本ページはプロモーションが含まれています
山の民とは何者なのか
結論から言うと、山の民は秦の西の山界に住む部族の集まりで、王の楊端和(ようたんわ)が武力でまとめた勢力です。嬴政との盟で秦の味方になり、合従軍では蕞を救いました。
異形の仮面をかぶり、言葉も通じない戦士たちが、秦が滅びかけるたびに山から降りてくる。キングダムの山の民は、味方なのに得体の知れない一族として描かれてきました。この記事では、山の民がどんな部族でできているのか、なぜ秦の味方をしているのか、合従軍で楊端和たちがどこにいたのかを順に見ていきます。
この記事でわかること
- 山の民の成り立ちと、楊端和の立場
- 山の民の部族と主な人物の一覧
- 山の民はなぜ秦の味方なのか
- 合従軍の函谷関の戦いに楊端和はいたのか
- 山の民はなぜ死なないと言われるのか
- 山の民が本当に求めているもの(カイの読み)
山の民の成り立ちと楊端和
山の民が住むのは、秦の西に広がる山界です。ひとつの国ではなく、言葉も習慣も違う部族の集まりで、どの部族かは仮面の形で分かります。中華の国々とは別の秩序で生きてきた人々で、姿や言葉が違うというだけで、中華からは長く異物として恐れられ、排除されてきました。
その山界を数百年ぶりに武力でまとめ上げたのが、「山界の死王」と呼ばれる楊端和です。倒した部族を滅ぼさず、仲間として配下に加えていくやり方で勢力を広げ、王でありながら、安全な場所から命令を下すのではなく、自分も前線で剣を振るいます。山の民が楊端和に従うのは、血筋ではなく、いちばん危ないところに自分が行くその姿を見ているからです。美しい素顔と「死王」という異名の落差が、楊端和の印象を強くしています。
大事なのは、楊端和が中華の身分秩序の外にいて、秦の臣下ではないことです。嬴政とは盟を結んだ同盟者で、秦から見れば指揮系統の外にある独立した勢力です。誰の命令も受けずに戦場に現れ、自分の判断で兵を退くこともできる。のちに秦の新六大将軍の第四将にも任じられますが、戦場に連れていくのは山の民で、山界の王であることはやめていません。
山の民の部族と主な人物の一覧
作中で名前が出てくる部族と、それぞれの主な人物を並べます。
| 部族 | 主な人物 | 描かれたこと |
|---|---|---|
| バジ族 | バジオウ | 戦で滅び、バジオウがただ一人の生き残り。楊端和の右腕 |
| 鳥牙族 | シュンメン(族長) | 王都奪還でも蕞の救援でも前に出る |
| フィゴ族 | フィゴ王ダント | 楊端和軍屈指の大族。死闘の末に傘下へ。初登場は48巻518話 |
| メラ族 | カタリ、キタリ | 角の付いた仮面。兄カタリの死後、妹キタリが族長を継いだ |
| 猿手族 | エンポじぃ | 崖や城壁を登る。橑陽城を一夜で占拠した |
| 犬戎族 | ロゾ(犬戎王)と三兄弟 | 橑陽の戦いの敵。574話で楊端和の側に降る |
| 百眼族 | ハダマ(族長)、ウダマ | 857話、楊端和が倒れた本陣の指揮を執りに来る |
| マジュハン族 | — | 856話、矢を受けた楊端和を後方の天幕で手当てする |
このほか、岩のような巨漢のタジフや、成蟜に飼われていたランカイも山の民の軍にいます。タジフは覚えたての中華の挨拶を「コンニチマ」と口にし、メラ族のカタリは「強くて優しい太陽」と慕われていました。仮面の下の顔が、少しずつ見えてくる一族です。
一覧のうち犬戎族は、もとは楊端和の敵でした。鄴攻めの橑陽で犬戎王ロゾと戦い、ダントが囮になってロゾを馬から落とし、壁が背後からロゾを討ち取ります(53巻573話)。そのあと猿手族が橑陽城を占拠し、犬戎族は楊端和に降りました。倒した相手を仲間に変えるやり方が、そのまま描かれた場面です。
僕はこう読む
一覧にすると、山の民の軍は「かつて戦った相手」でできていることが分かります。
フィゴ族も死闘の末に加わり、犬戎族も敵として戦ったあとに降りました。
楊端和の軍は、勝つたびに大きくなる軍です。
嬴政が中華でやろうとしていることを、楊端和は山界で先にやり終えていた。
二人が盟を結べたのは、同じことを考える王どうしだったからだと読んでいます。
山の民はなぜ秦の味方なのか
