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崇原はなぜ眼帯をしているのか?
結論から言うと、崇原(すうげん)は馬陽の戦いで夜襲を受けて撤退するさなかに左目を失い、17巻からの山陽編で眼帯姿になりました。いまは飛信隊の三千人将です。
崇原は、飛信隊が百人隊だったころからいる剣の使い手です。渕さんや羌瘣(きょうかい)ほど名前は挙がりませんが、隊の歩兵をまとめ、若い兵を何度も救ってきました。この記事では、眼帯の理由、伍長から三千人将までの歩み、崇原の剣と過去、そして同じ初陣を生きた松左との縁を順に見ていきます。
この記事でわかること
- 崇原が眼帯をしている理由と、眼帯姿になった巻
- 伍長から三千人将までの出世の順番
- 崇原が使う剣術「合昂剣」と、「小便もらし」の過去
- 干斗たち若い兵と、松左との関係
- 片目を失っても前に出続ける意味(カイの読み)
崇原のプロフィール
崇原は、飛信隊が結成されたときに第五伍長として入った古参です。飛信隊で三番目の剣の腕と言われ、いまは歩兵を率いる立場にいます。
| 項目 | 崇原 |
|---|---|
| 読み | すうげん |
| 所属 | 飛信隊(結成時は第五伍長) |
| 眼帯の理由 | 馬陽の戦いで夜襲を受け撤退する際に左目を失った |
| 眼帯姿になった時期 | 山陽編(17巻〜) |
| いまの立場 | 三千人将 |
| 剣術 | 二大田舎剣術のひとつ「合昂剣」の皆伝 |
| アニメの声優 | 高橋英則(第1〜2シリーズ)、井之上潤(第3シリーズ〜) |
左目を失ったのは馬陽の撤退のさなか
崇原が片目になったのは、飛信隊が初めて名前をもらった馬陽の戦いです。王騎が総大将を務め、信の百人隊が「飛信隊」と名付けられて、趙将の馮忌を討ち取った戦いでした。
その勝利の夜、秦軍の野営地に趙の龐煖(ほうけん)が単身で現れ、さらに趙将・万極の軍が夜襲をかけてきます。飛信隊は龐煖を狙いましたが届かず、敗走して万極軍の猛追を受けました。崇原が左目を失ったのは、この撤退のさなかです。翌朝に隊が再び集まったとき、飛信隊は大きく数を減らしていました。
ここで気をつけたいのは、目を斬られる瞬間そのものは作中にはっきり描かれていないことです。次に崇原が出てくる17巻からの山陽編で、もう眼帯をしています。いつの間にか片目になっていた、という見せ方でした。
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目を失う場面を描かなかったのは、手抜きではないと思っています。
あの夜の飛信隊は、仲間を何人も失いながら逃げていました。一人の傷に立ち止まる余裕が、隊にも作品にも無かった。
描かれなかったこと自体が、あの撤退の苦しさを伝えていると読んでいます。
次の戦に眼帯で立っている姿だけで、崇原が何をくぐってきたかは十分に伝わります。
伍長から三千人将へ。崇原の出世の順番
崇原の階級は、飛信隊が大きくなるたびに一段ずつ上がってきました。飛び級は一度もありません。
- 飛信隊の結成(馬陽)… 第五伍長
- 三百人隊になったとき … 什長
- 千人隊になったとき … 百人将
- 黒羊丘の戦いのあと … 歩兵長
- 信が将軍になったあと … 歩兵長を兼ねて千人将
- 始皇十六年の再編(812話)… 三千人将
812話で飛信隊が6万の軍に組み直されたとき、崇原は三千人将として名前が並びました。五千人将の渕と楚水のすぐ下の位です。初陣のころの伍長が、いまは数千の歩兵を預かっています。
崇原の剣「合昂剣」と「小便もらし」の過去
崇原は、二大田舎剣術と呼ばれるうちのひとつ「合昂剣」の皆伝の使い手です。始皇十五年に飛信隊へ入った士桃が、もうひとつの田舎剣術「雲草剣」の使い手だと見抜き、期待していると声をかけたのも崇原でした。剣を知っている人ほど、剣を使う人を正確に見る。崇原はそういう目を持った人物として描かれています。
その一方で、崇原には笑い話のような過去があります。十七歳の初陣で、尿意をこらえていたところを奇襲され、小便を漏らしてしまった。そのせいで長く「小便もらしの崇原」と馬鹿にされていました。
馬陽で信の百人隊に入ったときも、崇原はまだ名もない伍長でした。それでも信の剣筋を見て、剣に通じた者ならすぐ分かる腕だという趣旨のことを口にしています。信が中華に名を知られる前のことです。
