
「合従軍で一番強いのは誰か」「龐煖と蒙武はどちらが上か」を確かめに来る人が多いので、作中の一騎打ちから短く答えます。
Q. 合従軍編で一番強いのは誰ですか?
A. 一騎打ちの勝敗で見ると龐煖です。南道で秦の大将軍・麃公を討ちました。
Q. 龐煖と蒙武はどちらが強いですか?
A. 合従軍編で二人は戦っていないので、作中では決まっていません。大将軍の麃公を討った龐煖を上に置きました。
Q. 汗明を倒したのは誰ですか?
A. 蒙武です。一騎打ちで左腕を砕かれながら押し返し、29巻314話で汗明を倒しました。
Q. 合従軍編で信は誰を討ちましたか?
A. 趙の万極です。27巻287話で討ちました。蕞では龐煖に手傷を負わせて退かせています。
Q. 合従軍編で一番の功労者は誰ですか?
A. 武なら汗明を倒した蒙武、知略なら函谷関の裏手を救った王翦、そして蕞で民を立たせた嬴政が挙げられます。
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最終更新:2026年9月26日


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