秦と山の民の縁は、およそ四百年前の穆公の時代にさかのぼります。このとき両者は盟を結んでいました。ところが穆公の死後、盟を捨てたのは秦の側で、山の民は長く迫害される側に回ります。それでも穆公と山の民が過ごした避暑地は、山の民の手で手入れされ続けていました。
関係がいちばん冷えきっていたのが、王都奪還編です。弟の成蟜に王宮を奪われた嬴政が、援軍を頼みに山界を訪ねます。楊端和は過去の迫害を理由に、嬴政の首をはねると言い放ちました。
そこで嬴政は、憎しみで人を斬るのではなく、国や民族の垣根を取り払うために中華を統一する最初の王になると宣言します。従属ではなく同盟。この申し出が、「世界を広げたい」と考えていた楊端和の思いと重なりました。楊端和は配下に向かってこう告げます。
「山界の王楊端和は 秦王嬴政とかつてない強固な盟を結ぶ!!」
この盟で山の民は咸陽へ降り、成蟜の反乱を鎮めました。山の民が秦に協力するのは、命令されたからでも、助けてもらうためでもありません。嬴政が差し出したのが「同盟」という対等な形だったからです。
僕はこう読む
楊端和が欲しいのは、土地でも財でもないと思っています。「山の民は野蛮な連中ではない」と中華に認めさせることです。
だから山の民は、援軍としてこっそり働くのではなく、必ず山の民の姿のまま戦場に出る。あの異形の面は、隠すためではなく見せるためのものだと読んでいます。
助けられる側でいる限り、対等にはなれない。助ける側に回ることでしか、並ぶことはできない。山の民が危ない戦場に何度も降りてくるのは、そのためだと思います。
合従軍の函谷関の戦いに楊端和と山の民はいたのか
楊端和と山の民は、函谷関の戦いにはいません。合従軍が函谷関に攻め寄せていたころ、楊端和の軍は北方で遠征の最中でした。山の民が戦ったのは、函谷関ではなく咸陽の手前の蕞です。
函谷関を抜けないと見た李牧は、別働隊で南の道から咸陽を目指し、蕞を攻めます。嬴政は自ら蕞に入る前に、山の民へ援軍を頼む使者を送っていました。着くまでに見込まれたのは8日。その間、兵の少ない蕞を嬴政と民が守り続けます。
| いつ | 山の民がしたこと |
|---|---|
| 函谷関の戦い | 北方で遠征中。函谷関にはいない |
| 蕞の防衛7日目(32巻345話・346話) | 城門が破られた日に、見込みより1日早く到着 |
| 到着のあと | 李牧が撤退。龐煖は李牧を逃がす殿として山の民と戦い、生き延びる |
| 論功行賞(33巻355話) | 楊端和が秦の爵位「大上造」と宝物30点を授かる |
山の上に並んだ援軍の中には、バジオウ、タジフ、シュンメンといった、王都奪還編で信と肩を並べた顔もありました。秦と山の民の盟は伏せられていて、李牧は山界から援軍が来ることを読んでいなかった。李牧の計算の外から来た援軍が、合従軍を退かせたことになります。
大上造は、秦の20ある爵位のうち上から5番目の位です。他国の王に秦の高い爵位を与えたことが、山の民の働きの大きさを物語っています。
僕はこう読む
函谷関に山の民がいなかったことに、意味があると思っています。
函谷関は秦の将軍たちが守った戦いで、そこに山の民がいれば「強い援軍のひとつ」で終わっていました。
いちばん最後、秦の将軍が誰も間に合わない場所に、秦の外の味方が来た。
王都奪還で嬴政が差し出した盟が、十数巻あとに返ってきた形です。
山の民はなぜ死なないと言われるのか
山の民の主だった者は、「死んだ」と思わせて生きていた場面が続きます。死なないと言われるのは、そのためです。
- 橑陽の戦いで、574話にシュンメンがバジオウの死を伝えたが、575話で嘘と分かり、バジオウは重傷ながら生きていた
- 趙との戦いの855話で、楊端和が青華雲の矢を胸に受けて落馬したが、856話で急所を外れていたと分かった
- 同じ855話で首を射抜かれたフィゴ王ダントも、856話では即死を免れて意識を失った状態だと語られている
ただ、山の民が誰も死なないわけではありません。メラ族のカタリは、橑陽の戦いで犬戎の恐将ブネンに刺され、564話で命を落としています。その仇を討ったのが、族長を継いだ妹のキタリでした(572話)。
山の民は近づいて斬り合えば強い一方で、遠くからの弓には弱い。趙の李牧はそこを突き、中華十弓の一位・青華雲に楊端和とダントを狙わせました。ダントが倒れる前に伝令へ託した「近づくな」の警告が、楊端和の命を拾っています。
