【キングダム】李牧の最後は誰に負ける?裏切りの結末と秦趙同盟の真実 | 漫画コミック考察ブログ

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【キングダム】李牧の最後は誰に負ける?裏切りの結末と秦趙同盟の真実

キングダム 李牧 最期の選択
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この記事を読むとわかること
  • 李牧は王騎を討ち取った強者である
  • 李牧の不戦逃避が村人を救った
  • 李牧の過去に隠された壮絶な真実

キングダムでも史実でも趙を守る為に必死に戦ってきた李牧

史実での最期は?

そしてキングダムでの最期は?

李牧の過去と共に史実を交えて紹介していきたいと思います。

 

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【キングダム】趙国最強の武将 李牧

趙の生命線である李牧。

秦が中華を統一する為には序盤で必ず倒さねばなりません。

しかし、李牧は元六将の王騎を討ち、燕の大将軍劇辛を圧倒的強さで討ち取ります

そして、合従軍を起こせる程の人物です。

合従軍は結局、秦に敗北し失敗に終わりますが、合従軍を起こせるのが実はすごい事で、六国の軍の指揮を李牧が取るのを各国の王たちが納得したという事なのです。

それほどまでに李牧の名前や、起こした事の凄さが中華に知れ渡っていたのです。

趙には他にも名だたる将はいますが、全て李牧の指揮の元動いています。

趙を倒す為には李牧を倒さねばならず、まさに趙国最強の武将であり、趙国の鉄壁の壁なのです

 

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【キングダム】王騎を追い詰めるほどの強さ

作中で、龐煖との一騎打ち中に突如王騎の前に現れた李牧。

いつも涼しい顔をしていた王騎が冷や汗を流した瞬間でした。

伏兵を予測していた王騎もさすがですが、王騎の予測を大きく上回る速度で伏兵を到着させた李牧が上手でした

北で匈奴十万人を討伐した後に合流しており、徹底した情報封鎖で伏兵の存在、その兵力や位置を悟られないようにしていました。

王騎の思い描いた通りに進んでいたはずの戦いでしたが、実は李牧の思い描いた通りに進んでいたのです。

龐煖との一騎打ちも邪魔が入ったとは言え、王騎は敗れてしまい、敗走せざるを得なくなります。

その後、趙の包囲を脱出しますが、王騎は死亡してしまいます。

怪鳥王騎を討った李牧の名は中華中に知れ渡り、列国に衝撃を与えたのです。

 

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【キングダム】李牧の辛い過去とは?

北方の国境にある雁門関に李牧は長官として赴任してきます。

雁門は更に北の地に領地を構える匈奴から度々侵略され被害にあってきました。

多くの村人や兵士、将も殺されていました。

李牧は着任するなり「不戦逃避」を指示します。

匈奴が攻めてきたら、戦わず逃げるよう指示したのです。

そして戦う訓練は一切せず避難訓練ばかりさせる李牧に不満を持つ者も増えてきました。

その代表的な存在がカイネでした。

カイネは両親を匈奴に殺されていました。

匈奴が憎くてしょうがなかったカイネは、事ある毎に李牧に反発していました。

ある日李牧が着任してから初めて匈奴が攻めてきます。

住民は訓練通り戦わず避難します。

結果、家は焼かれましたが誰一人として死なずにすみました

そして二度目の匈奴の襲来時も住民は避難し全員無事でした。

しかし、匈奴から侮辱的な言葉を浴びたカイネは怒り狂い討って出ようとします。

そんなカイネを李牧は牢屋に入れて、ある男の話をし始めます。

その男は戦争で両親と兄弟を失い怒り狂い、部隊の同年代の友と共に、部隊長の静止も聞かず敵陣に突っ込んだのです。

気づけば敵部隊は全滅していましたが、男と共に突っ込んだ友もまた全員討ち死にしてしまっていたのです。

男は恨みや怒りといった感情を抑えきれなかった為に全てを失いました。

カイネはその男が李牧である事を悟ります

そもそも雁門には匈奴に討ち勝つ戦力などなく、ならば被害を出さず徹底して守る事が李牧が考えた自分の役目だったのです。

そして、「生とは自分が思っている以上に重く尊く守られるべきものであり、そのことを憶えておいてほしい」と伝えます。

壮絶な体験をしてきた李牧の言葉はとても重たく感じますね。

腰抜けと言われようと、味方には指一本触れさせないという李牧の信念。

この時よりカイネは李牧に忠誠を誓うのです。

そしてやはり李牧は武人としても超一流だったのですね!

