【キングダム】太后(たいこう)は呂不韋だけを愛した!?邯鄲の宝石が辿った波乱の運命とは? | 漫画コミック考察ブログ

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【キングダム】太后(たいこう)は呂不韋だけを愛した!?邯鄲の宝石が辿った波乱の運命とは?

キングダム 太后 愛と裏切り
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この記事を読むとわかること
  • 太后は邯鄲の宝石と呼ばれた
  • 呂不韋に裏切られた悲劇
  • 政が子供を匿っていた驚き

キングダムでは政の生みの親として、また、男性を虜にさせる絶世の美女として登場する太后です。

どのような人物だったのかというのを、色々掘り下げようと思います。

 

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【キングダム】邯鄲の宝石と言われる程の美しさ

太后は政の実母にして、後宮をまとめる人物でしたが、傾国の美女と謳われ、政を産んだ以後も年を取らぬという噂が立つほど若く美しい容姿をしています。

かつては邯鄲の宝石と呼ばれた一流舞姫であり、清純と気品に満ちたその美貌に多くの貴族達は心を奪われ、我が物にしようと大金を貢いでいます。

また、愛する呂不韋との恋愛の末、彼の許嫁にまでなっています

富と名誉を手に入れ、愛する呂不韋と至福の中にいた美姫となります。

 

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【キングダム】許嫁の呂不韋に利用される

呂不韋との許嫁であった太后はある日突然、呂不韋から後の荘襄王である子楚に結婚するように言われ、太后はそれに従います。

そして、子楚との間に政を身ごもりますが、この裏では呂不韋は金をつぎこみ、子楚を王位に就かせ、秦の丞相の席を手に入れることに成功しています。

つまり太后は、呂不韋の出世のために利用されたと言うことです。

 

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【キングダム】子楚に捨てられ惨めな暮らし

呂不韋の裏切りに絶望し、その上王妃となるも、子楚と呂不韋が彼女と政を置いて秦へ脱出してしまった子楚が秦王になるまでの間、世を呪いながら、体を売りつつ飢えをしのいでいます

ついには秦に戻るまでは趙で侮辱と虐待を受ける過酷な日々を送ることで、全てを憎悪するようになります。

そして、自分が周りの人に政治の道具として使われた事に疲れて絶望したのか、政についても興味が失せております

 

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【キングダム】嫪毒だけに見せた涙

嫪毐は、宦官の一人として後宮に入った男ですが、実は宦官ではなく、呂不韋の命令で太后の性欲のはけ口のみを任務にしている巨根絶倫の男といわれています。

性欲が激しい性分である太后は昔の許嫁である呂不韋に接近しますが、呂不韋も身が持たないと判断し、嫪毐を宛がいます

まさにうってつけの性欲のはけ口として肉体関係を持ち続け、ついには子供も二人も授かりますが、今までの出来事と違い、今回は今までと違い、裏切らない男の愛情のもと、家族を持ったという気持ちに太后は安心して、彼の前で快楽に顔をゆがめながら、涙を流しています。

 

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【キングダム】毐国で求めた心の安らぎ

太后は毐国では心の安らぎを求めました。

それは、今までの境遇に他なりません。

今までは愛する男に他の男に嫁ぐように言われたり、嫁いだ先の男も周りの戦略から離れることになったりします。

そして、残された自分は周囲に侮辱と虐待にさらされるなど安住の場所など無かったのだと思われます。

それ故に毐国は、愛する男と愛する子供に囲まれる、自分の心の安らぎが得られる国であったと考えます。

 

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【キングダム】自分の命より子供たちの命

嫪毐処刑の場に現れた太后は、 己を先に処せよと政に食いかかりますが、政はあくまで反乱首謀者としての断罪人は嫪毐だとし太后を退けます

また、太后は、嫪毐との間に産まれた2人の子の処遇について、政に問いますが、それに対し、政は、二度とこのような反乱が起きぬよう国家の禍となる火種は完全に消しておかねばならないと太后に告げます。

太后は初めて政に対して涙ながらに頭を下げ、最初で最後の頼みだとして子の命だけはと懇願したのですが、政は断固としてそれを拒否します。

 

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【キングダム】最後まで太后をかばった嫪毒

嫪毐は毐国造反の旗頭として祭り上げられてしまいますが、しかし、太后が心の中に隠している悲哀を見て取ったことで、太后のために忠誠を尽くし生きることを決意した後は、愚鈍ながらも一角の男としての器量と風格を見せるようになります。

毐国の反乱鎮圧後、捕えられて車裂きの刑に処せられ一族もすべて誅殺されますが、取り調べでは反乱をすべて自らの計画として太后を庇い通します

最期まで太后への愛に殉じ、太后に今までの感謝を述べたのち、従容として刑に臨みます

 

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【キングダム】子供たちは生きている?

毐国の反乱鎮圧後は、その責任を一身に引き受けた嫪毐の貢献もあって、雍に軟禁されながらも助命を許されます

ただ、嫪毐と2人の子を失い、絶望の中、疲弊しきっていた太后のもとへ、政はひとり訪れます。

生気もなく泣き疲れて眠る母の隣で政は語ります。

“2人の子は密かに城外に出して匿っており、いつか国内が落ち着いたら必ずや2人と引き合わせる”と約束します

 

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まとめ

太后は、生まれの絶世の美女と持てはやされていたのだが、その美貌がゆえに色々な男に利用される運命に翻弄された悲劇の女だと思います。

ただ、最後には愛する男に出会って一時ですが幸せを得たのではないでしょうか。

太后は最後の最後で息子の政との和解を得ていることで、過去のわだかまりが幾分和らいだのかと思います。

この記事のまとめ
  • 太后は邯鄲の宝石と呼ばれた
  • 愛する呂不韋に裏切られた
  • 子楚との結婚で運命変化
  • 苦難の日々を送った太后
  • 最後に息子と和解した
  • 呂不韋の忠誠を受けた太后
あいり
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