- 悼襄王は病気で傲慢な王だった
- 最期は美少年に囲まれ死去
- 誰かの毒殺の可能性が浮上
キングダムの中で、秦国の王である嬴政に関しては、武力を持って中華統一を目指すと言いつつも、その熱い思いと強い覚悟で魅力的な王として描かれています。
一方で、その他の国の王に関してはそこまで描かれているものはまだ少なく、登場シーンで多いのは斉の王建と趙の悼襄王の2つの国の王のみです。
その中で、特に趙国の王である悼襄王は、傲慢で自己中心的な暗君として描かれています。
国の民のことを顧みず、自国の李牧からも暗いと言わせるほど、趙にとっては非常に悩みの種になっているのが悼襄王です。
病がちで最後には浴室で血を吹き出しながら亡くなりますが、その死因に関しても毒殺との見方がでています。
今回は、そんな趙国の暗君でもある悼襄王について紹介してきます。
目次
【キングダム】悼襄王(とうじょうおう)とは?
悼襄王のお題で。風呂ショタ添えて
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悼襄王は、史実では春秋戦国時代において趙国の第9第の君主として記されています。
また、悼襄王が趙国の王として即位したのは、紀元前244年となります。
この紀元前244年というのは、キングダムの中においては、秦国の怪鳥でもある王騎将軍が、李牧と龐煖によって討ち取られた時になります。
また、史実において悼襄王は、即位した後にそれまで趙の三大天をつとめていた廉頗を裏切り、魏に亡命させてしまいます。
ちなみに廉頗は、キングダムの中で趙を追われて魏に赴き山陽の戦いで登場しますが、飛信隊をはじめ秦軍に敗れたことにより、更に楚に亡命することになります。
キングダムの中で悼襄王が初めて登場したシーンは、幼い少年たちと一緒に大きな風呂に入っているシーンでした。
多くの子どもたちに囲まれて風呂に入る王の姿は、一見すると民衆を思った振る舞いに思われますが、趙国の民のことは少しも考えておらず、王都を自分のものとして傲慢で自分勝手な性格です。
子どもたちと風呂に浸かっているのも、美少年を寵愛している性癖からでした。
キングダムの中でもその悼襄王の異常性が幾度となく描かれており、だいたい登場する際には美少年たちと風呂に浸かりながら描かれています。
悼襄王の傍若無人振りは、秦王嬴政と同じように中華を支配する野心のようなものがあるのかと思われていましたが、その理由は別のところにありました。
悼襄王はもともと病がちの状態でした。
時折血を吐くシーンもキングダムの中では描かれており、自分自身も死期が近いことを悟っており、早くに死ぬことを受け入れていました。
そのため、もうすぐ死ぬ自分にとっては、趙国がどうなろうがあまり気にしてはおらず、好きなことを好きなようにしながら日々を暮らしていました。
趙国が秦から攻撃を受けた時にも、李牧が兵の増援を求めて王に謁見を求めましたが、悼襄王は少しばかりの兵をあてがうのみで、自分が住む王都邯鄲の防御の方に重きをおいていました。
仮に王都邯鄲を攻撃されたとしても、防衛している間に自分は死ぬから「後のことなど知ったことか」と述べ、あくまで死期が近い自分の快楽を優先し、民衆のことは後回しにする身勝手な王となっていました。
キングダムの中においても、悼襄王は秦国による鄴攻めの戦いの後、病によって死んでしまいます。
いつものように美少年たちと浴室で休んでいましたが、ワインを口にすると身体中から血を吹き出し、そのまま息を引き取りました。
【キングダム】悼襄王(とうじょうおう)の性格とは?
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悼襄王は、病に侵されている影響もあり、自身の残りの人生を謳歌するために、自国の民をないがしろにし、自分勝手に日々を楽しむことに特化しています。
また、小児性愛が強く、常に美少年を周りに囲っています。
傲慢で自己中心的な考えから暗君とも呼ばれています。
【キングダム】悼襄王(とうじょうおう)の最期とは?
※ネタバレ注意!
悼襄王
現趙王。病がちで、自分のことしか考えていないため、秦軍が王都圏に攻めてきても籠城すると言ってきかなかった。廉頗に大将剥奪を言い渡したのも彼。#キングダム pic.twitter.com/kD1N829tyI
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悼襄王は、秦国による鄴攻めの戦いの後、病によって死んでしまいます。
いつものように美少年たちと浴室で休んでいましたが、ワインを口にすると身体中から血を吹き出し、そのまま息を引き取りました。
以前より病気によって血を吐くシーンも描かれていましたが、ワインを口にした瞬間に一気に倒れたことから、誰かによる毒殺の可能性も考えられます。
悼襄王の最後の死因については、特に明確な理由はキングダムの中で描かれていません。
そもそも悼襄王には快く思っていない敵が身内にも多くいますので、暗殺されても不思議ではありません。
また、悼襄王が最期に苦しんでいる時に、今まで寵愛してきた美少年がクスクス笑うだけで誰も助けてくれなかったシーンも衝撃でした。
【キングダム】悼襄王(とうじょうおう)と李牧の関係性とは?