 

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【キングダム】無意味な死を避けるこだわり

若かりし頃の体験から無駄死はさせたくない主義の李牧。

初登場時の対王騎戦でも敗走する王騎を全軍での追撃はしないよう指示します。

その指示に反発する将もいましたが、王騎を守る為に命をかけて戦う秦軍をまともに相手にすれば趙軍も甚大な被害が出ると分かっていた李牧はそれこそ無駄死にだと話し、感情的になって追撃するのを許しませんでした。

合従軍の際、函谷関を抜くのが困難と判断すると、李牧は人知れず南道ルートを通って咸陽を目指します。

南道ルートは狭く険しい道で、大軍で攻めるにはあまりに困難な為、まさかここからは来ないだろうと、秦軍全員が全くの無警戒でした。

しかし、それに気付いた本能型の麃公と信は背後から追いかけます

そして、追いつきますが、李牧の「流動の陣」によって信と麃公の間には距離が出来てしまいます。

麃公の前には龐煖も現れ、元より李牧軍三万に対し麃公軍と飛信隊合わせても三千しかおらず、とても勝てる見込みはありませんでした。

それでも龐煖に押されている麃公を助けようと信は敵陣に突っ込んできます。

そんな信を見て李牧は「私に子供を殺させるな」と麃公に対し、心のなかで呟きます。

李牧は味方だけではなく、敵に対しても無意味に殺したくはなかったのです。

作中で政になるべく戦わないで済む「七国同盟」を勧めており、史実においても「守備の名人」と言われた李牧。

実際に存在した李牧もキングダムでの李牧同様、戦争が嫌いだったのかもしれませんね。

 

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【キングダム】楊端和率いる山の民によって敗北

秦の王騎、燕の劇辛と二大傑物を立て続けに討った李牧の呼びかけにより紀元前241年、合従軍が起きます。

狙うはもちろんでした。

六国のうち、斉は合従軍から離脱しますが、秦が亡国の危機に立たされている事に変わりはありませんでした。

しかし、秦の猛将達は各所で決定的な勝利を治め函谷関を死守します。

そして、合従軍にとって函谷関を抜くのが困難な状況になると、李牧は人知れず狭く険しい南道ルートを抜けて咸陽を目指します。

南道は全くの無警戒だった秦軍は完全に虚をつかれてしまい、咸陽までの最後の城、蕞での攻防戦を余儀なくされます。

李牧は侵攻の足を緩める事なく次々と城を落として、ついに蕞に到着します。

蕞にはほとんど兵士はおらず、怪我人や女、子供、老人ばかりでした。

しかし、共に戦う為に咸陽から出兵した秦王政の檄により住民で結成された民兵が覚醒し、六日の間、李牧の攻撃を防ぐのです。

そして蕞攻防最終日の七日目、ついに民兵にも限界が訪れ城門が破られてしまうのです。

蕞陥落・・・敵味方問わず誰もがそう思いました。

しかし、政と信、そして李牧は気づきます。

西の山に秦への援軍が到着した事を。

楊端和率いる山の民の軍勢三万が到着したのです!

その圧倒的な戦闘力で次々と李牧軍をなぎ倒していく山の民。

頼みの龐煖も信との一騎打ちによって深手を負ってしまい、李牧は退却せざるを得なくなったのです。

ここに李牧の、そして合従軍の敗北が決定的になってしまったのです。

李牧は徹底した情報封鎖により、王騎を討ち取りましたが、今度は逆に秦の情報封鎖により、山の民と秦との繋がりを知る事が出来なかったが為に敗れる事になったのです。

 

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【キングダム】王翦を圧倒する李牧の戦術

李牧と王翦の知力合戦になった鄴攻め。

昌平君より授けられた戦略がいきなり列尾で崩れてしまいます。

李牧は列尾城をわざと弱く造っていたのです。

何故か?

秦に列尾を落とさせて、取り返しやすくする為だったのです。

秦軍が王都圏へ攻め込んだのを見計らい、列尾城を再び取り戻せば秦軍は補給ルートを失う事になります。

なんとも用意周到な李牧の策略ですね。

これは、昌平君も王翦も想定外の出来事だったようで、王翦はその後、鄴攻めの戦略を練り直さざるを得なくなってしまいました。

朱海平原の戦いでは、左翼の戦いにおいて、蒙恬が見事に趙右翼軍を翻弄し、中央より麻鉱軍の波状攻撃が次々と趙軍に襲いかかります。

この王翦の策により大勢は決したかに思えましたが、李牧が大胆不敵な行動にでます。

なんと李牧自ら敵陣に入り込み、その手で麻鉱を討ち取ってしまうのです。

将を討たれた麻鉱軍は一気に崩れてしまいます。

しかし、蒙恬の指揮により麻鉱軍は半分が生き残り、二日目以降もなんとか戦う戦力を残す事になるのですが、恐るべきは李牧の行動です。

李牧は恐らく王翦の波状攻撃を読んでいたのではないでしょうか?

そうでなければ、麻鉱の位置を把握し数騎の援護のみで敵陣に乗り込み、何事もなく脱出する事など出来ないのではと思います。

脱出経路も予め用意していたからこそ、すんなり脱出できたのではないでしょうか。

秦左翼の戦いでは、王翦が考えた防御陣を亜光が実践し、趙峩龍、尭雲、馬南慈の三将の足止めを図りましたが、李牧から対処法を聞いていた馬南慈が簡単に破っています。

朱海平原の戦いの序盤は李牧が王翦を圧倒した感が否めませんでしたね。

 

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【キングダム】追い込まれて朱海平原から逃亡?

