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渉孟は誰に討たれたのか?
結論から言うと、渉孟を討ったのは王騎です。馬陽の戦いで自分から一騎打ちを挑み、14巻で一撃も入れられないまま討たれました。
渉孟は「破壊の渉孟」の異名を持つ趙の将軍です。馬陽の戦いでは、秦の右軍を崩して本陣に迫るほど暴れ、敵味方から「蒙武に並ぶ」と言われるほどの武を見せました。それだけに、王騎の前で一瞬で終わった落差が強く残ります。この記事では、渉孟が討たれた巻とアニメの回、馬陽で何をしたのか、どれほど強いと見られていたのか、そして実写に出ているかまでを順に見ていきます。
この記事でわかること
- 渉孟が死亡した巻と、アニメで描かれる回
- 「破壊の渉孟」と呼ばれた強さの評判
- 馬陽の戦いで渉孟がやったこと
- 龐煖と六大将軍をどう見ていたか
- 実写映画とアニメの声優
- 一瞬で討たれた場面の意味(カイの読み)
渉孟のプロフィールと、死亡した巻・話
渉孟の最期は14巻です。14巻には141話から151話が入っていて、その中盤で王騎軍が戦場に現れ、渉孟は一騎打ちで討たれます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み・所属 | しょうもう。趙の将軍 |
| 異名・武器 | 「破壊の渉孟」。得物は月牙鏟 |
| 登場 | 馬陽の戦い(11巻110話〜16巻173話)の中盤 |
| 最期 | 14巻。王騎との一騎打ちで一撃も入れられずに討たれる |
| アニメ | 第1シリーズ第33話「王騎 出陣!」の回。声は水島裕さん |
渉孟は、軍功を挙げて自分が三大天の一人になることを目指していた将です。武に自信があるぶん尊大で、秦の六大将軍については実力を認めつつも、もう過去の遺物だと見下していました。
馬陽の戦いで渉孟がやったこと
馬陽の戦いで、渉孟は趙の左軍を担当しました。万極とともに秦の右軍を崩し、本陣に迫る勢いまで押し込んでいます。
翌朝には策も使いました。秦軍の旗を掲げて秦兵をおびき寄せ、集まったところを一気に叩くというやり方です。最前線の桃加隊はこれで壊滅し、合流しようとした飛信隊も再び危機に陥りました。信はこのときの趙軍の勢いを、馮忌の軍とは違う異様な雰囲気だと感じています。
性格の面では、総大将の龐煖を快く思っていませんでした。軍略会議に出てこない龐煖に、「三大天の名も安くなったね」と不満を口にしています。旗を使った策は荒っぽくても、軍の決まりにはうるさい将でした。
僕はこう読む
渉孟は、趙軍の中でいちばん「普通の将軍」だったと思っています。
武で手柄を立てて、出世して、三大天の座を目指す。
李牧や龐煖のような規格外がいる軍で、昔ながらの出世の道を信じていた人です。
だから龐煖が会議に来ないことが許せなかった。その真面目さが、あとで王騎の前に出ていく理由にもつながっています。
渉孟はどれくらい強いと見られていたのか
渉孟の武は、敵味方の両方から高く見られていました。一度やり合った王騎軍の鱗坊は、身を守るのが精一杯だったと言っています。
| 誰が | 渉孟をどう見たか |
|---|---|
| 王騎軍の鱗坊 | 武の底が知れない。絶対に殿(王騎)へ近づけるなと騰に忠告 |
| 飛信隊の去亥 | 戦いぶりを見て、蒙武に並ぶと評した |
| 趙軍 | 蒙武を討つ役目を渉孟に任せていた |
秦側は渉孟を「豚」と呼んで挑発していました。騰や鱗坊、飛信隊の面々が使った、戦場での悪口です。ただし口ではそう言いながら、鱗坊は本気で警戒していました。呼び名の軽さと、実際の評価の重さが噛み合っていないのが渉孟という将です。
僕はこう読む
鱗坊に「底が知れない」と言わせ、去亥に「蒙武に並ぶ」と言わせたのは作者です。
ここまで前振りを積んだ相手は、ふつうなら長い見せ場をもらいます。
その前振りを全部、王騎の一太刀に差し出すために積んでいたのだと思っています。
渉孟の強さが本物であるほど、久しぶりに戦場へ戻った王騎の格が上がる仕掛けです。
14巻の一騎打ちで何が起きたのか
旗の策で飛信隊を追い込んだところへ、王騎軍が現れます。渉孟は一騎打ちの直前、自分が六将を超える化物であることを見せてやると考えていました。「特に武力だけならあなたなど私の足元にも及ばないよ王騎」という心の声まで出ています。
