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【キングダム】函谷関の戦いはなぜ勝てたのか?李牧の誤算は王翦・麃公・山の民の3つでした!

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函谷関の戦いはなぜ勝てたのか?

結論から言うと、秦の将が持ち場ごとに勝ち続け、15日目に王翦が媧燐の裏手攻めを防いだから、函谷関は落ちませんでした。

それでも李牧は南道から咸陽を狙いましたが、麃公・蕞の民・山の民という3つの誤算で退いています。

合従軍は、楚・趙・魏・韓・燕の5か国が秦に攻め込んだ連合軍です。数では合従軍が大きく上回っていました。それでも秦は国門の函谷関を15日間守り抜き、最後は咸陽の手前の蕞で李牧を退けます。この記事では、函谷関が落ちなかった理由を戦場ごとに整理し、そのうえで合従軍を仕掛けた李牧の読みがどこで外れたのかを見ていきます。

この記事でわかること

  • 函谷関が15日間落ちなかった理由(戦場ごと)
  • 王翦がオルドと媧燐を同時に止めた方法
  • 李牧が南道に仕込んでいた奥の手
  • 李牧の3つの誤算(麃公・蕞の民・山の民)
  • 合従軍の失敗が李牧に残したもの
  • 函谷関の勝ちが「持ち場の勝ち」だった意味(カイの読み)

函谷関が落ちなかった理由|戦場ごとの勝ち

秦は他の守りを捨て、ほぼ全軍を函谷関に集めました。軍総司令の昌平君は各戦場に将を割り振り、それぞれの持ち場で、秦の将が合従軍の将を一人ずつ止めていきます。

戦場 秦が勝てた理由
楚の戦線 初日に騰が臨武君を討ち(26巻283話)、蒙武が一騎打ちで汗明を倒す(29巻314話)
函谷関の上 桓騎が初日に魏の巨大井闌車を焼き、15日目に張唐が韓の成恢を討つ
趙の戦線 麃公と飛信隊が趙軍とぶつかり、信が万極を討つ
燕の戦線と関の裏 王翦がオルドを翻弄し、関の裏に回った媧燐の別働隊まで一掃する

函谷関は、狭い谷道に置かれた関所です。大軍ほど一度に力をぶつけられない地形も、数で劣る秦を助けました。ただ、地形だけでは守り切れません。関の上で蒙驁・張唐・桓騎が15日間粘り、外の戦場で合従軍の総大将級が次々に討たれたことで、合従軍は関を抜く力を失っていきました。

僕はこう読む

函谷関の勝ちは、一人の英雄の勝ちではないと思っています。
騰が初日に臨武君を討ち、蒙武が汗明を倒し、張唐が命と引き換えに成恢を討つ。
持ち場ごとの小さな勝ちを、全部の戦場で同時に積み上げたから、関が残った。
合従軍が「数」で来たのに対して、秦は「将の数」で答えた戦いだと読んでいます。

王翦がオルドと媧燐を同時に止めた

函谷関が本当に落ちかけたのは、15日目です。楚の媧燐は、象の部隊や正面の攻めを目くらましにして、精鋭を山越えで函谷関の裏手へ回していました。裏から城門に取りついた媧燐の兵が、門をふさぐ岩をどけ始め、関は陥落寸前になります。

そこへ現れたのが、燕のオルドと山で向き合っていた王翦です。王翦は山の砦を奪わせてオルドを誘い込み、伏兵で燕軍の主力を叩いたうえで、オルドにこちらの動きを最後まで読ませませんでした。燕軍が攻めてこないと見切ると、兵を連れて函谷関の裏へ回り、媧燐の別働隊を一掃しています。

燕軍にとっては、王翦の策を読み切れなかったことが、そのまま合従軍の函谷関突破失敗につながりました。

李牧が合従軍を組んだきっかけ|山陽の「東郡」

合従軍の前、秦は呂不韋の画策で趙と同盟を結び、そのすきに魏の山陽を攻め取りました。秦は山陽を「東郡」と名付け、自国の民を大勢移り住ませます。取っては取られる時代に、名を変えて民を入れるのは、二度と手放さないという意思表示でした。

李牧はこれを、秦が中華統一へ本気で動き出した合図と読みました。放っておけば手遅れになると考え、楚の宰相・春申君と組んで各国をまとめます。斉は蔡沢の交渉で開戦前に抜け、5か国の連合軍になりました。

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李牧の奥の手|南道から咸陽へ

函谷関が抜けないと分かった時点で、秦の王宮は勝ちを確信しました。ところが李牧は、開戦のころから少しずつ兵を南道へ送り込んでいました。合従軍が後退した夜、李牧は本陣を離れ、南道の小さな城を次々に落として咸陽へ迫ります。

南道は道が狭く、大軍が通るとは誰も考えていない道でした。函谷関の大軍そのものが、李牧の別働隊を隠す囮になっていたわけです。30巻320話で、南の城が落ちている知らせが咸陽に届きます。