朱海平原の戦いも終盤に差し掛かってきてますね!

そろそろこの戦いの結末が気になって来る頃ではないでしょうか。

史実では鄴は桓騎が落としていて、王翦は閼与を攻め落としています。

史実では朱海平原の戦いというのは行われておらず、キングダムのオリジナルの戦いになります。

キングダムは基本的には史実に基づいて物語は進行しており、今後、王翦が閼与を攻めるはずです。

もしくは王翦の指示の下で誰かが攻めるか、もしかしたら既に攻めている?

しかも、史実では少数精鋭で閼与を攻め落としているのです。

いわゆる別働隊といわれる部隊で攻め落としています。

閼与を落とされる事によって李牧はいよいよ追い込まれてしまうでしょう。

何故なら、秦は列尾を通らなくても、金安→黒羊→閼与と中継して食料の補給が可能になってきます

一方で鄴の食糧庫は焼かれ、一転して李牧は窮地に立たされる事になります。

なので、閼与を奪われたら李牧は即座に退却するのではないかと個人的には予想してます。

 

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【キングダム】最後は幽繆王によって処刑される?

史実では鄴攻めと同じ年に悼襄王は亡くなっています。

キングダムでは愚王として描かれていますが、李牧や龐煖を将軍に抜擢したのは悼襄王なのです。

キングダムでの描かれ方は少し可哀想かもしれませんねw

その悼襄王が亡くなり、新たに王となったのは嘉太子ではなく弟の遷でした。

趙国第十代幽繆王となった遷でしたが、暗君として名を残してしまいます。

鄴が陥落した後、秦は桓騎を総大将に平陽、武安を攻略。

この時、平陽の戦いで桓騎は十万人の首をはねたと言われています。

桓騎はそのまま宜安を攻めますが、ここで李牧に大敗してしまいます。

その後、秦は王翦、羌瘣、楊端和の連合軍で首都邯鄲を攻めますが、李牧と司馬尚が守る邯鄲は鉄壁でした。

そこで王翦は趙の家臣、郭開を買収し、「李牧と司馬尚は謀叛を企んでいる」と幽繆王に讒言させたのです。

幽繆王はその讒言を信じてしまい、国の存亡を掛けた戦いの最中に、李牧と司馬尚を更迭するのです。

しかし、李牧はわかっていたのでしょう。

今ここで自分が離れれば邯鄲は落ちると・・・そして趙は滅ぶと。

李牧は処罰覚悟でこの王命を拒否します。

これに腹を立てた幽繆王は秘密裏に李牧を捕らえ処刑してしまうのです。

この愚かな判断により、趙はその三ヶ月後に滅んでしまうのです。

秦一強だったこの時代に李牧の残した功績はとても偉大でした。

王に恵まれなかった李牧、そして趙国そのもの。

キングダムでは李牧はどのような最期を迎えるのでしょうか?

李牧、司馬尚が邯鄲を守り、郭開の讒言、王命の拒否はそのまま描かれると思っています。

それだけ、歴史的に見ても重要な部分かと思います。

そして、味方に捕らえられた李牧はカイネに「すぐ戻ってきますよ」と微笑みながら連行され、二度と戻らなくなる・・・そんな最期が思い浮かびます。

希望としては信と戦って敗れる・・・というのが一番の理想だと思っています!

恐らくそんな場面を思い描いているファンが一番多いのではないでしょうか。

 

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まとめ

個人的な予想も多少含めつつ紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。

国の為に必死に戦ってきた李牧。

さぞかし無念だったのではと思わざるを得ません。

趙を滅ぼしたのは秦ではなく趙王だったのではないでしょうか。

この記事のまとめ
  • 李牧は王騎を討った武将である
  • 李牧は合従軍を指揮した
  • 李牧は無駄死を避けた信念
  • 李牧は幽繆王に処刑された
  • 李牧は匈奴から村を守った
  • 李牧の功績は歴史に残る
あいり
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⇒李牧の強さと意外な最期!趙三大天の史実と戦績を解説・・

⇒李牧は誰にやられる?合従軍編の驚きの結末と6か国の侵攻を徹・・

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⇒合従軍を仕掛けた李牧の誤算!?函谷関の戦いで秦が勝てた驚き・・

 

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1件のコメント

いくら、その将が優れていても、いや、優れていれば優れている程、その上が暗愚なら
疑心暗鬼に囚われる。そこまで読んで、揺さぶった王翦の勝利でしょう。
作中の政ほど、史実の始皇帝は出来た人では無かったので、王翦が一番心掛けたのは、隠居後は
目立たない事で野心が無い事を徹底的に始皇帝の意識に植え付ける事だったらしい。

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