【キングダム】春申君の裏切り!?合従軍を指揮した英雄の悲劇的な最期と楚国の真実 | 漫画コミック考察ブログ

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【キングダム】春申君の裏切り!?合従軍を指揮した英雄の悲劇的な最期と楚国の真実

キングダム 春申君 暗殺の真相
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この記事を読むとわかること
  • 春申君は合従軍の総大将である
  • 李牧との密談で合従軍結成
  • 春申君の裏切りが意外な展開に

戦国四君として華々しい人生を歩んできた春申君。

合従軍を機に人生が一変した人物の一人です。

その華々しい人生から、悲惨な最後までの経緯を紹介していきます。

 

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【キングダム】合従軍総大将の春申君(しゅうしんくん)

秦が魏の山陽を攻略し、東郡と名前を変えた事で秦が中華統一に本格的に乗り出す事を確信した李牧は、楚の春申君と密談します。

密談の中身は合従軍についてでした。

平和をこよなく愛する李牧は、秦が中華統一に乗り出す前に、秦を滅ぼさねばならなかったのです。

何故なら、中華統一する為には六国を全て滅ぼさねばならなかったのです。

もちろん黙って滅ぼされる国はないでしょうから、武力での中華統一となります。

そうなると、今よりもっと大勢の人が死んでいくのです。

李牧はそれだけは避けたかったのです。

同じく秦の山陽攻略で秦の思惑に気づいた春申君と共に、合従軍についての話をしたのです。

そして春申君もまた、秦を滅ぼさねばならないと感じていました。

春申君は総大将として、合従軍に参戦する事になるのです。

ちなみに、史実においても春申君は合従軍の総大将と努めていますね!

 

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【キングダム】宰相として長年楚国をまとめる偉人

食客3千を抱える戦国四君の最後の生き残りで、楚の宰相を20年も努めている春申君。

その名は中華全土に知られていました。

楚王からの信頼も厚く、王宮内を一手に任されていました。

春申君は本名を黄歇といい、紀元前273年に秦と楚の和平の証として、後の考烈王である完太子と共に秦に入る事になります

紀元前264年に当時の楚王である頃襄王が病に倒れると、黄歇は密かに太子完を楚に帰します。

もちろん秦は怒りますが、黄歇は太子完の弟を代わりに人質とする事で事なきを得ます

この太子完の弟は後に昌文君と名乗ることになります。

昌文君???

そうです。

政の側近の昌文君です!

なんと昌文君は楚の王族だったのです!

そして昌平君は人質時代の考烈王の子供で、昌文君とは親戚にあたるのです。

キングダムではそこまでは描かれていませんが、今後間違いなく関係してくる血筋かと思われます。

それはともかくとして、楚に帰った太子完は無事に王位を継ぎ、考烈王となったのです。

この時の功績から、令尹(宰相)に任命され、春申君と名乗ることになったのでした。

それ以来、長年に渡り楚の宰相として考烈王を支え続けるのです。

 

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【キングダム】春申君の性格は?

春申君は戦国四君と呼ばれ、3千人もの食客を抱えているだけあって、高貴な出で立ちをしています。

顔も整っており、髪もサラサラ。

しかしその実態は、かなりの上から目線ですw

六国の総大将を「お前ら・・・」と総称していますしね。

配下の臨武君を平気で「ハゲ」と呼んでいますし、大分口が悪いようですw

怒りに任せて机をひっくり返すあたり、かなりの激情型とも思われます。

楚将である臨武君が戦死した時は、「ハゲがしくじったか・・・」と死者を冒瀆する始末。

中々のきつい性格をしていますね。

合従軍敗北後は、八つ当たり気味に合従軍を裏切った斉に攻め込んでいます。

しかし、李牧同様に秦の狙いにいち早く気づき、合従軍結成に踏み切った事からも、冷静に先を見通す能力にも長けていたのではないでしょうか。

 

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【キングダム】春申君と李牧の関係は?

春申君がキングダムで初めて登場したのは、李牧と密談をしているのを、信が目撃した時です。

この時の密談の内容は間違いなく合従軍絡みだったはずですが、この時は敵味方全員が「楚趙同盟」の為の密談と思っていました

春申君は李牧を「あの男は想像していたよりも恐ろしい男だぞ」と言っています。

楚趙同盟どころではなく、六国で手を組む合従軍結成についての話だったのですから、そう表現したのでしょう。

李牧は春申君に合従軍の総大将をお願いしており、自分は参謀を務める事にします

これは戦国四君の一人である春申君が総大将であれば、誰もが六国は平等だと納得するだろうという考えでした。

李牧が総大将となれば、趙が中心みたいに思われかねないと李牧は考えました。

そう思われると不平不満が出てきて、合従軍が機能しなくなる恐れがあったのです。

流石に李牧はよく考えていますね!

史実での2人の接点は確認できませんでした

春申君は合従軍戦以降には目立った活躍はありませんでしたし、李牧が歴史にまとも登場したのは、合従軍以降になりますので、関わりがあったのかどうかは定かではありません。

 

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【キングダム】合従軍が敗戦すると春申君は左遷された?

