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玉鳳隊のメンバーは誰なのか?
結論から言うと、玉鳳隊の隊長は王賁、副長は教育係の番陽です。そこに関常・松琢・宮康・亜花錦が加わり、宮康は朱海平原で戦死しました。
玉鳳隊は、王家の嫡男・王賁が率いる部隊です。飛信隊が下僕上がりの信から始まった隊なら、玉鳳隊は最初から貴士族の若者を集めた精鋭でした。その隊に、王翦軍から関常が、亜光軍から亜花錦が移ってきて、隊の色が変わっていきます。この記事では、メンバーの顔ぶれと役割、三百人隊が玉鳳軍になるまでの流れ、主な戦い、史実の王賁、そして実写のキャストまでを順に見ていきます。
この記事でわかること
- 玉鳳隊のメンバーと、それぞれの役割
- 戦死した宮康の最期と、残された松琢
- 三百人隊から玉鳳軍になるまでの流れ
- 玉鳳隊が挙げた主な戦果
- 史実の王賁と、実写『魂の決戦』のキャスト
- 玉鳳隊が強くなった本当の理由(カイの読み)
玉鳳隊のメンバー一覧と役割
主なメンバーを並べます。王賁の下に、古くからの側近と、王翦軍から来た将が並ぶ形です。
| 名前 | 立場とその後 |
|---|---|
| 王賁(おうほん) | 隊長。王翦の息子で王家の嫡男。いまは将軍として玉鳳軍を率いる |
| 番陽(ばんよう) | 副長。幼いころからの教育係。影丘では岳白軍に討たれかけ、羌礼たちに救われる |
| 関常(かんじょう) | 元王翦軍の千人将。王賁の目付け役のように見られていた。番吾のあと将軍に |
| 宮康(きゅうこう) | 関常の側近。朱海平原13日目、王賁を逃がす殿に残り、十槍に討たれて戦死 |
| 松琢(しょうたく) | 関常の側近。宮康とは「兄弟」と呼び合う仲で、その最期を看取った |
| 亜花錦(あかきん) | 元亜光軍の千人将。「悪童」と呼ばれた問題児で、鄴のあと玉鳳へ。番吾のあと将軍に |
番陽は、飛信隊や楽華隊に王賁以上にきつい言葉をぶつける老将です。それでも信や蒙恬の実力は内心で認めていて、口の悪さは王賁を守りたい気持ちの裏返しとして描かれています。
関常は軽口の多い男ですが、実力は将軍に並ぶと言われていました。王翦軍の出なので、王賁に父の軍のことを教える役も担っています。亜花錦は命令を無視して勝手に動くことが多いのに、王賁はそれを黙って許しています。関常は亜花錦を「軍才は亜光軍一」と評していました。
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この顔ぶれで面白いのは、王賁の周りに「王賁に従わない人」が増えていくことです。
番陽は育ての親、関常は父の軍から来た目付け、亜花錦は命令を聞かない悪童。
貴士族の精鋭だけを集めた隊が、よそ者を抱えるほど強くなっていった。
王賁が隊長として変わったのは、槍の腕ではなく、この人たちを使いこなせるようになったところだと思っています。
宮康の最期と、松琢に残した言葉
玉鳳隊の古参で戦死したのが宮康です。鄴攻めの朱海平原13日目、尭雲に敗れた王賁を逃がすため、宮康は自分から殿を引き受けました。そこで尭雲の配下「十槍」に討たれています。
宮康は、長年いっしょに戦ってきた松琢に王賁を託して息を引き取りました。昔から二人で「熱くなりすぎず、しぶとく生きるぞ」と言い合ってきたのに、そうはいかなかった。それでも「賁様は命をかけて守るに足るお方だ」と言い残しています。
松琢はその最期を看取り、以後は十槍を討つことに執着していきます。
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宮康と松琢は、もともと関常の部下です。
つまり王翦軍から来た「外の人間」が、王賁のために命を捨てたことになります。
玉鳳隊が王一族の私兵から、王賁個人に人がついてくる隊に変わった瞬間だと読んでいます。
「守るに足るお方」という言い方には、生まれではなく王賁その人を見て決めた、という重さがあります。
三百人隊から玉鳳軍になるまで
玉鳳隊は、山陽攻めの時点では三百人の隊でした。そこから王賁の出世とともに大きくなり、いまは「玉鳳軍」と呼ばれる規模になっています。
| 時期 | 玉鳳隊の規模と出来事 |
|---|---|
| 山陽編 | 三百人隊。自前の井蘭車を持ち込んで城攻めで武功を立てる |
| 合従軍編 | 騰軍に入り、王賁は臨時の五千人将に |
| 著雍編 | 五千人隊に増員。関常が合流し、魏火龍・紫伯を王賁が討つ |
| 鄴編 | 朱海平原で宮康が戦死。最終日に王賁が尭雲を討ち、将軍に上がる |
| 影丘の戦い | 桓騎の指揮で難所を攻め、王賁が重体。亜花錦の別動隊が挟み撃ちを決める |
| 番吾の敗戦のあと | 関常と亜花錦が将軍になり、玉鳳軍として大軍を率いる形に |
| 始皇十六〜十七年 | 水軍で魏の洛紫城を落とし、韓を救いに来た呉鳳明・凱孟の軍と戦う |
| 始皇十八年 | 趙との全面戦争で、代の霊咒公の軍と向き合う |