李牧の3つの誤算

李牧の南道侵攻は、秦を本当に滅ぼしかけました。それでも李牧は咸陽に届きません。読みが外れたのは、次の3か所です。

誤算 何が起きたか
麃公 本能型の麃公だけが南道の動きを嗅ぎつけて追い、李牧の「流動」も破って本陣に迫る。龐煖に討たれる前に龐煖の片腕を折り、時間を稼いだ(30巻325話)
蕞の民 兵のいない蕞で、嬴政が自ら民に語りかけ、民兵が城を守り続けた
山の民 蕞の7日目、城内に入られた日に、楊端和の山の民が援軍として現れる

麃公は死の間際、信に盾を託して「火を絶やすでないぞォ」と言い残しました。蕞では、城の守りがほとんど民だけという状態から、嬴政が自ら前線に立ち、民が武器を取ります。そして7日目、城門を破られた同じ日に、山の民が西の壁の側から現れました。その前には、信が蕞に現れた龐煖と一騎打ちになり、手傷を負わせて退かせています。秦の外に住む異民族が秦の王を助けに来ることは、李牧の計算の外にありました。

僕はこう読む

李牧の3つの誤算は、どれも「兵法の外」から来ています。
地図ではなく鼻で動く麃公、戦を知らない民、国の外から来た山の民。
李牧は兵法で読める相手には一度も負けていない。
負けたのは、嬴政が王として積み上げてきた、計算できない人とのつながりだったと読んでいます。

合従軍の失敗が李牧に残したもの

合従軍を率いた李牧は、蕞で山の民の出現によって敗走しました。この失敗のあと、李牧は趙の中枢から遠ざけられ、趙の朝廷では郭開が力を握っていきます。李牧が王宮に背中を預けられないまま秦と戦い続ける、その始まりが合従軍の敗北でした。史実でも、紀元前241年に龐煖が四国の兵を率いて秦の蕞を攻め、落とせずに退いた記録が史記に残っています。

まとめ|函谷関は持ち場の勝ちで守られ、李牧は兵法の外で敗れた

函谷関は、秦の将がそれぞれの持ち場で勝ち続け、王翦が媧燐の裏手攻めを防いだことで守られました。李牧は南道から咸陽を狙いましたが、麃公・蕞の民・山の民という3つの誤算で退きました。

押さえておきたい点を並べます。

  • 騰が臨武君を、蒙武が汗明を、張唐が成恢を討った
  • 15日目、王翦がオルドを翻弄し、関の裏に回った媧燐の兵を一掃した
  • 李牧は開戦のころから兵を南道に送り、咸陽を狙っていた
  • 麃公が南道を嗅ぎつけて時間を稼ぎ、30巻325話で龐煖に討たれた
  • 蕞では民が城を守り、7日目に山の民が援軍に現れた

僕はこう読む

函谷関は将の力で、蕞は王の力で守られた、と僕は読んでいます。
どちらが欠けても秦は滅んでいた。
合従軍編は、秦が「強い将のいる国」から「人がついてくる王のいる国」へ変わった瞬間を描いたのだと思っています。

秦の勝ちを「将たちの武の勝ち」と見るか、「李牧が計算できなかったものの勝ち」と見るかで、合従軍編の読み方はずいぶん変わってきます。

——あなたは秦の勝ちを、将たちの武の勝ちだと思いますか。それとも、李牧が計算できなかったものの勝ちだと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。

よくある質問

「函谷関の戦いはなぜ勝てたのか」「李牧は何を読み違えたのか」を確かめに来る人が多いので、王翦と山の民の場面から短く答えます。

Q. 函谷関の戦いで秦はなぜ勝てたのですか?
A. 各戦場で秦の将が合従軍の将を討ち、15日目に王翦が関の裏に回った媧燐の兵を防いだからです。狭い谷道の地形も秦を助けました。

Q. 函谷関は陥落しましたか?
A. していません。15日目に媧燐の別働隊が裏手から城門に迫りましたが、王翦が駆けつけて防ぎました。

Q. 李牧の誤算は何でしたか?
A. 南道の別働隊に麃公が気づいて追ってきたこと、蕞で民が城を守り続けたこと、そして山の民が援軍に来たことです。

Q. 麃公はどこで死にますか?
A. 30巻325話、南道で李牧を追った先で龐煖に討たれます。最期に信へ盾を託しました。

Q. 合従軍は史実ですか?
A. もとになる記録があります。紀元前241年、龐煖が趙・楚・魏・燕の兵を率いて秦の蕞を攻め、落とせずに退いたと史記にあります。

この記事の続きに

函谷関で秦が勝てた理由です。紫季歌の死、桓騎の奇策、李牧に山の民が返す一撃へ

紫伯の妹の死紫季歌(しきか)はなぜ死亡したのか?太呂慈に斬られ、紫伯は3人を自ら討ちました!魏の紫伯が戦う理由になった紫季歌の最期です。
桓騎の函谷関函谷関で桓騎は何をしたのか?初日に井闌車を焼き、魏兵に化けて成恢を討たせた!関の右を守った桓騎と、魏の巨大井闌車の攻防です。
合従軍編の全体合従軍編とは何なのか?楚・趙・魏・韓・燕の5か国連合で、24巻から33巻まで!5か国連合の合従軍編は何巻からでしょうか?

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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月26日

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