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咸陽とはどこなのか?
結論から言うと、咸陽(かんよう)は秦の王都で、今の中国・陝西省咸陽市、西安のすぐ隣にあたります。咸陽そのものが戦場になる「咸陽の戦い」は、原作38巻から40巻の毐国の反乱です。
嬴政が王として座り、昌文君や呂不韋が政を争った宮廷があるのが咸陽です。信たちが遠くの戦場で戦うのも、突き詰めればこの都を守るためでした。この記事では、咸陽の場所と名前の由来、作中で咸陽が狙われた場面、咸陽の戦いの巻数とアニメの話数、戦いの流れと結末、そして史記に残る本当の咸陽の戦いまでを順に見ていきます。
この記事でわかること
- 咸陽の読み方と、今の地図でどこにあるか
- 作中で咸陽が狙われた4つの場面と、その巻
- 咸陽の戦いは何巻何話か、アニメは何話か
- 咸陽の戦いの流れと、どうなったか
- 史記に残る咸陽の戦いと、作中との違い
- 城内まで攻め込ませた意味(カイの読み)
咸陽の場所と、名前の由来
咸陽は、黄河の支流・渭水(いすい)の北岸にあった都です。いまも同じ名前の咸陽市があり、西安の北西に隣り合っています。西安の空の玄関口が「西安咸陽国際空港」という名前なのは、この土地に空港があるためです。
| 項目 | 咸陽 |
|---|---|
| 読み方 | かんよう |
| 今の場所 | 中国・陝西省咸陽市(西安の北西隣) |
| 名前の由来 | 山の南と川の北をどちらも「陽」と呼ぶ。九嵕山の南で渭水の北なので「咸(みな)陽」 |
| 都になった時期 | 紀元前4世紀、秦の孝公の時代に雍から移した |
| 守り | 山に囲まれた関中の盆地にあり、東の入口が函谷関 |
作中で合従軍が函谷関を必死に攻めたのは、そこさえ越えれば咸陽まで守る場所がほとんど無いからです。加冠の儀が行われた雍(よう)は、咸陽より前に都だった旧都にあたります。
僕はこう読む
咸陽は、作中でいちばん安全な場所として描かれています。
山と函谷関に守られ、戦はいつも国境の向こうで起きる。
だから外の敵ではなく、内側から門を開けられたときにだけ落ちかける都なのだと思っています。
王弟の反乱も毐国の反乱も、咸陽を危うくしたのは秦の人間でした。
作中で咸陽が狙われた4つの場面
咸陽は物語の最初から何度も舞台になっています。都そのものが危うくなった場面を並べると、次の4つです。
| 巻 | 咸陽で起きたこと |
|---|---|
| 1〜5巻 | 成蟜と竭氏に王宮を奪われ、嬴政が山の民と攻め入って取り戻す |
| 17巻 | 趙の李牧が咸陽を訪れ、秦趙同盟を結ぶ |
| 30〜33巻 | 合従軍の李牧軍が南道から咸陽を目指し、手前の蕞で止められる |
| 38〜40巻 | 毐国軍が城内まで攻め込む「咸陽の戦い」 |
合従軍のときは、咸陽が恐怖に包まれるところまで追い込まれながら、城には一歩も入られていません。敵の兵が実際に咸陽の城内へなだれ込んだのは、毐国の反乱だけです。このほか45〜46巻では、斉王と李牧が咸陽へ来朝し、嬴政と中華の行く末を語り合っています。
咸陽の戦いは何巻何話?アニメは何話?
咸陽の戦いは、嬴政が雍で加冠の儀を受けている同じ日に、咸陽で起きた戦いです。毐国反乱編の後半にあたります。
| 媒体 | 咸陽の戦いが描かれる場所 |
|---|---|
| 原作 | 38巻412話「加冠の儀」〜40巻435話「内乱の終着点」 |
| 渭水の渡河 | 39巻416〜418話 |
| 昌平君がワテギを討つ | 40巻431〜433話 |
| アニメ | 第4シリーズ17話「三方ゆずらず」〜24話「内乱の終着点」 |
アニメでは18話が「渡河の戦い」、23話が「逆転の猛進」です。実写映画はまだこの話まで進んでいません。
咸陽の戦いはどうなる?流れを順に
毐国軍3万は、玉璽の複製を使って函谷関をすり抜けました。表向きは秦の軍なので、合従軍を退けた関所がそのまま開きます。軍の中身は、樊於期が率いる毐国軍、戎翟公ワテギの戎翟族、そして道中で「咸陽の警護」と偽って集めた秦兵でした。
迎え撃つ側は、嬴政が前もって呼んでいた飛信隊1千と、蕞の兵1万です。蕞の民は、合従軍のときに嬴政と一緒に城を守り抜いた人たちでした。飛信隊は渭水で蕞の兵が用意した舟に乗り、対岸で待ち構えていたワテギの軍を突き破って上陸します。
ところが咸陽に着いてみると、呂不韋の手が回った者に城門を開けられ、敵はもう城内へ入り込んでいました。敵の一隊は後宮にまで入り込みます。狙いは嬴政の子・麗と、その母の向でした。
向と麗を逃がすため、宮女の陽が一人で敵の前に立とうとしたところへ、信が駆けつけます。咸陽の戦いで信に与えられた役目は、敵将を討つことではなく、麗を守り抜くことでした。
僕はこう読む
天下の大将軍を目指す信が、この戦では後宮へ走ります。
手柄だけを考えるなら、いちばん地味な持ち場です。
それでも嬴政が咸陽に呼んだのは、王の子を任せられる相手が信しかいなかったからだと読んでいます。
1巻で王宮を一緒に取り返した2人の関係が、ここで王と将の形に変わっていると思っています。
昌平君の包雷と、ワテギの最期