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「小便もらしの崇原」と「合昂剣の皆伝」が同じ人だというのが、崇原のいちばんの味だと思っています。
笑われた過去を持つ人が、笑われない腕を黙って磨いてきた。
だから崇原は、若い兵の失敗を笑わずに、もう一度機会を渡せる。
干斗への接し方は、昔の自分に向けたものにも見えます。
干斗たち若い兵と、松左との縁
黒羊丘のあと、飛信隊に憧れた干斗は入隊試験で一度落とされ、仲間と食ってかかります。そこで干斗たちを叩きのめしたのが崇原でした。ところが崇原は、そのまま追い返しません。今一度の機会を与え、干斗は合格して入隊します。
鄴攻めの列尾の戦いでは、初陣の干斗たちが魯平の暴走で窮地に陥ります。そこへ駆けつけたのが崇原と、側近の「崇原五人衆」でした。崇原は、試験で叩きのめした若者を、戦場で自分の手で拾い上げています。
崇原と初陣からの付き合いだったのが、槍の達人の松左です。朱海平原の十四日目、55巻595話で、松左は趙峩龍軍に囲まれた干斗たちを救いに入り、致命傷を負いました。愛槍を干斗に託し、信の腕の中で息を引き取っています。同じ初陣を生き延びた二人のうち、一人は若い兵を救って散り、一人は片目を失っても隊に残り続けています。
飛信隊の規律を守る役も、崇原が担ってきました。羌瘣の一族の羌礼が捕虜まで平然と斬る軍律違反を重ねたとき、追放を言い渡したのも崇原です。
まとめ|崇原の眼帯は馬陽の撤退の傷
崇原が眼帯をしているのは、馬陽の戦いで夜襲を受けて撤退するさなかに左目を失ったからです。17巻からの山陽編で眼帯姿になり、いまは三千人将です。
押さえておきたい点を並べます。
- 左目を失ったのは馬陽の撤退。斬られる瞬間は描かれていない
- 眼帯姿で出てくるのは17巻からの山陽編
- 結成時の第五伍長から、812話の再編で三千人将へ
- 二大田舎剣術のひとつ「合昂剣」の皆伝
- 干斗を試験で鍛え、列尾で救った。初陣からの仲間は松左
僕はこう読む
キングダムでは、名のある将が大きな戦のたびに死にます。読者の目はそこに向きます。
その横で、崇原のような古参は死なずに、少しずつ削られていきます。
目を失い、仲間を失い、それでも次の戦に出る。
死ぬことより、失いながら続けることのほうが長い。崇原の眼帯は、そのことを何も言わずに見せていると思っています。
崇原を飛信隊の脇を固める剣士と見るか、失いながら隊を支え続けてきた古参の代表と見るかで、飛信隊という隊の見え方はずいぶん違ってきます。
——あなたは崇原を、腕の立つ脇役だと思いますか。それとも、飛信隊を「隊」として強くした柱の一人だと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
眼帯の理由は作中で一場面として描かれていないので、「いつ片目になったのか」を探す人が多いところです。短く答えます。
Q. 崇原の読み方は?
A. 「すうげん」です。飛信隊の古参の剣士です。
Q. 崇原はなぜ眼帯をしているのですか?
A. 馬陽の戦いで龐煖と万極軍の夜襲を受け、撤退するさなかに左目を失ったためです。斬られる瞬間ははっきり描かれていません。
Q. 崇原が眼帯姿になったのは何巻からですか?
A. 17巻から始まる山陽編です。馬陽の戦いのあと、次に登場した時点で眼帯をしています。
Q. 崇原はいま何人将ですか?
A. 三千人将です。812話で飛信隊が6万の軍に組み直されたときに名前が挙がりました。
Q. 崇原は死亡しましたか?
A. 死亡していません。趙を攻めるいまの戦いで飛信隊は李牧の包囲を受けましたが、崇原は竜川や尾平とともに少しずつ本隊へ戻ってきていて、2026年9月の最新888話の時点でも生きています。
Q. 崇原の剣術は何ですか?
A. 二大田舎剣術のひとつ「合昂剣」です。崇原はその皆伝の使い手です。
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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月26日


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