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王齕は弱いのか?
結論から言うと、王齕は弱くありません。汗明に敗れたという話は29巻311話で汗明本人が語っただけで、作中での評は「六将随一の怪力豪将」です。
王齕は昭王の時代の秦の六大将軍のひとりで、物語が始まった時点ですでに亡くなっています。本人の出番はほとんど無く、名前が大きく出てくるのが汗明の自慢話の中なので、「汗明に負けた六将」という印象だけが残りがちです。この記事では、作中の王齕がどう描かれているか、汗明の話をどう読むべきか、そして史実の王齕がどれほどの将だったかを順に見ていきます。
この記事でわかること
- 作中の王齕の立場と、「六将随一の怪力」という評
- 汗明に敗れた話は何話で、どこまで本当なのか
- 王齕は死亡しているのか、死因は描かれたか
- 史実の王齕と、長平の戦いでの戦歴
- 王騎と同一人物だという説
- 原先生が王齕を「負けた話」で出した理由(カイの読み)
作中の王齕はどんな将か
| 項目 | 王齕 |
|---|---|
| 読み | おうこつ |
| 立場 | 昭王の時代の六大将軍のひとり |
| 作中の評 | 六将随一の怪力豪将 |
| 得物 | 長柄の大斧 |
| 汗明との話 | 29巻311話「明かされる戦歴」で汗明が「退けた」と語る。真偽は不明 |
| 生死 | 物語開始時点で故人。死因は描かれていない |
| 史実 | 『史記』に実在。長平の戦いで最初の総大将、のち白起の副将 |
六大将軍は、昭王から「戦争の自由」を与えられた6人の大将軍です。顔ぶれは白起・王騎・王齕・胡傷・司馬錯・摎でした。白起は長平で趙兵40万を生き埋めにした将、胡傷は六将のなかで唯一の軍師出身で昌平君の師、摎は昭王の娘という秘密を持つ将として、それぞれ過去が語られています。
そのなかで王齕に与えられた言葉は、「六将随一の怪力豪将」です。得物は長柄の大斧で、知略や出自の話ではなく、力そのもので名を知られた将として置かれています。
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六将のほかの5人には、それぞれ物語が付いています。
王齕にだけは、腕力という一語しか与えられていません。
だからこそ、王齕は「強さの目盛り」として使いやすい将だったのだと思っています。
誰かの強さを示したいとき、比べる相手としてちょうどいい位置にいるからです。
汗明に敗れた話は何話で、本当なのか
王齕の名前がいちばん大きく出てくるのは、合従軍編で楚の総大将・汗明が蒙武と一騎打ちをする場面です。29巻311話「明かされる戦歴」で、汗明は若いころ、楚に攻め込んできた王齕を退けたと語ります。
秦と楚はそれまで長く戦っていませんでした。その間にただ一度、人知れず楚へ攻め入った秦の将がいて、それが王齕だったという話です。汗明の言い分では、王齕は手ひどく傷を負って逃げ帰りました。
ただ、これは汗明が自分の強さを語る流れで出てきた話です。作中でほかの誰かが裏づけたわけではなく、真偽ははっきりしません。そして汗明自身は、3話あとの29巻314話「”至強”決す」で蒙武に討たれています。
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汗明が王齕の名を出したのは、蒙武を見下ろすためでした。
六将随一の怪力を退けた男だ、と言えば、蒙武より上だと言えるからです。
その汗明を蒙武が倒したことで、王齕の話は蒙武の強さの証明にすり替わった。
王齕は負けた将として出てきたのではなく、蒙武を六将の格まで押し上げるための物差しとして出てきたのだと読んでいます。
六大将軍の「戦争の自由」と、王齕の立ち位置
六大将軍は、昭王が6人の大将軍に与えた特別な立場です。本営の許しを待たず、自分の判断で戦を起こし、動かせる「戦争の自由」がその中身でした。王齕もこの特権を持って、趙・魏・韓の戦場を駆けていたことになります。
この制度は昭王の死とともに途絶え、長く空席になっていました。のちに政が62巻671話で六大将軍の復活を宣言し、蒙武・騰・王翦・楊端和・桓騎の5人を任じています。第六将の席は空けられ、その後の桓騎の戦死と844話での騰の退任で、空席はいま3つになっています。
新しい六将が生まれたことで、旧六将の強さはあらためて比べられるようになりました。王齕の名が出るたびに「汗明に負けた」と言われがちなのは、比べる材料がその一話しか無いからでもあります。
王齕は死亡しているのか
作中の王齕は、物語が始まった時点ですでに亡くなっています。いつ、どう死んだのかは描かれていません。同じ旧六将でも、摎は龐煖に討たれ、王騎は16巻172話で戦死したと描かれていますが、王齕の最期は空白のままです。
史書のほうでも、王齕の死ははっきり残っていません。この空白が、次に見る「王騎と同一人物ではないか」という説につながっています。
