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著雍の戦いの結果はどうなったのか
結論から言うと、著雍の戦いは秦の勝利です。魏火龍七師の霊凰と紫伯が討たれ、魏の総大将・呉鳳明は著雍を捨てて退きました。
著雍(ちょよう)の戦いは、秦が魏の要所・著雍を奪いにいった戦です。単行本では35巻379話から37巻まで、アニメでは第4シリーズの第6話から第12話で描かれました。この記事では、戦いの流れ、勝敗を決めた三軍同日同刻の策、死亡した将と生き残った将、論功行賞での昇格、そして史実との関係までを順に見ていきます。
この記事でわかること
- 著雍の戦いの結果と、何巻何話・アニメ何話か
- 秦と魏の顔ぶれ
- 王賁が考えた三軍同日同刻進軍
- 死亡した将と、生き残った凱孟
- 論功行賞で騰・信・王賁・羌瘣はどう上がったか
- 著雍の戦いが物語で果たした役目(カイの読み)
著雍の戦いの早見表
先に、結果と基本の情報を一つの表にまとめます。いちばん知りたい答えは、色のついた行です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 結果 | 秦の勝利。魏軍本陣が落ち、著雍を奪取 |
| 死亡した将 | 霊凰(信が討つ)と紫伯(王賁が討つ) |
| 原作 | 35巻379話から37巻402話 |
| アニメ | 第4シリーズ第6話から第12話(2022年放送) |
| 秦の大将 | 騰。援軍に玉鳳隊と飛信隊 |
| 魏の大将 | 呉鳳明。牢から出した魏火龍七師の3人を投入 |
| 論功行賞 | 騰が大将軍、信と王賁が五千人将、羌瘣が三千人将 |
なぜ著雍を取りにいったのか
秦は山陽を取ったあと、中華へ出ていく道を広げようとしていました。ところが合従軍のあと、李牧と春申君が国境を書き換え、秦の前に著雍という壁が置かれます。著雍を取らないかぎり、秦は東へ出られません。
秦は騰を大将に著雍一帯へ攻め込みます。魏は、魏国第一将の呉鳳明を大将として迎え撃ちました。呉鳳明が本陣に入ったと察した騰は、周りの戦場にいた玉鳳隊と飛信隊を呼び寄せます。対する呉鳳明は、14年間牢に閉じ込められていた魏火龍七師の霊凰・紫伯・凱孟を出してきました。
ここから、紫伯と王賁、凱孟と信、霊凰と騰という組み合わせで、新しい世代と古い世代がぶつかる戦になります。
勝敗を決めた三軍同日同刻進軍
呉鳳明の陣は、山や川に合わせて軍を置き、どこを攻められても本陣からすぐ援軍が出せる形でした。河了貂が見ても隙が見つからない、ひとつの要塞のような布陣です。
そこで王賁が出したのが、三軍同日同時刻進軍でした。遮るものがあって伝令や援軍が少しだけ遅れる3か所に、それぞれ主攻を置きます。そして3つの軍が同じ日の同じ時刻、三日目に日が真上に昇るときに、魏軍本陣へ同時に突っ込むという策です。
主攻を任されたのは、録嗚未軍・玉鳳隊・飛信隊の3つでした。いちばん警戒されている騰の本軍は、あえて囮になって呉鳳明の目を引きつけます。突破力なら騰軍の干央もいましたが、王賁は干央には融通が利かないところがあるとして主攻から外しています。3つの軍どうしに連絡はなく、決めごとは「三日目の昼」だけでした。出足の遅かった録嗚未も「俺の軍は走り出せば止まることはない」と言い切り、三日目の昼にきっちり本陣へ突っ込んでいます。
僕はこう読む
「三日目の昼」しか決めないという策は、味方を信じる策です。
連絡も取れない3つの軍が、それぞれの敵を抜いて同じ時刻に着くと信じる。
王賁が信の飛信隊を主攻に入れた時点で、口では認めない相手を戦で認めている。
この策そのものが、若い世代の結束の証になっていると思っています。
王賁はなぜ王翦軍の援軍を断ったのか
著雍のとき、王賁の父・王翦の軍は北の拡陽に陣取っていました。著雍から比較的近く、騰軍ははじめ王翦軍にも援軍を頼むつもりでした。王翦本人も、要請が来ると見ていたほどです。
それを止めたのが王賁でした。王翦軍を呼ぶのは絶対にやめろと言い切り、理由を2つ挙げています。
- 戦略の理由:拡陽は、趙が秦の東部を攻めるために狙っている要所。王翦軍が動けば拡陽を奪われ、趙が南下して著雍と山陽を包み込みかねない
- 私情の理由:王賁自身が「少し私情も入っている」と認めている
