【キングダム】山の民がいなければ合従軍に負けていた!?秦軍を救った驚愕の援軍の真実 | 漫画コミック考察ブログ

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【キングダム】山の民がいなければ合従軍に負けていた!?秦軍を救った驚愕の援軍の真実

キングダム 麃公 山の民の奇跡
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この記事を読むとわかること
  • 山の民が秦軍を救った
  • 楊端和は実は男だった
  • 政の言葉で同盟が成立した

秦の絶体絶命のピンチを救った山の民

自分たちの戦いを放棄してまで駆け付けてくれた、心優しき仲間思いの部族。

合従軍編での活躍と共に政や信との関わりの歴史を紹介していきます。

 

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【キングダム】山の民とは?

平地に居を構える平地の民とは違い、山界を生活の拠点とする者達の事を俗に山の民と言います。

山の民で有名なのは、やはり匈奴と犬戎です。

2部族とも作中にも登場していますね。

犬戎族は元々1つの部族でしたが、キングダムの時代には既に多くの部族に分かれていました。

それが、作中にでてくる楊端和の部族だったり、メラ族やフィゴ族にあたります

中華の歴史において一番有名な山の民である匈奴も元々は犬戎だったと言われています。

匈奴は春秋戦国時代でも中華を度々侵略していますが、秦が中華を統一し、その後、漢の時代や三国志の時代になっても平地を脅かす存在のまま生き残っています。

南北に分裂し尚且内乱や、匈奴に滅ぼされた東胡の生き残りである鮮卑の台頭もあり、次第にその勢力は弱まります。

キングダムの時代以降に巨大帝国を築いた匈奴でしたが、431年に完全に匈奴の流れは無くなり滅んでしまうのです。

しかしながら、紀元前400年頃に誕生し、800年以上も存在し続けたのは驚愕の一言ですね。

 

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【キングダム】山界の死王 楊端和とは?

作中で、幾つもの部族に分かれていた山の部族を一つにまとめつつあるのが「山界の死王」と恐れられている楊端和です。

楊端和は実際に存在した人物ですが、キングダムで描かれているような美女ではなく、それどころか女でもなく男なのです。

映画では長澤まさみさんが演じて、はまり役として話題になった程、楊端和=美女というイメージが定着しているだけに、史実を知って少しがっかりしたファンも多かったのでは?w

作中での楊端和は、幼少期よりとてつもない武力を持ち合わせており、少女でありながら、大人でも敵う者はいませんでした。

楊端和の側近のバジオウは、楊端和の部下になる前は、誰も倒す事が出来ず言葉も話せない狂犬のような子供でした。

しかし、そんなバジオウも楊端和と戦った事がありましたが、勝つ事はできず、その後忠誠を誓うのです。

その武力もさる事ながら、どんな過去があろうと仲間になった者は家族として愛する楊端和の器の大きさにも、みんな惹かれていくのです。

死闘を繰り広げた屈強な色々な部族が、死王として崇めるのは全員が楊端和に魅了されているからなのです。

 

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【キングダム】楊端和を説得したのは政

楊端和が初めて作中に登場したのは、政が成蟜に反乱を起こされていた時です。

王都咸陽から逃げ出した政は信と出会い、はぐれた昌文君とも合流し、王都を取り戻す為に山の民に援軍を頼みにいきます。

穆公の時代には穆公の人柄により、山の民と秦は同盟関係にありましたが、穆公が死去すると、秦の方から同盟を解消する事となり、山の民に対する迫害が始まります。

政の時代の山の民と秦の関係性は、迫害の歴史により最悪な状態でした。

誰もが山の民との同盟は無理では?と思っていました。

しかし、政は穆公と山の民との避暑地が今でも山の民によってキレイにされている事から、僅かな希望を持っていたのです。

政一行は楊端和に会いに行く道中で山の民に見つかり、囲まれてしまい政のみ山の王への謁見を許されます。

他の者はその場に残されますが、信と河了貂、壁の3人はこっそりと後を追います。

こっそりと追ったつもりだったのですが、完全にバレバレだったようです。

政を助けるつもりが逆に捕虜にされてしまいます

政と対面した楊端和は、過去に山の民が秦から受けた迫害により、政の首をはねると言い出します。

それどころか、捕虜にされた信達の首もはねると言い出すしまつ・・・

もはや同盟どころではないですね・・・

そしてやはり政のお荷物になってしまった捕虜3人組・・・

政は、王が憎しみに囚われて、自分や信達の首をはねても意味が無く、王ならば人を生かす為に剣を取るべき!

と、王の道を説きます。

そして、民族や宗教の垣根を無くす為「中華を統一する最初の王になる」と宣言するのです!

