【キングダム】史実との違いが面白い!実話とフィクションの意外な関係とは? | 漫画コミック考察ブログ

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【キングダム】史実との違いが面白い!実話とフィクションの意外な関係とは?

キングダム 政 キングダムの秘密
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この記事を読むとわかること
  • 秦王政は残虐な暴君だった
  • 羌瘣は信より先に将軍だった
  • 楊端和は実は男性だった!

キングダムは基本的には史実に基づいて物語は進行していっています。

しかし、この時代の記録も完全に残っているわけではなく、キングダムオリジナルの物語もあり、キングダムオリジナルのキャラクターもいます

実際の春秋戦国時代はどのような世界だったのでしょうか。

 

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【キングダム】愛される良い王ではなかった秦国王の政

キングダムにおいては超いいヤツの政。

しかし、史実は中々どうしての暴君だったようです。

幼少期に過酷な体験をしてきたのは事実だったようでその時の反動から権力に固執していたのでしょうか?

自分に逆らう部下はどんな功労者だろうと簡単に処刑していたようです。

実際、桓騎は宜安の戦いにて李牧に大敗し、処刑されるのを恐れて燕に逃亡しています

作中の政なら絶対に処刑する事はないんでしょうが、実際の秦王は残虐な一面もあったようです。

中華を統一して十五年という短期間で秦は滅亡しています。

霊渠という運河を造り、交通の便をよくしたかと思いきや、驪山陵というお墓を造ったり、阿房宮というお屋敷を造るなど自分の欲の為に労働を強いたり、極めつけはかの有名な万里の長城での重労働で、あまりの過酷さに死者も出る程だったようです。

統一後の重税や重労働で民の不満は統一前より大きかったかもしれませんね。

キングダムの政とは間逆な王様だったのですね。

 

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【キングダム】信より先に将軍になり大活躍した羌瘣

飛信隊の副将である羌瘣。

その容姿の可愛らしさと強さから、キングダム内でも人気の高いキャラクターですね。

信の嫁さんは河了貂?羌瘣?と討論されることもしばしば・・・。

ともあれ、史実でも羌瘣は実在しています

羌瘣の記録はごくわずかです。

趙の王都、邯鄲を王翦と楊端和と共に攻め、東陽で趙王幽繆王を捕らえ趙を滅ぼした。

そのまま燕攻略の為、中山に駐屯した。

これだけなんですよね・・・

しかしながら王翦や楊端和と共に名前が出てくるあたり、将軍以上の位だったのでは?と想像してしまいますね。

そして、信のモデルとなった李信はこの後から歴史に名前がでてきます。

この事から、キングダムでは羌瘣は飛信隊の一人で、恐らく信の方が先に将軍になるような感じに思えますが、実際は李信より先に将軍になっていた可能性があるのです。

にしても原先生はこんなにも少ない情報量の羌瘣をよくあそこまでのキャラクターにしましたね。

羌瘣ファンとしてとてもありがたいです!(笑)

 

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【キングダム】楊端和も羌瘣も実在した将軍だが男性だった

キングダム内でも人気の高い女性キャラクターといえば、楊端和や羌瘣、河了貂が挙げられます。

河了貂は実在したという記録はありませんが、楊端和と羌瘣は実在した人物です。

しかし、二人共女性だったという記録は一切ありません

楊端和は男だったらしいですが、羌瘣は男だったという記録もないんですよね。

楊端和は山の民だった訳ではなく、平地の将だったようです。

歴史上で楊端和は王翦や羌瘣と共に趙の王都 邯鄲を攻めています。

この事から楊端和も羌瘣同様、将軍以上の位だったかと思われます。

楊端和の記録も多くはありませんが、作中でも出てきましたが、魏の衍氏城を陥落させたり、王翦や桓騎共に趙の第二の都市、鄴を攻めています。

わずか九年の間だけしか歴史に名前は出てきませんが、それなりに有能な武将だった事は間違いないのかと思います。

映画の楊端和は長澤まさみさんが演じてますが、個人的にはこれがとにかくはまり役に思え、楊端和が女の設定で良かったと心から思いました(笑)。

 