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李牧は、悼襄王のもとで暮らす趙のことを暗いと言いつつも、軍を起こして攻撃を仕掛けるには王の許可を得なければならず、度々謁見を繰り返しています。
そのため、趙に暮らすものとしての一定の誇りと従順さは悼襄王に対してもある程度あったのではと伺えます。
一方で、悼襄王は李牧に対して合従軍の戦いと秦国に攻め入られたことで李牧は2度失敗したと考えており、あまりあてにはしていない印象です。
それでも鄴攻めされた時には一定数の増援を送っていますので、そこまで信頼していないという訳でもなさそうです。
李牧は、悼襄王の後の太子嘉が次代の王になることを期待していました。
悼襄王とは違って真っ当な性格の太子嘉は、秦の嬴政にもどこか似ていて、趙に希望を与えてくれる存在だと思われていました。
【キングダム】悼襄王(とうじょうおう)を殺したのは臣下?
キングダム、郭隗と郭開を勘違いしてうっかり有能に描いてしまった説すき pic.twitter.com/GQp7rUhxuK
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先ほど悼襄王の最期について紹介した中でもふれましたが、悼襄王の最期は、病死ではなく毒殺の可能性もあります。
では、誰が毒殺を行ったのでしょうか?
悼襄王自体はその傍若無人な行動から、趙の内外で信用されていませんでしたので、毒殺が本当であれば犯人の可能性がある人物は多岐に渡ります。
一番可能性が高いのは、臣下の郭開です。
郭開は、悼襄王の側近でもありましたが、悼襄王の死期が迫ると周囲から太子嘉を次の王にする声が高まります。
太子嘉は李牧を崇拝しており、嘉が次の王になれば郭開は飛ばされる可能性が高くなります。
そのため、悼襄王が生きている内に次の王を太子嘉ではなく太子遷にし、口封じのために悼襄王を毒殺した可能性もあります。
【キングダム】悼襄王(とうじょうおう)を殺したのは太子嘉?
太子嘉 pic.twitter.com/CmdruRRFkp
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もう一つ悼襄王を毒殺した可能性が考えられるのは、太子嘉です。
悼襄王の最期の日は、鄴攻めの敗因の責を取って李牧が処刑される日でもありました。
この李牧の処刑に一番反対したのが太子嘉でしたが、受け入れてもらうことが出来ず、また太子嘉は悼襄王によって耳を食いちぎられてしまいます。
悼襄王の異常性を一番恐怖と感じ、かつ李牧を救い出すとすれば、太子嘉が悼襄王を毒殺した可能性も考えられます。
【キングダム】悼襄王(とうじょうおう)を殺したのは李牧派?
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続いて悼襄王を毒殺した可能性が考えられるのは、李牧一派です。
先ほどふれたように、鄴攻めの敗因の責を取って李牧の処刑が決まります。
当然李牧一派にとってこの決定は受け入れられるものではありませんので、反旗を翻して悼襄王の暗殺を画策する可能性は考えられます。
実際に舜水樹や扈輒も悼襄王のことをクソだと罵っており、暗殺に動く可能性は高いと思われます。
【キングダム】悼襄王(とうじょうおう)を誰も殺していない?
自分、悼襄王なんですか?!😂笑 pic.twitter.com/mwVePyD3Pp
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一方で、誰も悼襄王の暗殺には関わっていない可能性もあります。
病気がちで直前まで血を吐きながら生きていましたので、本当に病気で死んでしまった可能性もあります。このあたりは今後キングダムの中でも触れられるかもしれません。
まとめ
いかがでしょうか。
今回は、趙の暗君、悼襄王について紹介してきました。
キングダムは、秦国王の嬴政が中華統一を図るための模様を中心に描かれていますが、中華統一のためには周りの国を打ち倒さなければなりません。
そこにはもちろん他の王がいるため、その王のことについて知ることは、今後の展開を知る上で非常に参考になるでしょう。
趙の王である悼襄王は、病か暗殺かによって最期を迎えました。
しかもこの次に王になったのは、悼襄王以上の異常者である太子遷です。
悼襄王亡き後、趙がこのあとどうなってしまうのか、期待していきましょう。
- 悼襄王は春秋戦国時代の王である
- 彼の最期は病死か毒殺の可能性
- 傍若無人な性格が暗君と呼ばれる理由
- 太子嘉や郭開にも暗殺の動機があった
- 李牧派が暗殺を企んだ可能性もある
- 悼襄王の治世後の趙国が気になる
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