私情のほうは、王翦と王賁の親子のあいだの溝です。のちの576話では、母の朱景が王翦に嫁ぐ前に別の男の子を身ごもっていたのではという噂が語られ、王翦が王賁を実の子と見ていないらしいことが描かれます。
王賁はこのとき四千人将として著雍に入っていました。将としての判断は、著雍が最初ではありません。合従軍の戦いでは、楚の項翼に落馬させられた蒙恬が斬られかけたところへ割って入り、項翼が名剣・莫邪刀で攻めかかっても、王賁の槍さばきの前に間合いへ入れませんでした。媧燐の奇策で騰軍が崩されかけると、騰は王賁を左軍、蒙恬を右軍の五千の将に抜擢し、王賁は敵の中を抜けて媧燐の背後に攻めかかっています。
死亡した将と、生き残った将
紫伯は王賁との2度目の一騎打ちで討たれた
玉鳳隊の前に立ったのは、魏国史最強の槍の使い手と呼ばれた紫伯です。紫伯の槍は力を求めた槍で、速さも重さも王賁の読みを上回っていました。対する王賁の槍は、守り・返し・攻めの無数の型を基礎から一つずつ積み上げた、一点を突く正確さの槍です。著雍で合流した信とは本気で刃を交えるほどぶつかり、信の矛を片手ではじき返してもいます。王家の嫡男として、幼いころから鍛え続けてきた槍です。
二日目、紫伯の策で玉鳳隊は包囲されかけます。王賁は退却を決め、自分が殿になって紫伯を引き受け、力でねじ伏せられて深手を負いました。玉鳳隊には、半年前に王翦軍から移ってきた千人将・関常がいて、深手の王賁を生きて連れ戻したのは関常の隊です。
三日目、王賁はいちばん余力のある関常隊を主攻にし、その背後に隠れて紫伯が出てくるのを待ちました。魏軍の大将にして槍の紫伯を自ら討って著雍を取る。それが王家の正統な跡継ぎとしての責務だ、と王賁は口にしています。打ち合ううちに紫伯の槍を型で捉え始め、急所を守る反射が無いという弱点を突きました。王賁の槍が紫伯の胸を貫き、紫伯は37巻396話で討たれます。アニメでは第4シリーズの第11話で、王賁が紫伯に再び挑みます。
僕はこう読む
紫伯の弱点が「急所を守る反射が無い」だったことに意味があると思っています。
生き残りたい人間なら、体が勝手に急所を守ります。紫伯にはそれが無かった。
勝ちたい王賁と、もう生きることに執着していない紫伯。
型を積んだ槍が一度は力に押し負け、翌日に同じ型で勝ったのは、槍の腕よりも生きようとする側だったからだと読んでいます。
霊凰は呉鳳明の身代わりにされた
騰の軍には霊凰が狂戦士の乱美迫をぶつけ、騰を一時退かせるほど追い込みました。ところが三日目、秦の三軍の策が成功して魏軍本陣が落ちます。本陣を抜けた呉鳳明は霊凰と合流しますが、そこへ信が駆けつけました。呉鳳明が霊凰に「鳳明様お逃げを」と叫んだため、信は霊凰を呉鳳明と思い込んで両断します。霊凰がかつて「私の最強の教え子」と呼んだ弟子に、名前ごと差し出された最期です。呉鳳明はそのすきに生き延びました。
凱孟は信と決着がつかないまま撤退
飛信隊の前に立ったのは、殺した将は百を超えると言われる剛将・凱孟です。信は凱孟と一騎打ちをしますが、決着はつきませんでした。霊凰を討たれて立て直しがきかないと見た呉鳳明が撤退を命じ、凱孟は生きて著雍を去ります。この戦いの途中で、河了貂が凱孟軍の軍師・荀早の兵に捕まり、羌瘣が捕らえた荀早との人質交換で戻る場面もありました。
最後に魏軍本陣へ届いたのは羌瘣です。信が凱孟と荀早を引きつけるあいだに、羌瘣隊が本陣を急襲して火を放ち、秦の勝利を戦場に知らせました。
僕はこう読む
死んだ霊凰と紫伯、生き残った凱孟の差は、強さではなかったと思っています。
紫伯は正面から王賁に討たれ、霊凰は弟子に差し出されて討たれました。
凱孟だけが、誰にも差し出されず、誰とも決着をつけないまま帰っています。
古い世代で、新しい世代にまだ負けていないのは凱孟だけ。
だからこの人は、あとの物語に取っておかれたのだと読んでいます。
論功行賞。騰は大将軍、信と王賁は五千人将
著雍を奪ったあと、秦は昌平君の命で、そのまま著雍の要塞化に取りかかります。山陽とあわせて秦と魏の最前線を軍事都市にし、中華へ出ていく足がかりにするためです。秦の各地から人が集められ、著雍は戦のあとも秦の前線を支える城になっていきました。騰・信・王賁の手柄には、この築城と防衛も含まれています。
論功行賞は「功を論じて賞を行う」という意味で、戦の手柄に応じて位や褒美を与える場です。著雍の戦いのあと、すぐに毐国の反乱へ話が移るため、論功行賞はその合間の38巻で描かれます。昇格した顔ぶれはこうです。
