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【キングダム】毐国(毒国)とは何なのか?太后と嫪毐が太原に建てた国で、史実にも実在しました!

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毐国(毒国)とは何なのか?

結論から言うと、毐国は太后と嫪毐が秦の北の都市・太原に建てた国です。『史記』にも記録が残る、実在した国でした。

読み方はあいこく。よく毒国と書かれますが、正しくは毒ではなくの字です。嫪毐の名前から来ています。

嬴政加冠編の中心にある国で、咸陽を「中華八つ目の国ができる」と震撼させました。建国から滅亡までを順に並べます。

  • なぜ太原という僻地だったのか
  • 太后が国を作った本当の目的
  • 楚国との密約と、それを結んだ人物
  • 毐国軍の武将と、咸陽侵攻の顛末
  • 史実の毐国はどこまで同じなのか

建国|紀元前239年、咸陽に無許可で宣言された

山陽に続いて著雍を奪取した秦が、いよいよ中華進出へ歩を進めようとしていた時期です。

そこへ突如、太后が後宮勢力として山陽と著雍をもらい受けると言い出し、嫪毐という宦官を山陽長官に据えてしまいます。

そこから兵が北の太原へ送られ、やがて太后と嫪毐も太原入り。そのまま「太原一帯を毐国とする」と建国を宣言しました。

  • 太原は山陽・著雍、そして成蟜の変が起きた屯留よりもにある秦の極北都市
  • 趙との最北の国境を守る要ではあるが、中央から離れた僻地
  • 戦も起こりづらい場所に、人と武器が集められた
  • 咸陽は成蟜の変から半年しか経っておらず、世間体的にも金銭的にも迂闊に動けなかった

咸陽が対応を後回しにしているあいだに、毐国は独立国家の体を成していきました。

僕はこう読む

僻地を選んだのが偶然ではないところが、この建国のうまさだと思っています。
咸陽から遠く、趙との国境で、しかも戦の起きない場所
手を出しにくい理由が3つそろっています。土地選びの時点で勝負がついていました。

建国した人物|太后・嫪毐、そして趙高

毐国を建国したのは太后と嫪毐です。君主は一応嫪毐という形ですが、主導は太后にありました。

太后は莫大な財力と王族の身分を使い、国内外から有能な文官・人・資金を集めます。そして国の土台作りに尽力したのが、宦官の趙高でした。

目的|安住の地を作りたかった

ここが、この国のいちばん切ないところです。

咸陽で宦官と紹介されていた嫪毐ですが、その正体は太后の扱いに困った呂不韋が、太后にあてがった男娼でした。

やがて2人のあいだに子供ができます。そこで太后に「心を休めたい」という願望が生まれました。

  • 後宮の禁を破る大罪と分かったうえで、嫪毐との子を産んだ
  • その子たちと過ごすための安住の地として毐国を作った
  • 不遇な人生を送ってきた太后が、わだかまりから離れて傷を癒そうとした場所

ところが太后の願望とは裏腹に、毐国は家臣たちの勢いに押されて咸陽へ挙兵する流れになっていきます。

僕はこう読む

この国は逃げ場として作られたのに、攻める側になってしまったのが芯だと思っています。
太后が欲しかったのは領土でも王位でもありません。子供と暮らす場所です。
国という器を選んだ時点で、そこに軍が付いてきた。それが誤算でした。

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武将|樊於期・樊琉期・ワテギ

毐国軍を率いた面々を並べます。

  • 樊於期(はんおき) … 建国の際に将軍の座についた。咸陽への挙兵を待てず、練兵と称して周囲の部落を襲い回っていた血の気の多い人物。ただし強制徴兵した烏合の衆を死地に放り込んで反乱軍にまとめるなど軍才はある
  • 樊琉期(はんるき) … 樊於期の息子。殺戮を楽しむ残虐な性格で、初登場時から女子供の首を刎ねて集める非道な姿を見せた
  • ワテギ(戎籊公) … 100年前に秦へ糾合された戎籊族の王。先祖の無念を晴らすため、樊於期に誘われて毐国軍に加わった

楚国との密約|秦を南北から挟む形

毐国の建国を後押ししたのが、楚国の存在でした。

毐国建国と同時に、楚が秦へ攻め入ってきます。これは趙高が前もって楚と密約を交わしていたからです。

毐国は北、楚は南。秦を挟み込める位置関係にあるため、楚にとっても好都合でした。咸陽は軍を南へ割かねばならなくなり、毐国への対応がますます遅れます。

さらに毐国大臣の虎歴が楚の出身でした。楚の手先として秦の内乱を目論み、嫪毐を唆しながら咸陽侵攻へ扇動していきます。

昌平君は、毐国が他国に認められれば「中華の八つ目の国」になってしまうと懸念していました。

末路|咸陽侵攻から車裂きの刑まで

加冠の儀の当日、毐国軍は以前太后が作った玉璽の複製を使って函谷関を通過します。それを利用しながら兵を増やし、咸陽城内へなだれ込みました。呂不韋の暗躍もあり、進軍はスムーズに進みます。