秦と和を結んででも世界を広げたいと思っていた楊端和は、王騎同様に政の一点の曇りのない眼に心を動かされます

そして、

山界の王楊端和は秦王嬴政とかつてない強固な盟を結ぶ!

そう宣言したのです!

そして共に王都に向かい、楊端和自身もその部下達も、成蟜から咸陽を取り戻す為に命をかけて戦ってくれるのです。

 

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【キングダム】合従軍に追い込まれた秦軍

合従軍戦において、函谷関を抜く事が困難な状況に追い込まれた合従軍は、李牧の策により南道から咸陽を目指します。

誰も想定していなかった李牧の南道からの攻めを、麃公は見抜きますが龐煖に討たれてしまいます

麃公に追従してきた飛信隊は麃公の指示により咸陽へ向かい、咸陽の手前の蕞に辿り着きます。

そこで信は、蕞で李牧軍を食い止める為に来た、政率いる王宮軍を目にします。

そして秦の命運をかけた蕞攻防戦が幕を開けるのです!

政と共に来た昌文君は蕞での攻防戦は、8日防げれば勝機があるかも?しれないとの算段がありました。

何故8日なのか?

政と昌文君、そして信のみが知る事実がありました。

山の民に援軍を要請していたのです。

遠征に出ていた山の民に援軍要請が伝えられ、そして蕞に辿り着くまでの総日数が8日だったのです。

蕞の軍は政の鼓舞により士気が爆発したとはいえ、そのほとんどが老人や怪我人、兵士としての訓練を受けていない女や子供でした。

8日どころか初日を乗り切れるかも分からない状況ながら、6日間も李牧軍から蕞を防ぎ続けるのです。

しかし、7日目についに城門を破られてしまい、蕞は絶体絶命のピンチに陥ってしまうのです。

 

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【キングダム】山の民が援軍として登場!

山の民が援軍として蕞に来てくれるのは賭けでした。

遠征に出ている山の民に援軍要請が届くのも不確かで、届いたとしても自分達の戦いを放棄してまで駆けつけてくれるか分からなかったのです。

普通は自分達の戦いの方が大事ですからね。

8日防げれば山の民が来てくれるかもしれない・・・

あくまでも「かもしれない・・・」だったのです。

来てくれなかったら間違いなく蕞は陥落してしまいます。

蕞の陥落は秦の滅亡を意味するのですから、すがる思いだったのでしょう。

しかし、8日目まで持ちこたえる事が出来ず、7日目に蕞の城門は破られてしまいます

「ここまでか・・・」と絶望に涙する者、最後まで抵抗しようとする者と様々でしたが、西の山を見つめていた信がつぶやきます。

奇跡が起きたぞ

そして李牧も信が見つめた先にある大軍に気付きます。

山の民の援軍到着

しかも、急いでも8日はかかると思っていた山の民の援軍が、なんと7日で3万もの援軍が到着してくれたのです。

 

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【キングダム】山の民はバンコ族との戦いを放棄

秦が援軍を要請した時、山の民は北方のバンコ族を攻略する為に遠征中でした。

バンコ族は北の巨大勢力で、楊端和軍でも楽に勝てる相手ではありませんでした。

その為、ほぼ全ての戦力が北へ向かっており、秦から援軍要請があった時は援軍にまわせる程の戦力は残っていませんでした

しかも援軍要請を伝えた相手が、成蟜の反乱の時に政との同盟に猛反対し信にボコボコにされたお爺さんだったのです。

一応楊端和に使いを出して援軍要請の事は伝えると言っていましたが、信の事を嫌っているでしょうしw本当に伝えてくれるかも分かりませんし、心配しかありませんね(汗)

しかし北の遠征地から8日はかかるという予想の中、7日で到着してくれたのです!

お爺さん達はちゃんと伝えてくれていたのですねw

北の大勢力であるバンコ族と戦いの真っ最中で、まだ決着はついていないにも関わらず、それまでの戦いを、そしてその後戦いを放棄してまで駆け付けてくれたのです。

楊端和にとって政が治める秦国は、山の民の世界を広げてくれ、平和をもたらしてくれるはずで、絶対に滅ぼされるわけにはいかなかったのでしょう。

 

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【キングダム】同盟した事実を知らなかった李牧

秦と山の民の同盟は、成蟜の反乱の時に成り立っていましたが、その後の徹底した情報封鎖により、李牧の耳には入っていませんでした

それに、長年匈奴と争いが絶えなかった趙の李牧からすれば、山の民との同盟など有り得るはずもない話で、秦の隣に広がる山界の存在は知っていましたが、そこからの援軍は完全に想定外だったのです。

