【キングダム】ワテギの正体に驚愕!秦国に対する深い恨みと意外な最後とは? | 漫画コミック考察ブログ

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【キングダム】ワテギの正体に驚愕!秦国に対する深い恨みと意外な最後とは?

キングダム ワテギ ワテギの最後
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この記事を読むとわかること
  • ワテギは戎族の王である
  • ワテギは秦への恨みを持つ
  • 昌平君がワテギを討つ驚き

秦軍にとって驚天動地の展開となったのが国の建国と彼らの反乱でした。

嫪毐の乱とも言われるその出来事は、太后と嫪毐の愛、政の加冠の儀、政と呂不韋の対談、昌平君の寝返りなど様々なエピソードが詰め込まれていたので、正直初登場だらけの反乱軍の印象が薄いですよね。

そこで本記事では反乱軍の将として活躍したワテギについてまとめました。

ワテギの人柄や強さ、嫪毐の乱での活躍、何故反乱軍に参加したのかまで詳しくご紹介していきます!

 

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【キングダム】ワテギのプロフィール

テギは国将軍

口と顎に白髭を生やした老将で、目の上にラインのように引かれた刺青が特徴です。

初登場は第415話でした。

ワテギは戎籊族の王で「戎籊公」とも呼ばれています

樊於期からの誘いを受け、戎籊族1万の兵を率い国軍に参加。

咸陽に攻め入り、場外での戦闘を指揮しました。

 

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【キングダム】戎籊(じゅうてき)とは?

戎籊(じゅうてき)はかつての小王国

100年前に秦に取り込まれ「県」になりました。

ただし“なった”というより“された”と言う方が正しいようです。

 

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【キングダム】ワテギの性格とは?

ワテギはエネルギッシュな人柄で、自ら戦場を駆ける豪傑です。

恐らく元々バイタリティーに溢れた人柄なのでしょうが、作中で特にその源になっていたのは「秦への恨み」

作中では秦への恨みを晴らせる機会が嬉しくて仕方ないという様子で、楽しそうに咸陽への侵攻を行っていました。

また、100年前より生まれた恨みをこうして持ち続けていることから、戎籊族としての誇りを持っていることも窺えます。

 

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【キングダム】ワテギの強さとは?

ワテギの得物は矛。

その強さは“戎籊族の王であること”が何よりの証明となっています

何故なら戎籊は、部族で最も強い者を王に据える決まりがあるからです。

ワテギの王たる実力は、優れた武勇と知略を持ち、部下からも慕われ統率力にも秀でていること

最もその様子が感じられたのが、昌平君が『包雷』という策を仕掛けた時です。

『包雷』を受けたワテギは「今この場に退路はない」とすぐに状況を把握。

そして『包雷』から脱する唯一の手を導き出し、戎籊兵を「信じるならばついてこい」と率いて、真正面から昌平君軍にぶつかっていったのでした。

このシーンだけでワテギの冷静な知、揺るぎない指揮、勇猛な武を感じますよね。

 

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【キングダム】ワテギは実在した?

史実を元に描かれている『キングダム』ですが、ワテギの存在は確認できません

同じく戎籊族というのも本記事の調べでは確認できませんでした。

戎籊は100年前に「県」になったとのことなので、恐らく秦の都が雍から咸陽に移った辺り、商鞅の変革の中で取り込まれたと考えられます。

ワテギや戎籊が『キングダム』オリジナルなのであれば、そういった歴史も踏まえて、反乱軍に加わり得る“秦政府に恨みを持った存在”として作られたのかもしれませんね。

 

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【キングダム】嫪毒(ろうあい)の乱~咸陽の戦い

ワテギが参戦した嫪の乱は、秦太后と嫪が勝手に国(あいこく)という独立国家を作ったことに始まります。

咸陽が対応しあぐねている間に国は、王族身分と莫大な財力、そして秦の反乱分子や秦を敵とする列国からの援助により国力を付けていきました。

それを利用したのが、政と権力争いをしていた呂不韋

呂不韋の仕込みによって国は、太后と嫪の意に反しながらも咸陽に向けて挙兵するに至りました

そして紀元前244年、政の加冠の儀の日に国軍は動き出します。

秦の旧王都・雍にて加冠の儀が執り行われる中、国軍は玉璽の複製を利用しつつ咸陽までの地に駐留する秦軍を蹂躙・吸収し、当初より大幅に兵を増やしながら咸陽へ進軍していきました。