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【キングダム】秦の国攻めは戦闘よりも謀略・調略が主力

秦一強になっていた時代、それでも攻めれば簡単に勝てていたわけではありません。

白起や王翦、昌平君など頭が切れる武将も数多くおり、謀略・調略を駆使し、勝利している戦が多くあります。

その代表的な戦いに長平の戦いがありますが、この時の秦軍総大将は白起で趙軍は廉頗でした。

廉頗は徹底して籠城しますが、趙軍内である噂が立ちます。

廉頗は年老いた。秦が怖いのは趙括だ

籠城ばかりして一向に攻めない廉頗に苛立っていた事もあり、その噂を耳にした趙王は総大将を廉頗から趙活に代えるという愚かな判断をしてしまうのです。

結果、趙括は無謀な攻めをし、戦死してしまい、その時の趙兵四十万人は生き埋めにされてしまったのです。

噂を流したのは范雎という当時の秦の宰相でした。

范雎の流した噂により秦軍は長平の戦いに勝利したと言っても過言ではなかったのです。

しかし、趙括なら勝てると思ったのも鋭いなと思ってしまいませんか?

趙括は趙奢の息子で、幼い頃から兵法に精通した逸材と思われていました。

ですが、父の趙奢は趙括が兵法書をただ丸暗記してるだけと見抜いており、大任は受けないよう妻に遺言を残していたのです。

藺相如も趙括に今回の大役は難しいと趙王に進言しましたが聞き入れてもらえませんでした。

趙括の甘さを分かっていた人はごく僅かだったはずですが、范雎は見抜いていたのでしょうか?趙国内に送り込んだスパイからの情報だったのでしょうか?

いずれにしても調略あってこその勝利だったのです。

趙の王都 邯鄲を攻めた際も、王翦は郭開を買収し、李牧と司馬尚は謀叛を企んでいると趙王に讒言させたのです。

当時の趙王はこの讒言を信じてしまい二人を更迭し、従わない李牧は処刑されてしまうのです。

その翌年、趙は王翦と羌瘣、楊端和の連合軍によって滅ぼされてしまうのです。

このように攻めるに困難な時、秦は調略によって内部から崩して、その後確実に勝利を収めています

にしても、趙王って騙されすぎのような気が・・・。

 

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【キングダム】李牧は戦いで敗れるのではなく趙王による処刑が最後

趙の大将軍にまで昇りつめた李牧。

守備の名人として知られ、当時、秦の一強だった時代に何度も秦の侵攻を跳ね返し、尚且領地を取り返してもいる程の名将でしたが、その最期は悲惨なものでした。

秦は王翦、楊端和、羌瘣の連合軍が趙の王都、邯鄲を攻略する為に出陣します。

しかし、李牧、司馬尚が守る邯鄲を落とすのは容易ではなく、長期戦が予想されました。

そこで、王翦は趙の家臣、郭開を買収し、李牧と司馬尚は謀叛を企んでいると趙王に讒言させたのです。

当時の趙王の幽繆王は、郭開の讒言を信じてしまい、国家の存亡を掛けた戦の最中に李牧と司馬尚を更迭するよう命令しますが、李牧はこれを拒否します。

王命に逆らったとして李牧は密かに捕らえられ処刑されてしまうのです。

司馬尚も更迭され、二人を失った趙はその翌年にあっさりと邯鄲を落とされ、滅亡してしまいました。

王に恵まれなかった李牧。

死に際はどういう思いだったのでしょうか。

何故こんな事に・・・という思い、そして趙を守れず悔しくてしょうがなかったのではないでしょうか。

 

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【キングダム】物語の転機となった秦斉の国王との会談は架空の話

作中では、斉王 王建が秦の王都咸陽を訪れ、中華統一後の亡国の民をどう救済するのか政に訪ねています。

それに対しての政の答えが「法治国家」を創るというものでした。

王建はその答えに感銘を受け安堵し、事実上の降伏宣言をし、政がそれを受けるという名場面があります。

しかしながら、歴史上そのような事実は無く、王建が咸陽を訪れたという記録もありません

ですので、あの名場面はキングダムのオリジナルという事になりますね。

ですが、斉とは同盟国であり、中華を統一する際一番最後に攻めた国で、斉はほとんど無抵抗で降伏しています。

史実と全く違うというわけではないですが、一国の王が他国の王に単独で会いに行くというのは考えにくい時代で、しかも実際の秦王は暴君だったらしいですし、行ったら殺されかねないですし、まぁ有りえない話しですよね。