城外では、河了貂が指揮する鎮圧軍が押し込まれ続けていました。そこへ貝笛の音が響きます。加冠の儀を終えて雍から駆けつけた、昌平君の軍でした。昌平君は呂氏四柱の一人でありながら、この日に呂不韋のもとを離れています。
軍師の介億は、先頭で敵陣へ突っ込む主を案じる昌文君に「わが主は幼少期あの蒙武より強かったのだ」と返しました。昌平君は城の内の近衛兵と外の自軍で敵を挟む「包雷」を仕掛け、ワテギを自らの矛で討ち取ります。河了貂が敵に逃げ道を作ったことで、寄せ集めの反乱軍は一気に崩れました。
信に「何で呂不韋を裏切った」と聞かれた昌平君は、「私も中華を統べることを夢に描く男の一人だ」と答えています。
僕はこう読む
軍総司令の昌平君に、自分で矛を振るわせたところがこの場面の肝だと思っています。
いつもは地図の上で戦を動かす人です。
その人が命を張って前に出たことで、呂不韋との縁を切った覚悟が言葉より先に伝わる。
「夢に描く男の一人」という台詞は、矛で答えを出したあとだから重く響くのだと読んでいます。
咸陽の戦いの結末と、裏にいた呂不韋
反乱軍は咸陽から逃げる途中で、待ち構えていた桓騎軍に砕かれました。嫪毐は生け捕りにされて咸陽へ送られ、のちに車裂きの刑を受けます。昌文君は、即位から9年続いた呂不韋との争いについて「大王様の完全勝利だ」と宣言しました。
この戦いが大きいのは、咸陽での勝ち負けがそのまま嬴政と呂不韋の政争の決着になるよう仕組まれていたことです。呂不韋は毐国軍に咸陽を落とさせ、そのあと自分が反乱を鎮めて民の支持を集め、王になる道を描いていました。雍で嬴政と呂不韋が「金で国を治める」「戦争を無くすために中華を統一する」と論をぶつけている間、答えは咸陽の戦場で出ていたわけです。
僕はこう読む
呂不韋の策は、咸陽が一度落ちることを前提にしていました。
王都を燃やしてでも王になる、という計算です。
それを止めたのが、蕞で嬴政と一緒に戦った民兵だったところに、この作品の筋が通っていると思っています。
金で動く人間を集めた側が、恩で動く人間を集めた側に負けた戦だと読んでいます。
史記に残る咸陽の戦い
咸陽の戦いは作品の創作ではなく、『史記』秦始皇本紀に記録があります。嫪毐は王と太后の印を偽って県の兵や騎兵、「戎翟君公」らを動かし、反乱を起こそうとしました。それを知った王が昌平君と昌文君に兵を出させ、「咸陽で戦い、首を斬ること数百」と書かれています。
作中のワテギ(戎翟公)の名は、この「戎翟君公」から来ていると読めます。一方で、史記が記す反乱の狙いは雍の蘄年宮で、作中のように3万の軍が咸陽の城内を焼いたという書き方ではありません。咸陽で戦があったことと、昌平君・昌文君が鎮めたことは史実どおりで、戦の規模と中身は作品が大きく膨らませています。
まとめ
咸陽は、今の陝西省咸陽市、西安のすぐ隣にあった秦の王都です。その城内まで敵が入った咸陽の戦いは、38巻から40巻で描かれます。
押さえておきたい事実を並べます。
- 読み方はかんよう。渭水の北、関中の盆地にある
- 咸陽の戦いは38巻412話〜40巻435話、アニメは4期17〜24話
- 毐国軍3万が函谷関を抜け、城門を開けられて城内に入った
- 信は後宮で麗と向を守り、昌平君がワテギを討った
- 史記にも「咸陽で戦い、首を斬ること数百」とある
僕はこう読む
咸陽の戦いは、嬴政が剣を取らずに勝った戦です。
王は雍で呂不韋と向き合い、戦場には一歩も出ていません。
それでも勝てたのは、合従軍のときに蕞で積んだものが、そのまま咸陽に返ってきたからだと僕は読んでいます。
咸陽の戦いを「昌平君が決めた戦」と見るか、「蕞の民が守った戦」と見るかで、この巻の読後感は少し変わります。
——あなたは咸陽を救ったのは、昌平君の矛だったと思いますか。それとも、嬴政のもとへ駆けつけた蕞の民だったと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
「咸陽は今のどこか」「咸陽の戦いは何巻か」を確かめに来る人が多いので、場所と巻数から短く答えます。
Q. 咸陽の読み方は何ですか?
A. かんようです。秦の王都の名前です。
Q. 咸陽は現在のどこですか?
A. 中国の陝西省咸陽市です。西安市の北西に隣り合っていて、西安咸陽国際空港があります。
Q. 咸陽の戦いは何巻何話ですか?
A. 38巻412話「加冠の儀」から40巻435話「内乱の終着点」までです。アニメでは第4シリーズの17話から24話にあたります。
Q. 咸陽は落ちたのですか?
A. 落ちていません。毐国軍は城内や後宮まで入り込みましたが、昌平君がワテギを討って反乱軍は崩れ、麗たち王族も全員無事でした。
Q. 咸陽の戦いで敵将を討ったのは誰ですか?
A. 昌平君です。包雷で反乱軍を挟み、戎翟公ワテギを自らの矛で討ち取りました。
Q. 咸陽の戦いは史実ですか?
A. 史記に記録があります。嫪毐の反乱を昌平君と昌文君が鎮め、咸陽で数百の首を斬ったとされています。
反乱のその後へ。毐国の記録、呂不韋、嫪毐です。
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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月26日


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