初めは数で勝っていた毐国軍ですが、咸陽側も集まってきます。

  • 昌平君直下の兵
  • 嬴政が手配していた飛信隊と蕞の兵
  • 加冠の儀を終えて駆けつけた昌文君・壁
  • 呂不韋と袂を分かった昌平君

そして昌平君がワテギを討ったことで毐国軍は崩壊。烏合の衆だった軍はたちまち全軍敗走となり、撤退していきました。

敗走の先にいたのが桓騎軍です。毐国軍はそこで粉砕され、嫪毐は生け捕りに。取り調べの末、秦の法律で最も重い車裂きの刑となりました。嫪毐の死をもって毐国も滅亡します。

太后は雍に軟禁ということで助命され、嫪毐との子供たちも嬴政の計らいで密かに逃がされました。連動していた楚軍は「金づるが倒れた」として退却しています。

嬴政加冠編|37巻から40巻

毐国が出てくる嬴政加冠編は、37巻から40巻に収録されています。

始まりは著雍編の直後です。獲得した著雍を山陽とともに軍事都市へ整備し始めたところへ、太后が「後宮勢力の金を落とす」という名目で著雍と山陽を要求してきました。ここが加冠編の入口になります。

そして翌年の加冠の儀の執行日、毐国はついに咸陽へ侵攻します。で嬴政・呂不韋・太后が出そろうなか、咸陽では毐国軍と鎮圧軍の激戦が繰り広げられました。その戦いの勝敗に、嬴政と呂不韋の政争の決着が委ねられるという構図です。

史実の樊於期についても触れておきます。作中では息子が処罰される場面で顔を隠していました。史実では燕へ亡命し、秦王・政を暗殺しようとした荊軻に自ら首を差し出したと伝えられています。

まとめ|毐国とは何だったのか

毐国は太后と嫪毐が太原に建てた国で、『史記』に記録が残る実在の国です。

作中と史実で確認できることを並べます。

  • 読みはあいこく。毒ではなくの字
  • 紀元前239年から紀元前238年まで存在した
  • 建国したのは太后と嫪毐。土台を作ったのは趙高
  • 目的は太后が子供と暮らす安住の地を得ること
  • 楚と密約を交わし、秦を南北から挟む形を作った
  • 嫪毐は車裂きの刑となり、毐国は滅亡した
  • 嬴政加冠編は37〜40巻に収録されている

史実では、嫪毐は長信侯に封じられ、河西と太原の郡が「毐国」と呼ばれました。自分で建国を宣言したのではなく、秦から与えられた地です。反乱のあと、嬴政の命を受けた昌平君・昌文君に攻められて滅びたところは作中と同じです。

僕はこう読む

この国の存在意義は、嬴政と呂不韋の決着を1日に集める装置だったと思っています。
加冠の儀と毐国の侵攻を同じ日に重ねたことで、王としての即位と、政争の決着が同時に起きました。
太后の私的な願いが、国の歴史を動かす形に化けたのがこの編の面白さです。

毐国を呂不韋と楚に利用された太后の悲劇と読むか、安住を求めた人が、結果として国を動かしてしまった話と読むかで、車裂きの刑の場面の重さが変わってきます。

——あなたは毐国を、呂不韋と楚に利用された太后の悲劇だと思いますか。それとも、安住を求めた人が国を動かしてしまった話だと思いますか。よければコメントで教えてください。

よくある質問

毐国は毒国と書かれることが多く、読みも建国者も取り違えられがちです。

Q. 毐国の読み方は何ですか。
A. あいこくです。毒国と書かれることが多いのですが、正しくは嫪毐の毐の字を使います。

Q. 毐国は史実に実在しましたか。
A. 実在しました。『史記』に記録があり、紀元前239年から238年まで存在した国家です。太原を毐国としたという記述が残っています。

Q. 毐国を建てたのは誰ですか。
A. 太后と嫪毐です。君主は嫪毐という形ですが、主導していたのは太后でした。国の土台作りには趙高が関わっています。

Q. 嬴政加冠編は何巻ですか。
A. 37巻から40巻に収録されています。著雍編の直後から始まります。

Q. 毐国はどうやって滅びましたか。
A. 咸陽へ侵攻しましたが、昌平君がワテギを討ったことで軍が崩壊。敗走先で桓騎軍に粉砕され、嫪毐は車裂きの刑となりました。

この記事の続きに

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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。 → 運営者情報
最終更新:2026年9月7日

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