| 人物 | 昇格と理由 |
|---|---|
| 騰 | 大将軍に。蒙武に続く秦で2人目 |
| 王賁 | 五千人将に。紫伯を討ち、三軍同日同刻の策を立てた |
| 信 | 五千人将に。霊凰を討った |
| 羌瘣 | 三千人将に。魏軍本陣を焼いた。飛信隊は8千人の隊に |
王賁は策を立てた立役者なので、信を置いて将軍になるのではとも見られていました。ですが騰と昌平君は反対し、まず五千人将として、将軍の一つ下から見える景色を経験させるべきだと判断します。信のほうは、霊凰を呉鳳明と取り違えて討ったことを王賁に「人違いで偶然あげた首」と皮肉られています。同じ五千人将でも、中身の評価は王賁が一歩先という終わり方でした。
その後、王賁は朱海平原で趙の尭雲を討ち(56巻610話)、59巻で信・蒙恬とそろって将軍になっています。著雍で見せた「自分で討って名を取る」姿勢は、その後も変わっていません。
著雍の戦いは史実にあるのか
著雍の戦いという名の戦は、史書には見当たりません。霊凰・紫伯・凱孟ら魏火龍七師も、作品オリジナルの将です。騰や王賁、信(李信)は史実に名のある人物ですが、この戦いで何をしたかは物語の中の出来事です。
作中の年は紀元前239年ごろ、合従軍の戦いからおよそ2年後にあたります。このあと物語は、咸陽を舞台にした毐国の反乱と、嬴政の加冠の儀、そして呂不韋との決着へ進みます。
まとめ
著雍の戦いは秦の勝利です。霊凰と紫伯が討たれ、凱孟は生きて退き、呉鳳明は著雍を捨てました。
押さえておきたい点を並べます。
- 原作は35巻379話から37巻402話、アニメは第4シリーズ第6話から第12話
- 王賁の三軍同日同刻進軍で、三日目の昼に魏軍本陣を落とした
- 紫伯は王賁に37巻396話で、霊凰は呉鳳明の身代わりで信に討たれた
- 王賁は拡陽を空けられない戦略と親子の私情から、王翦軍の援軍を断った
- 凱孟は信と決着がつかないまま撤退し、生き残った
- 騰が大将軍、信と王賁が五千人将、羌瘣が三千人将に
- 著雍の戦いそのものは、史書に見当たらない作品の戦
僕はこう読む
著雍の戦いは、騰が若い将を育てるために使った戦だと思っています。
策は王賁に任せ、主攻は玉鳳隊と飛信隊に渡し、自分は囮に回りました。
王騎から受け継いだ軍の長が、次の世代に戦場を譲った最初の戦。
騰が大将軍になった論功行賞は、その譲り方への答えだったと読んでいます。
気になるのは、この戦いの一番の手柄を誰に置くかです。策を立てて紫伯を討った王賁か、本陣を焼いた羌瘣か、囮を引き受けた騰かで、著雍の見え方が変わります。
——あなたは、著雍の戦いでいちばん大きな手柄を立てたのは誰だと思いますか。王賁だと思いますか。それとも別の誰かだと思いますか。よければコメントで教えてください。
よくある質問
著雍の戦いは35巻から37巻にまたがり、死んだ将と生き残った将が混ざりやすい戦です。よく聞かれる点を答えます。
Q. 著雍の戦いの結果はどうなりましたか。
A. 秦の勝利です。三日目の昼に魏軍本陣が落ち、魏の総大将・呉鳳明は著雍を捨てて退きました。
Q. 著雍の戦いで死亡したのは誰ですか。
A. 魏火龍七師の霊凰と紫伯です。霊凰は信に、紫伯は王賁に討たれました。凱孟は生き残っています。
Q. 著雍の戦いは何巻何話ですか。
A. 35巻379話から37巻402話までです。論功行賞は38巻で描かれます。アニメでは第4シリーズの第6話から第12話(2022年放送)です。
Q. 王賁が紫伯を討ったのは何巻何話ですか。
A. 37巻396話です。二日目に一度敗れて深手を負い、三日目の再戦で紫伯の胸を槍で貫きました。
Q. 論功行賞で信は何になりましたか。
A. 五千人将です。王賁も同じく五千人将になり、騰は大将軍、羌瘣は三千人将に上がりました。
Q. 王賁はなぜ王翦軍の援軍を断ったのですか。
A. 王翦軍が拡陽を離れると趙に拡陽を奪われる恐れがあったためです。王賁自身は、私情も少し入っていると認めています。
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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年10月9日


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