山の民にモデルはいたのか
楊端和が束ねるような、仮面の部族をまとめた「山の民」という国は、『史記』には出てきません。史実の楊端和も、山の民の王ではなく秦の将軍として名前が出るだけです。
ただ、秦の西や北には「戎」と呼ばれる人々がいて、作中の犬戎の名も史記に残っています。秦の穆公は戎と深く関わり、西戎の覇者になりました。四百年前の穆公の盟という作中の設定は、この史実の関わりと年数がかみ合っています。
まとめ
山の民は、秦の西の山界に住む部族の集まりで、楊端和が武力でひとつにまとめた勢力です。嬴政が差し出した同盟で秦の味方になり、合従軍編では函谷関ではなく蕞を救いました。
押さえておきたい点を並べます。
- 山の民はひとつの国ではなく、仮面で分かれる部族の集まり
- バジ族・鳥牙族・フィゴ族・メラ族・猿手族・犬戎族・百眼族などがいる
- 穆公の盟を秦が捨て、長く迫害されてきた
- 王都奪還編で、嬴政の「同盟」を楊端和が受けた
- 合従軍編では函谷関にはおらず、蕞の7日目に到着した(32巻345話)
- 楊端和は同盟者のまま、新六大将軍の第四将にもなった
僕はこう読む
この作品には「王とは何か」という問いが何本も走っています。
嬴政は光を掲げる王、成蟜は血を誇る王、そして楊端和は自分の民の名誉のために戦う王です。
面白いのは、楊端和が中華統一そのものにはあまり関心がなさそうに見えることです。秦が勝つかどうかより、山の民がどう扱われるか。判断の基準がずっとそこにあります。
この作品では、個人的な理由で動く人間ほど強いという描かれ方がされています。だから楊端和は、何度でも山を降りてこられるのだと思っています。
山の民が秦と組む理由を、山界の実利のためと見るか、扱われ方そのものを変えるためと見るかで、山から降りてくる場面の重さが変わってきます。
——あなたは山の民が秦と組む理由を、山界の実利のためだと思いますか。それとも、山の民の扱われ方そのものを変えるためだと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
山の民については、部族の顔ぶれと、合従軍でどこにいたのかをよく聞かれます。要点だけ置いておきます。
Q. 山の民とは何ですか。
A. 秦の西の山界に住む、言葉も習慣も違う部族の集まりです。王の楊端和が武力でひとつにまとめ、嬴政と盟を結んで秦の味方をしています。
Q. 山の民にはどんな部族がいますか。
A. バジ族(バジオウ)、鳥牙族(シュンメン)、フィゴ族(ダント)、メラ族(カタリ・キタリ)、猿手族(エンポじぃ)、犬戎族(ロゾ)、百眼族(ハダマ)などがいます。
Q. 山の民はなぜ秦に協力するのですか。
A. 王都奪還編で、嬴政が従属ではなく同盟という形を差し出したからです。かつて盟を捨てた秦の王が、垣根をなくす統一を掲げたことで、楊端和が盟を結び直しました。
Q. 合従軍で楊端和は函谷関にいましたか。
A. いません。函谷関の戦いのころは北方で遠征中で、蕞の防衛7日目に到着しました(32巻345話)。李牧はこの援軍で撤退しています。
Q. 楊端和は秦の将軍なのですか。
A. 秦の臣下ではなく、山界の王として嬴政と盟を結んだ同盟者です。そのうえで、のちに新六大将軍の第四将にも任じられています。
Q. なぜ楊端和は「死王」と呼ばれるのですか。
A. 戦いで容赦がなく、山の民の流儀で敵を討つためです。ただし民のために自ら最前線に立つ王でもあり、恐れと敬意が同居した呼び名だと読めます。
山の民の続きです。女王の楊端和、バジ族のバジオウ、蕞への援軍へ。
山の民の女王楊端和とは何者なのか?山の民の女王で六大将軍、死亡しておらず実写は長澤まさみ!山の民を束ねる楊端和は、いまは新六大将軍の第四将です。
女王の右腕バジオウとは何者か?バジ族最後の生き残りで死亡しておらず、素顔は570話の左目だけ!バジオウはバジ族最後の生き残りです。
蕞に来た援軍山の民の援軍は何日目に来たのか?8日の見込みを7日で、蕞の城門が破られた日に到着!山の民の援軍が蕞に着いたのは、防衛7日目でした。
この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年10月8日


コメントを残す