函谷関を抜く事が困難になった時も、南道からの攻めを麃公に見破られた時も、「流動」を見破られた時も、全く焦りのなかった李牧が合従軍戦で初めて冷や汗を流した瞬間でした。

李牧軍3万に対し楊端和軍も3万。

勝てたとしても相当な戦力が削られるのは覚悟せねばならず、咸陽を攻めるだけの戦力が残っていない状況になるのは容易に想像出来ました。

撤退か攻撃続行か・・・

合従軍の勝敗が李牧の決断に委ねられる事になるのです。

 

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【キングダム】蕞を守りきり合従軍撤退

李牧には撤退するべきだと分かっていました

戦力を削られては咸陽まで辿り着いても、咸陽を攻め落とす事はできなかったのです。

守るに困難な咸陽と言えども多少の戦力は残しており、城壁も超えなければいけません。

咸陽へ辿り着くまでの兵士の損失は最小に抑えたかったのです。

しかしそれが叶わない・・・

それでも決断を躊躇させる理由がありました。

函谷関を抜くのが困難な今、この蕞の攻防戦での李牧軍の撤退は、合従軍そのものの敗北を意味します

秦の中華統一を阻止する為に六国を説得し、圧倒的戦力で結成された合従軍が全て無駄に終わるのです。

かすかな希望だった龐煖も信との一騎打ちにより深手を負ってしまいます

打つ手がなくなった李牧は決断します。

合従軍撤退

 

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【キングダム】楊端和に与えられた爵位とは?

李牧の蕞攻略失敗により、合従軍の敗北が決定的になりました。

合従軍はその後、面目が完全に潰され怒り心頭の春申君の命により、合従軍から離脱した斉に攻め込み饒安を落としたところで解散となりました。

合従軍対秦国の戦いは、秦の完全勝利で幕を閉じたのです。

そしてお楽しみの論功行賞!

蒙武を第一功とし、その他の六将に特別大功が授与されました。

そして、今回の防衛戦には3つの特別順功を与えるとし、多大な武勲をあげた信は、爵位一階級昇進と金5百、宝物5点と住居のある「風利」の地を拡張、そして3千人将に昇進しました。

特別順功2つ目は、一般市民でありながら命を投げ出して戦い、見事李牧軍を撃退した蕞の住民全員に授与され、全員爵位二階級昇進と手厚い金品が授けられました。

そして、3つ目は秦国勝利を決定的にした山の民の王、楊端和に与えられました。

楊端和に与えられた爵位はなんと大上造!

それと宝物30点が与えられました

ちなみに爵位とは?

と思う方もいるかと思いますが、将軍や千人将などとは違い、身分の位だと思ってもらえたらと思います。

爵位がないと戸籍がないのと同じで、家も土地も持てない奴隷となります。

一般市民なら誰でも持っている位ですが、最初の頃の信は下僕の身だったので爵位は持っていなかったはずです。

爵位は全部で20あり、当たり前ですが上の階級に行くほど恩恵は大きいです。

今回、楊端和が与えられた爵位「大上造」とは、上から5番目の位になり、大将軍に匹敵する位なのです。

秦滅亡を救った恩人なのですから当然の報奨といえますが、秦にとって山の民がいかに大事かというのをあらためて認識させた事になりました。

六大将軍争いが激化してきそうで、ますます面白くなってきますね!

 

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まとめ

キングダム序盤で登場し、政や信を幾度となく助けてきた山の民。

実は史実では楊端和は男だったという事実には大分ショックを受けましたがw男以上に義理人情に厚い人物で、そしてなにより強い!

史実では趙の王都 邯鄲攻め以降、歴史から名前が消えている楊端和ですが、今後どのように秦と共闘していくのでしょうか。

そして楊端和は六大将軍になるのでしょうか?

ファンの多いキャラクターなだけにキングダムの終盤にまで活躍してほしいと願うばかりです。

この記事のまとめ
  • 山の民が秦を救った理由
  • 楊端和の正体は男だった
  • 政が同盟を結んだ経緯
  • 援軍の到着が運命を変えた
  • 李牧が同盟を知らなかった
  • 楊端和に与えられた爵位とは
あいり
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⇒楊端和の驚愕の戦術で合従軍を撃破!政との意外な関係と蕞攻防・・

⇒楊端和(ようたんわ)の功績に驚愕!山の民の女王は史実では男・・

⇒李牧は誰にやられる?合従軍編の驚きの結末と6か国の侵攻を徹・・

⇒合従軍を仕掛けた李牧の誤算!?函谷関の戦いで秦が勝てた驚き・・

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