 

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【キングダム】信のモデルは李信であり、その子孫は有名人ばかり

キングダムの信のモデルは李信という実在した人物なのは有名ですが、李信の功績といえば、政を暗殺しようと燕の太子丹は暗殺者 荊軻を送り込みますが失敗に終わり、太子丹は追われる立場になります。

この時丹を討ち取ったのが李信でした。

他にも趙の太子嘉が起こした国、代を滅ぼし、六国最期の国 斉を蒙恬、王賁と共に攻め、降伏させています。

特筆すべきはその子孫で息子は李超という名で漢の大将軍になったとされています。

孫の李広は飛将軍とも呼ばれ、虎だと思って放った矢が石に突き刺さっていたという逸話がありよほどの豪腕だったのではと思わせます。

更には西涼という国を建国した李暠という人物も李信の子孫で李暠の子孫に詩人として有名な李白がいます。

そして一番の出世頭は李淵で当時の日本とも国交があった唐を建国したのです。

このように歴史上に名を残している子孫が数多くおり、秦滅亡後も一族は絶えること無くしぶとく生き続けていたのです。

この頃の記録は全てが完璧に残っている訳ではないので、信憑性の薄い話もありますが、信の子孫が国王になってしまう時代がくるのです!

歴史の面白さを感じますね!

 

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【キングダム】秦は万里の長城などで人心が離れ建国15年で崩壊

中華を統一し、五百年の争乱に終止符を打った秦の始皇帝。

敵味方含め多くの血が流れ、多くの犠牲を伴い成し得た偉業だったのですが、統一後、たった十五年で秦は滅んでいます

何故?と思ってしまいますよね。

自分の為のお墓、驪山陵を造ったり、阿房宮というお屋敷を造るなどの労働を強いたり、万里の長城建設での重労働は死者も出ていた程でした。

戦乱の世が終わって戦争に行く事は無くなった民でしたが、その代わりに過酷な労働や重税が待っていたのです。

そして、記録には始皇帝は三度暗殺されかけており、かなり疑心暗鬼になっていたのでは?と言われています。

その為、数人のお気に入りの家臣としか面会しなくなります。

お気に入りの代表格が趙高で、始皇帝の死後、趙高は権力を握り有能な将軍や家臣を粛清してしまい、結果、国力を低下させてしまったのです。

そして秦滅亡の引き金となった陳勝・呉広の乱が起き、項羽と劉邦が台頭してくると、秦は抗える力もなく滅亡してしまうのです。

統一後あまりに急いで色々なことをしてしまい、民や元六国の不満を増幅させてしまった始皇帝。

それが反乱に繋がり、次の英傑を台頭させてしまったのです。

政は暴君だったようですが非常に仕事熱心であったことも知られています。

そんな一面もあったのに勿体ないことをしましたね。

権力者っていう人達はいつの時代も自分の欲を満たしたがるんでしょうね。

この後中華を統一した漢は秦の失敗から多くを学び、長期政権を握り続ける事になるのです。

劉邦賢い!

 

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まとめ

キングダムの世界は決して史実通りとは言えません。

河了貂は実在しませんし、楊端和は男ですし、羌瘣も男かもしれないですし、政は嫌なヤツですし。

しかし、実在する人物はいて、モデルとなっている人物もいて、歴史上で実際に起こった出来事はしっかりと描かれていて、このまま政は中華統一を成し遂げるのでしょう

しかし、その過程をキングダムの世界でどう描かれていくのかがキングダムファンの楽しみにしているところではないでしょうか。

この記事のまとめ
  • 政は史実では暴君だった
  • 羌瘣は史実でも将軍だった
  • 楊端和も実在の男将軍
  • 秦の滅亡は重税と労働
  • 李牧の最期は悲惨な処刑
  • キングダムの会談は架空の話
あいり
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