合従軍の武の象徴であった汗明が蒙武に討たれ、媧燐の別働隊での奇襲も王翦に阻まれ、李牧の南道攻略も蕞で飛信隊や政に阻まれてしまい、合従軍の敗北は決定的となります。

敗れた合従軍側の武将のその後の末路は人それぞれです。

合従軍でその名を知らしめた2人の武将、魏の呉鳳明と楚の媧燐。

戦いそのものには敗れはしたものの、この2人に関しては相当秦を苦しめました。

秦は各所で勝利を収めましたが、この2人の軍を破る事は出来ませんでした。

秦を大いに苦しめ、国の名誉を守った呉鳳明と媧燐は、帰国した後は出世が待っていました

2人とは対象的に、王翦に完膚なきまでに叩きのめされ、全く活躍出来なかったオルドは、恐らくは何らかの降格なり、待遇が悪くなるなどの処罰があったはずです。

詳しくは描かれていませんが、燕国内においてオルドを押していた大臣らが、泥を被る形となり、王宮が荒れていると李牧に報告がありましたね。

その李牧は宰相の任を解かれ、前線地の現場監督回りをさせられます

そして、合従軍の総大将を努めた春申君は、楚王からの信用を失ってしまい、王宮から離れた来虎という田舎都市に左遷されてしまうのです。

合従軍の総大将を努めた国の王としては面目丸つぶれですから、全ての怒りをぶつけられたって感じでしょうね。

 

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【キングダム】春申君を暗殺した李園

合従軍の敗戦から3年後、秦では政が長年に渡る呂不韋との戦いを制し、秦の実権を手に入れます。

そして早速、魏の要所である衍氏城を攻略します。

衍氏城を攻略したのは、なんと山の民でした。

これは山の軍勢が完全に秦と手を組んだというのを列国に知らしめた形となり、秦を除いた六国に衝撃をあたえました。

しかしそれ以上に衝撃的な事件が楚で勃発します!

なんと春申君が暗殺されたのです!

戦国四君の一人であり、長年楚の宰相を務め上げてきた春申君の暗殺劇は、楚国内だけでなく列国にも衝撃をあたえました。

春申君を暗殺したのは李園という男でした。

なんと李園は、春申君が抱える食客3千人のうちの一人だったのです!

 

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【キングダム】春申君はなぜ殺された?

李園は何故自分の才能を買ってくれ、食客に加えてくれた主人である春申君を殺害したのでしょうか?

李園には美人と評判の李環という妹がいました。

李環は春申君の寵愛を受け、春申君の子供を身ごもります

ここで楚王であった考烈王と春申君と李園は一計を案じます。

子供のいなかった考烈王には異常な癖をもった弟がいました。

考烈王亡き後は当然王弟が次の玉座に就くことになります。

しかし異常な王弟が玉座に就けば、楚はどうなってしまうのか?

王弟に王位を継がせない為にも、別の王が必要だったのです。

3人は身ごもった李環を考烈王の妻として嫁がせ、生まれてくる子供を次の王にしようとしたのです。

3人とも納得して進めた計画だったはずでした。

しかし春申君が突然「やはり王位は王族に継がせるべき」と言い出したのです。

王族の血筋を途絶えさせる事はあまりに罪深いと・・・

しかしこの計画が明るみになれば、李園はもちろんですが、妹の李環も処罰されてしまうでしょう。

李園は春申君暗殺を決意します。

紀元前238年、考烈王が病死すると、その葬儀に向かう途中の棘門で、李園の刺客に従者もろとも殺されてしまうのでした。

 

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【キングダム】史実での春申君は?

史実において、春申君は概ねキングダムで描かれている通りです。

戦国四君の一人であり、3千人の食客を抱えていました。

性格がきつかったのかどうかはわかりませんw

合従軍の総大将を努めており、敗北し左遷されています。

実際に李園に暗殺されており、その経緯もキングダムで描かれている通りです。

少し違うのは、春申君が王弟に王位を継がせるべき、と言ったのではなく、事の露見を恐れた李園が春申君を暗殺したと記録にはあります

それと李園は野心家で、自分が要職に就く為に妊娠した妹を、子供のいない(実は考烈王には子供が複数人という説もある。その内の一人が昌平君)考烈王に差し出したとあります。

暗殺された春申君の首は、城外に捨てられ、一族も皆殺しにされたそうです。

 

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【キングダム】春申君の名言

春申君はとにかく激情型で、プライドが高く口がすこぶる悪いです。

部下の臨武君のみならず、初めて会った各国の総大将達に平気で「俺はお前らのケツを蹴って回る役についただけだ」とかなりの上から目線で自分の立場を説明しています。

李牧が合従軍を起こした経緯を説明しましたが、あまり頭がかんばしくなさそうなwオルドが「何とも複雑な話であるな・・・」とあまり理解できないでいると、「どこがだバカ!単純明快だろバカ!」・・・2回もw

臨武君が騰に討たれた時は「ハゲがしくじったか」と全く悲しむ素振りはありませんでした。

かなり冷酷な人間に思えますが、李牧同様に秦の「山陽の一手」の意図をいち早く気づきます。

詰みの手をうってきたなら、その盤場を叩きつぶすのが一番だ

口は悪いですが、広い視野を持ち冷静に先を見通す力を持ち合わせていたようです。

 

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まとめ

最後は自分の食客に暗殺されるという、無念の死を遂げた春申君。

実は同じく食客であった朱英という人物から、李園は危険と忠告を受けていたのです。

李園を甘く見たのか、よほど信用していたのかは定かではありませんが、詰めが甘かったのは否めませんね。

しかし、長年大国楚をまとめ上げていたその手腕と、合従軍の総大将を任された統率力は確かなものだったのではないでしょうか。

この記事のまとめ
  • 春申君は合従軍の総大将だった
  • 李牧との密談が合従軍の起点
  • 合従軍敗北後に左遷された
  • 春申君を暗殺したのは食客
  • 李園の暗殺理由は王位争い
  • 春申君は冷静な判断力を持つ
あいり
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