【キングダム】廉頗を凌ぐ強さ!?実在した趙の名将・楽乗の秘密とは? | 漫画コミック考察ブログ

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【キングダム】廉頗を凌ぐ強さ!?実在した趙の名将・楽乗の秘密とは?

キングダム 楽乗 楽乗の謎
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この記事を読むとわかること
  • 楽乗は廉頗と対峙し敗北した
  • 楽乗は廉頗の忠誠心を問うた
  • 楽乗は実在の武将で生存中かも

本記事では趙の将軍・楽乗について詳しくご紹介!

楽乗は廉頗が魏に亡命するきっかけとなった戦い、その相手を務めた将軍です。

三大天・廉頗を相手に趙軍対趙軍という異質の戦いをすることになった楽乗。

実はかの軍神と同じ血筋を持つ、趙でも屈指の武将なんです。

それではその強さや性格、廉頗との戦いや結末、廉頗との関係、実在していたかどうかまで、楽乗について徹底的にまとめていきます!

 

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【キングダム】楽乗のプロフィール

楽乗(がくじょう)は18巻で登場した趙国の大将軍

キリっとした塩顔が特徴です。

王命に背いた廉頗に激昂した悼襄王から廉頗討伐を命じられ、秦が魏との蛇甘平原の戦いを行った年(紀元前245年)に同じ趙軍である廉頗軍と対峙し敗北しました。

 

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【キングダム】楽乗の性格とは?

楽乗は廉頗と対戦するにあたって廉頗の理不尽な扱いに理解を示しており、事前に廉頗に王へ謝罪するよう諭していたことから、情に厚い性格であることが窺えます。

また、その進言が断られると手加減せずに戦に臨む姿勢を見せたり、敗北の際には廉頗に趙国への忠誠心を問うたりするなど、将として真面目な性格でもあります。

 

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【キングダム】楽乗の強さとは?

楽乗は廉頗に次ぐ趙国No.2の大将軍

つまり国の英雄・三大天である廉頗に次ぐ実力を持っているということです。

しかもその実力は密かに「廉頗を凌ぐのでは」と噂されていたほど

廉頗との直接対決では実力の違いを見せつけられてしまいますが、楽乗が皆に認められる趙軍屈指の大将軍であることは間違いありません。

 

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【キングダム】楽乗は実在した?

楽乗は史実にも名が残る人物

恵文王・孝成王・悼襄王に仕えていた趙の武将です。

初めに名が見られるのが紀元前270年で、秦の胡傷が韓を攻めるために閼与に侵攻した際、趙の恵文王が廉頗と楽乗に閼与を救援するべきか諮問したと言います。(廉頗と楽乗は不可能だと答え、その後可能だと答えた趙奢が胡傷を退けました:閼与の戦い)

つまりこの時にはすでに楽乗はそれなりの地位にいたということですね。

楽乗はその後(紀元前256年)慶舎と共に秦の信梁(王齕とも言われる将です)を破り、紀元前251年には燕の卿秦率いる20万の軍を5万の軍で破りました。

紀元前250年には武襄君に封じられ、その翌年仮宰相となり燕の国都を攻囲。

そして孝成王から悼襄王に代わった紀元前245年、『キングダム』で描かれた廉頗との対戦となり、敗れた楽乗は逃亡したというところまでが記されています

楽乗は優れた才能を持ち、それに見合う高い地位と王の信頼を得ていた優秀な武将であったことが分かりますね。

『キングダム』で廉頗に次ぐNo.2として描かれていたのも納得です。

 

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【キングダム】楽乗と楽毅の関係性とは?

楽乗は燕の武将・楽毅と血縁関係にあります

楽毅は燕を復興させた英雄で、「秦の六将」「趙の三大天」という強力な武力があったにも関らず中華のバランスが保たれていたのは「東にこの楽毅がいたからに他ならない」とも言われている伝説の大将軍です。

何より楽毅は、諸葛孔明や高祖劉邦ら後世の偉人をして「軍神」と言わしめた軍略の天才。

楽乗の“廉頗を凌ぐ”とも言われる強さの所以は、きっと「軍神」楽毅と血の出所を同じくする類稀なる軍才なのでしょう

ちなみに史実では楽乗は、楽毅の子・楽間と親しい間柄でした。

 

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【キングダム】楽乗と廉頗の関係性とは?

楽乗の活躍と言えば、かねてよりお伝えしてきた廉頗との対戦です。

これは紀元前245年、趙王が孝成王から悼襄王に代わったことで起きた趙軍対趙軍の激突。

原因は太子の頃より素行の悪かった悼襄王を、廉頗がしばしば諫めていたことでした。

そのことを恨んでいた悼襄王は、王に即位するやいなや廉頗に大将剥奪を言い渡し、それを廉頗が拒むと、廉頗を逆賊として5万もの軍を興し討伐を命じたのです。

そしてこの軍を率いることになったのが楽乗。

乗は20年共に戦ってきた廉頗を討つことになりました

廉頗軍8千に対し楽乗軍は5万、しかも同志であった廉頗の戦いは熟知していたため己の勝利を確信していた楽乗。

ところが気が付けば楽乗は、単騎で本陣まで乗り込んできた廉頗に矛を突きつけられていたのでした。

敗北した楽乗は、廉頗が国を捨てるつもりであったことを知り、趙への忠誠心を問います。

そんなに軽かったのですか!?趙国への思いは!

すると廉頗は「戦への思いの方がはるかに重い!」「戦が廉頗の全てだ!」と即答。

楽乗は将軍としての器の違いを実感したのでした。

ちなみに史実では、罷免された廉頗が後任の楽乗を攻撃したとのことなので、2人の関係は『キングダム』よりギスギスしていたのかもしれません

 

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【キングダム】楽乗は死亡した?

廉頗は楽乗を討ち取ることはせず、そのまま魏に亡命しました

つまり楽乗は生きていると考えられますが、この戦いが描かれて以降登場していません

史実でも廉頗に敗北し逃亡、亡命したとされており、そこから名が出ていません。

よってこれ以降の楽乗の動きは分からないわけですが、廉頗と同じように他国の将として起つなど『キングダム』オリジナルの動きを見られたらいいなと思いますね。

 

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まとめ

楽乗は軍神・楽毅の一族であり、趙国No.2の大将軍

悼襄王に命じられ、同国の英雄・廉頗と戦うことになりました。

作中では廉頗のエピソードのついでに出てきたような楽乗ですが、史実から見ても戦国期の趙国において優秀な武将であったことが窺えますし、その実力をもっと知りたかったと思う武将です。

史実も含めて廉頗との戦い以降の行方はわかりませんので、『キングダム』ではまた出てきてくれるのではないかと、楽乗の再登場に期待してしまいます。

この記事のまとめ
  • 楽乗は趙国の大将軍である
  • 廉頗との戦いで敗北した
  • 楽毅の血を引く武将である
  • 情に厚い性格が特徴的
  • 将軍としての器の違いを実感
  • 史実でも名を残す人物である
あいり
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