一騎打ちの前に、渉孟は六将の伝説に触れてこう言いました。「その時代に私はいなかったよ」。六将が恐れられた時代を認めたうえで、自分がそこにいれば話は違ったという言い方です。
結果は一瞬でした。王騎の矛の一振りで、渉孟は一撃も入れられないまま討たれます。最後に漏れたのは「え? あ ブヒ」という声でした。秦側から散々浴びた呼び名をなぞるような声で終わったことで、この場面は読者の記憶に強く残っています。王騎の圧倒的な強さを見た趙軍は、そのまま一目散に退いていきました。
渉孟を失った直後、趙軍の軍師・趙荘は「失ったことは痛手だが、この趙軍にとっては致命傷ではない」と言っています。蒙武を討つ役目まで任されていた将に対する言葉です。
僕はこう読む
「その時代に私はいなかったよ」は、負けた将の台詞としては案外まっすぐです。
伝説を否定せず、ただ自分がそこに間に合わなかっただけだと言っている。
渉孟は最後まで、自分の武で時代に追いつけると信じていたのだと読んでいます。
王騎が一瞬で終わらせたのは、渉孟その人ではなく、その思い込みのほうでした。
渉孟は実写に出ているのか
馬陽の戦いを描いた実写第3作『キングダム 運命の炎』と第4作『キングダム 大将軍の帰還』のキャストに、渉孟の名前はありません。趙軍の将としては、馮忌を片岡愛之助さん、趙荘を山本耕史さん、万極を山田裕貴さんが演じています。
アニメでは第1シリーズで馬陽の戦いが描かれ、渉孟の声は水島裕さんが担当しています。
まとめ|渉孟は前振りを背負って王騎の前に立った将軍
渉孟を討ったのは王騎です。馬陽の戦いで一騎打ちを挑み、14巻で一撃も入れられないまま討たれました。
押さえておきたい事実を並べます。
- 趙の将軍で、異名は「破壊の渉孟」
- 馬陽では万極とともに秦の右軍を崩し、旗の策で桃加隊を壊滅させた
- 鱗坊は「底が知れない」と警戒し、去亥は「蒙武に並ぶ」と評した
- 14巻で王騎に一騎打ちを挑み、瞬殺された
- アニメは第1シリーズ33話の回、実写には登場していない
僕はこう読む
渉孟がいちばん気の毒なのは、討たれたあとの扱いです。
前振りでは底が知れないと言われ、死んだ直後には致命傷ではないと言われた。
同じ将の評価が、たった数話で上下しているところに、将を役割で量るキングダムの冷たさが出ていると僕は読んでいます。
渉孟を「名前だけ大きかった将軍」と見るか、「王騎の強さを測るために置かれた将軍」と見るかで、馬陽の戦いの前半の見え方はずいぶん違ってきます。
——あなたは渉孟を、評判だけが大きかった将軍だと思いますか。それとも、王騎の格を示すために置かれた本物の猛将だと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
渉孟は14巻の一騎打ちと「破壊の渉孟」の異名だけが先に広まるので、そこから短く答えます。
Q. 渉孟を討ったのは誰ですか?
A. 秦の六大将軍・王騎です。馬陽の戦いで渉孟から一騎打ちを挑み、一撃も入れられずに討たれました。
Q. 渉孟は何巻で死亡しますか?
A. 14巻です。14巻には141話から151話が入っています。
Q. アニメでは何話ですか?
A. 第1シリーズ第33話「王騎 出陣!」の回です。声は水島裕さんが担当しています。
Q. 渉孟は弱いのですか?
A. 作中の評価は高く、鱗坊は武の底が知れないと警戒し、去亥は蒙武に並ぶと評していました。
Q. 渉孟は実写に出ていますか?
A. 馬陽を描いた『運命の炎』『大将軍の帰還』のキャストに渉孟の名前はありません。
Q. 渉孟が豚と呼ばれるのはなぜですか?
A. 騰や鱗坊など秦側が、挑発の悪口として使っていた呼び名です。
王騎に挑んだ渉孟の戦場から、項翼の出世、鱗坊の生死、公孫龍へ続きます。
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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月26日


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