主力軍は各国との前線に出張らざるを得ない状況にされており、秦中央部は手薄。

しかも呂不韋派によって城門が開門され反乱軍が一斉になだれ込み、咸陽はかつてない陥落の窮地を迎えることとなったのでした。

 

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【キングダム】ワテギの秦国に対する恨みとは?

ワテギら戎籊が反乱に参加した理由は、秦に対する恨みです。

戎籊は100年前に秦に取り込まれ「県」になったという過去を持ちます

それをワテギは「お前らに征服され糾合された」「不条理」と語っているので、よほど戎籊族の意に反した出来事だったのでしょう。

糾合はワテギの祖父たちの代でのことでしたが、その怒りが脈々と受け継がれてきたわけですね。

長い年月が経っても秦への恨みは消えることなく、戎籊族は力を蓄えながら先祖の無念を晴らす機会を虎視眈々と狙っていたのです。

そのため反乱軍の目的は“秦の王族”でしたが、戎籊兵の攻撃は先祖が受けた不条理を倍にして返すべく“咸陽の一般市民”まで及んだのでした。

 

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【キングダム】ワテギを討った人物とは?

ワテギを討った人物が大きな話題となりました。

それがなんと昌平君だったからです

ワテギは咸陽場外での戦闘を指揮し、反乱鎮圧軍の壁内侵入を堅く防いでいました。

そこに現れたのが、雍から駆けつけた昌文君・壁と昌平君の一団でした。

援軍の到着により戦況は一変。

昌平君が『包雷』をもって反乱軍を包囲します。

ワテギは退路が無くなったことに気づき、あえて前方の昌平君軍主攻にぶつかることで包囲の突破を図りました。

そしてワテギは昌平君を討ちにいきましたが力及ばず、首を斬られてしまったのでした。

ここでは驚くべきことが2点ありました。

1つは昌平君が援軍としてやってきたこと

それはこの戦を仕組んだ呂不韋派であったはずの昌平君が、呂不韋と決別してきたことを意味していました。

もう1つは昌平君の武力

知に優れた昌平君ですが、幼少期にあの蒙武より強かったことが明らかとなり、ワテギを討ったことでその驚愕の武力が証明されたのでした。

 

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【キングダム】ワテギは死亡した?

ワテギは昌平君に敗れ死亡しました

しかし戎籊王としての意志は戎籊族に遺されています

ワテギは昌平君との一騎打ちの直前、重臣のブダイにこんな遺言を残しました。

「お前達重臣は生き残ってこの仇を次の戎籊にしっかりと伝えよ」

国軍の反乱は無事鎮圧されたものの、戎籊の恨みは残り続けているということですね。

現在中華統一に向けて邁進している秦国ですが、統一したとしても少なからずこうした恨みが根強く残されるということが暗示されている気がしますね。

 

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まとめ

ワテギは秦に積年の恨みを持つ戎籊族を率いる王。

秦への恨みを糧とし、反乱軍の将として国の乱に参戦しました。

昌平君によって討たれてしまいましたが、戎族王としての意志・秦への恨みは次の戎族へと託されたのでした。

ワテギら戎籊は、“秦となっても秦を恨む”という者たちがいることを提示した重要な存在だったと思います。

嫪毐の乱では是非ワテギと戎籊族の活躍や想いにも注目して頂ければと思います!

この記事のまとめ
  • ワテギは戎族の王である
  • ワテギの秦への恨みは深い
  • 昌平君がワテギを討った
  • ワテギは反乱軍を指揮した
  • 戎族の意志は次世代に継承
  • 咸陽の戦いで重要な役割を果たした
あいり
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