【ヒロアカ】雨ニモ負ケズ!主人公“デク”の由来!ルーツである宮沢賢治の世界観とは?! | 漫画コミック考察ブログ

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【ヒロアカ】雨ニモ負ケズ!主人公“デク”の由来!ルーツである宮沢賢治の世界観とは?!

ヒロアカ デクと宮沢賢治雨ニモ負ケズ!
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この記事を読むとわかること
  • デクの名前は宮沢賢治由来
  • デクノボーは他者を救う象徴
  • デクの正義感が過剰で危険に

「少年ジャンプ」の人気作品が、10年の長期連載で一つの幕を閉じました。

ご存じ『僕のヒーローアカデミア』です。 

超人社会では稀有な“無個性”の緑谷出久が、仲間と共にプルスウルトラで最高のヒーローを目指すストーリー。

連載が終了した今だからこそ、まずは作品立ち上げで堀越先生がイメージしたヒーロー像を考察していきたいと思います。

 

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『僕のヒーローアカデミア』雨ニモ負ケズ!のネタバレ

 

それでは『僕のヒーローアカデミア』雨ニモ負ケズ!のネタバレの要点をまとめてみました。

数多くの人物が登場する『ヒロアカ』。

キャラの名前は、その人が持つ“個性”を想像させるネーミングが一般的です。

それでは、主人公の「デク」にはどのような意味が込められているのでしょうか。

その起源を探っていくと、作品のテーマも含めて宮沢賢治の世界観をうかがい知ることが出来たので、簡単ながらもここに紹介していきます。

時間のない場合は目次に内容をまとめていますので参考にしてみてください。

 

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宮沢賢治のプロフィール

 

宮沢賢治は1896年に質屋を営む裕福な家庭に生まれました。

出身はメジャーリーガー大谷翔平の故郷でもある岩手県花巻市です。

賢治は『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』などの作者として有名ですが、教師、農学者、音楽家、芸術家など、その才能は多岐に渡ります。

24歳で法華経の信仰団体「国柱会」に入会。

26歳に最愛の妹トシが病で亡くなると、その魂を求めて樺太まで旅立ちます。

30歳で教職を依願退職し、百姓になると宣言。

32歳に肺炎にかかります。

その後は病気の再発、回復を繰り返しながら、死の2年前には再び病床に伏します。

35歳の時、手帳に『雨ニモ負ケズ』を書き留めました。

そして2年後。

37歳の若さでこの世を去ります。

時は1933年、明治~昭和初期の激動を短い人生が駆け抜けました。

 

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宮沢賢治と法華経

 

宮沢賢治の思想を語る上で法華経は外せません。

釈迦の教えである法華経は、正しくは「妙法蓮華経」といいます。

法華経には、他者のために良い行いをすれば、人は仏になれるという教えがあります。

また、世界全体が幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ないとも説かれています。

賢治の作品には法華経に影響を受けたものが多々あります。

例の手帳にも“南無妙法蓮華経”の文字が書き残されており、賢治は法華経を行動の拠り所としていました。

死の直前には「国訳妙法蓮華経」を1,000部配布するよう遺言を残すなど、熱心な信者であったようです。

 

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デクノボー

 

『ヒロアカ』主人公の名前は、誰もが知っている「緑谷 出久」です。

愛称の「デク」は、そのままヒーローネームとしても採用しています。

物語では爆豪かっちゃんが出久を「デク」と呼んでいたことが始まりです。

後に歴代OFA(ワン・フォー・オール)の名前が継承順を思わせるように、デクの「く」と9代目の「9」を掛け合わせたダブルミーニングではとも推察されました。

「デク」の名前は賢治の代表作『雨ニモ負ケズ』の一節が元ネタになります。

 

ミンナニ デクノボート ヨバレ

ホメラレモセズ クニモサレズ

サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ

 

この「デクノボー」が「デク」の由来です。

堀越先生も自分のヒーロー像が詩の中にあるとインタビューで応え、単行本40巻のおまけでもデクの名は『雨ニモ負ケズ』から拝借したと明記しています。

本来「でくのぼう」とは、役に立たない人間を指す、蔑称的な言葉として使われます。

手帳には“土偶坊”と書かれていましたが、正しくは“木偶の坊”が正解でしょう。

何となく身体がデカいだけのイメージもあります。

では、『雨ニモ負ケズ』のデクノボーも同じ意味でしょうか?

賢治は自分の理想とする生き方をデクノボーという言葉に込めていました。

ここでのデクノボーは「常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)」を指すと思われます。

常不軽菩薩とは、前述した法華経に登場する菩薩様です。

他者を軽んずることなく、差別することなく、全ての人に救いの手を差し伸べようとする行為。

敵味方関係なく救おうとする、デクの求道者ぶりにそっくりだと思いませんか?

詩にあるように、デクノボーは誰に褒められたり、感謝されることもありません。

単なる自己満足に映るかもしれません。

それでも東西南北にトラブルがあれば、その場に向かうのがデクノボーです。

まさに“余計なお節介”そのものです。

デクノボーから推察される、困っている人の傍らで支えたい、応援したいという賢治の気持ちは、オールマイトの名言“私が来た”にも通ずる気がします。

 

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デクと宮沢賢治の共通点

 

デクは正義感に溢れたTHE・主人公ともいうべき王道の性格です。

しかしながら、時としてその正義感は異常なまでに強調されるシーンが散見されます。

過剰すぎる自己犠牲ともいえるでしょう

爆豪も作中に指摘していましたが、デクは根っこの部分で自分を勘定に入れていません。

無謀とも思えるような行動は、周囲が心配するほどの危うさも兼ね備えています。

なぜデクはここまで他人のために身を捧げることが出来るのでしょうか?

ここでは『銀河鉄道の夜』からの一節になります。

 

僕は(中略)ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。

 

賢治は健康、デクは個性。

このように両者に共通するのは、他者にはある当たり前のものが無いことです。

そのゆえのコンプレックスなのでしょうか。

自分を犠牲にしても他者の救いたいという願いが、人一倍強かったのではと思われます。

そのほか、偶然なのか意識したかは不明ですが、個性を失ったデクが就いた職業も賢治と同じ先生でした。

 

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『僕のヒーローアカデミア』雨ニモ負ケズ!のまとめ

 

『雨ニモ負ケズ』は賢治の死後に手帳から発見されました。

一部では劇化の構想もあったとの説も存在しますが、作品というよりは臨終に際しての日記、告白に近い性格だと思われます。

「デクノボー」という単語は負のイメージが強いのですが、決して賢治は怠け者ではありませんでした。

教職を辞した後は百姓として地元の農家と一緒に汗を流しました。

良い作物が育つよう肥料をはじめとする農学を教えました。

厳しい環境で働く農家の人々がリラックスできるよう音楽会も開催しました。

このように常に弱者の傍に寄り添う気持ちを自らが実践してきました。

もっとも、その働き過ぎなところが寿命を縮めたとも言えなくもないのですが。

そんな献身的な宮沢賢治が記したデクノボー。

正にデクの性格そのものではないでしょうか。

 

<参考>

・『宮沢賢治詩集』、『童話集 銀河鉄道の夜』(いずれも岩波書店) 

・『ダ・ヴィンチ』№364号(KADOKAWA)

・NHK こころの時代

・花巻市HP

この記事のまとめ
  • デクの名前は賢治からの引用
  • デクノボーは自己犠牲の象徴
  • 賢治とデクの共通点は正義感
  • 法華経が賢治の思想の基盤
  • 賢治は弱者に寄り添う生き方
  • デクの行動は他者への献身
あいり
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