史実の王齕は、長平の戦いの総大将だった
王齕は『史記』に名前の残る実在の将軍で、秦の昭襄王(作中の昭王)と荘襄王に仕えました。作中ではほとんど描かれませんが、史書の戦歴は六将の名に見合うものです。
紀元前260年、王齕は趙の上党を取ります。上党の民が趙の長平へ逃げ込んだことで起きたのが長平の戦いです。秦の最初の総大将は王齕で、迎え撃った趙の総大将は廉頗でした。廉頗が守りを固めて長く持ちこたえたため、秦は趙の総大将を若い趙括に替えさせ、自分たちもひそかに総大将を白起に替えます。王齕は白起の副将になり、秦は長平で趙を大きく破りました。
そのあとも王齕は趙の皮牢を取り、紀元前258年には攻めあぐねていた王陵に代わって邯鄲攻めの将になっています。邯鄲は落とせませんでしたが、魏を攻めて6千を斬り、黄河で6万の魏兵が溺れ死んだと記されています。紀元前247年には韓の上党を攻めて太原郡を置きました。
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史書の王齕は、廉頗の守りを崩せず総大将を替えられた将でもあります。
負けたわけではないのに、手柄は白起のものになりました。
作中で汗明の話にだけ名前が残るのは、史書の王齕の損な役回りをそのまま写しているようにも見えます。
勝った戦でも主役になれなかった将、というのが王齕の顔だと思っています。
王齕と王騎は同一人物なのか
史書には、王齕と王騎を同じ人物とみる説があります。『史記』の秦本紀で活躍する王齕は、秦始皇本紀には一度も出てきません。逆に秦始皇本紀で初めて出てくる将軍・王齮(王騎)は、秦本紀に出てきません。
『史記集解』は、始皇元年に将軍に任じられた「王齮」について、「齮」の字は「齕」とも書くという説を引いています。王齮は紀元前244年に亡くなったと記されているので、同じ人物ならそこが王齕の最期ということになります。
キングダムでは、王騎と王齕は別々の六大将軍として描かれています。同一人物説を下敷きにしながら、2人に分けて物語を広げた形です。なお作中で、王齕と王翦の血のつながりは描かれていません。
まとめ|王齕は弱くない。汗明の話は自称にすぎない
王齕は弱い将ではありません。汗明に敗れたという話は29巻311話で汗明が語っただけで、作中の評は「六将随一の怪力豪将」です。
押さえておきたい事実を並べます。
- 昭王の時代の六大将軍のひとり。得物は長柄の大斧
- 汗明が王齕を退けたと語るのは29巻311話。真偽は不明
- その汗明は29巻314話で蒙武に討たれた
- 作中では故人で、死因は描かれていない
- 史実では長平の戦いの最初の総大将で、のちに白起の副将
- 王騎(王齮)と同一人物だという説が古くからある
僕はこう読む
王齕の強さを知る手がかりは、実はほとんど描かれていません。
それでも「六将随一の怪力」という一言が残っているから、汗明の自慢が効いたのです。
弱い将の名を出しても、誰も驚かない。
汗明が選んだ名前そのものが、王齕が強かったことの裏返しだと思っています。
汗明の話を事実として受け取るか、蒙武を挑発するための誇張と見るかで、王齕という将の見え方はずいぶん違ってきます。
——あなたは汗明が王齕を退けたという話を、本当だと思いますか。それとも、蒙武を揺さぶるための誇張だと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
汗明との話が何話なのか、王齕と王騎が同じ人物なのかを聞かれることが多いので、短く答えます。
Q. 王齕は汗明に負けたのですか?
A. 汗明がそう語っただけです。29巻311話「明かされる戦歴」で汗明が「若いころ王齕を退けた」と話しますが、作中でほかに裏づけはありません。
Q. 王齕は何巻に出てきますか?
A. 名前が大きく出てくるのは、汗明と蒙武の一騎打ちを描いた29巻です。本人の出番は六大将軍の回想などに限られます。
Q. 王齕の死因は何ですか?
A. 作中では描かれていません。物語が始まった時点で故人です。史書にも死の記録ははっきり残っていません。
Q. 六大将軍のメンバーは誰ですか?
A. 昭王の時代は白起・王騎・王齕・胡傷・司馬錯・摎の6人です。六大将軍という制度は作品の設定で、史実にはありません。
Q. 王齕と王騎は同じ人物ですか?
A. 史書には同一人物とみる説があります。キングダムでは別々の六大将軍として描かれています。
Q. 王齕は実在した人物ですか?
A. 実在します。『史記』に、長平の戦いで最初に秦の総大将を務め、のちに白起の副将になったと記されています。
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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月26日


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