著雍では、王賁が総大将の騰に作戦を献策しています。玉鳳隊・飛信隊・録嗚未軍の三つが、別々の道から同じ日の同じ刻に魏軍本陣へ届くという策でした。玉鳳隊はその主攻の一つを担い、王賁は魏国史最強の槍使いと言われた紫伯を三日目の再戦で討っています。
番吾での大敗のあと、秦は立て直しのために軍を組み直しました。そこで玉鳳は、将軍を三人抱える一つの軍になっています。韓を攻める戦いでは、魏が韓へ援軍を出さないよう、玉鳳軍が魏を押さえる役を引き受けました。
初期の玉鳳隊は、全員が騎馬で、武具もそろった貴士族の英才集団でした。そのぶん名門意識が強く、泥臭い戦いは苦手だと見られていました。影丘の難所攻めは、その玉鳳がいちばん泥にまみれた戦いです。隊は壊滅に近い状態になり、飛信隊に後を託す形になりました。
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山陽で井蘭車を自前で持ってきた隊が、影丘では山道を三日かけて馬を引いて登っています。
お金と家柄で勝っていた隊が、足と根気で勝つ隊に変わった。
玉鳳の成長は、人数よりも「勝ち方の幅」が増えたことに出ていると思っています。
亜花錦が加わったのは、その幅を広げる役を担う人間が必要だったからでしょう。
史実の王賁と、玉鳳隊という名前
王賁は『史記』に名が残る実在の将軍です。ただし玉鳳隊という部隊名は『史記』には出てきません。隊の名前も、番陽や関常たちも、キングダムが作ったものです。
- 紀元前225年、魏を攻め、黄河の水を引いて都の大梁を水攻めにする。魏王が降伏
- 紀元前222年、燕の遼東を攻めて燕王喜を捕らえ、続いて代王嘉も捕らえる
- 紀元前221年、燕の南から斉に攻め入り、斉王建を捕らえる
史実どおりに進むなら、玉鳳軍はこの先、魏の都を水で落とす戦いに向かうことになります。始皇十六年に水軍で魏の洛紫城を落としたのは、その前触れのようにも読めます。
実写『キングダム 魂の決戦』の玉鳳隊
2026年7月17日公開の第5作『キングダム 魂の決戦』で、玉鳳隊が実写に登場しました。王賁を演じたのは神尾楓珠さん、番陽は山中アラタさんです。作品は合従軍編を描いていて、王賁は槍で項翼と一騎打ちに臨みます。
アニメで王賁の声を担当しているのは細谷佳正さんです。
まとめ|玉鳳隊は王賁の隊から、王賁に人がついてくる軍になった
玉鳳隊の隊長は王賁、副長は番陽です。関常・松琢・宮康・亜花錦が加わり、宮康は朱海平原で戦死しました。
押さえておきたい事実を並べます。
- 隊長は王賁、副長は教育係の番陽
- 関常・宮康・松琢は王翦軍から、亜花錦は亜光軍から来た
- 宮康は朱海平原13日目、王賁を逃がす殿に残って戦死
- 三百人隊から始まり、番吾のあと関常と亜花錦が将軍に
- 実写『魂の決戦』では王賁を神尾楓珠さん、番陽を山中アラタさんが演じた
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飛信隊は、仲間が死ぬたびに信が前に出て強くなる隊です。
玉鳳隊は逆で、王賁が一歩引いて人を使えるようになるほど強くなりました。
同じ世代の三隊で、隊長の育ち方がいちばん違うのが玉鳳だと僕は読んでいます。
玉鳳隊を「王家の精鋭部隊」と見るか、「よそ者が集まって王賁を支える軍」と見るかで、宮康の最期の重さはずいぶん違って見えてきます。
——あなたは玉鳳隊を、王家が用意した精鋭の隊だと思いますか。それとも、王賁に惚れた人が集まった隊だと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
玉鳳隊は宮康の戦死と、関常・亜花錦の将軍昇進で顔ぶれの見え方が変わるので、そこから短く答えます。
Q. 玉鳳隊の隊長は誰ですか?
A. 王翦の息子で王家の嫡男、王賁です。いまは将軍になり、玉鳳軍を率いています。
Q. 玉鳳隊で死亡したのは誰ですか?
A. 宮康です。朱海平原13日目に王賁を逃がす殿を引き受け、尭雲の十槍に討たれました。
Q. 番陽はどんな人物ですか?
A. 玉鳳隊の副長で、幼いころから王賁を育ててきた教育係の老将です。
Q. 関常と亜花錦はいまどうなっていますか?
A. 番吾の敗戦のあとに二人とも将軍へ昇進し、玉鳳軍の将として戦っています。
Q. 玉鳳隊は実写に出ていますか?
A. 第5作『キングダム 魂の決戦』(2026年)に登場し、王賁を神尾楓珠さん、番陽を山中アラタさんが演じています。
Q. 玉鳳隊は史実に存在しますか?
A. 部隊名は『史記』にありません。王賁は実在の将軍で、魏・燕・斉を攻め落としたと記録されています。
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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月26日


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