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【キングダム】李斯の最期はどうなるのか?趙高に陥れられ、紀元前208年に腰斬されました!

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李斯の最期はどうなるのか

結論から言うと、処刑されます。紀元前208年7月、趙高との権力争いに敗れ、市中で五刑を受けたのち腰斬に処されました。一族も三族に至るまで皆殺しです。

作中の李斯は、まだ秦の宰相として法を説いている段階です。「法とは願い」と語ったその人が、法によって切られます。

この記事でわかること

  • 史実の最期と、その手順
  • 処刑直前に息子へ語った言葉
  • 「法とは願い」という台詞の中身
  • 韓非子を排斥した経緯
  • 実写映画での扱い

史実で何が起きたか

項目 内容
出身 楚の上蔡
地位 天下統一後、丞相に任命される
最期 紀元前208年7月、五刑ののち腰斬
一族 三族に至るまで皆殺し
原因 始皇帝の死後、趙高との権力争いに敗れた

順序が重いところです。いきなり腰斬ではありません。先に五刑があります。鼻、耳、舌、足を切り落とされ、鞭で打たれたうえで市中へ引き出されました。

腰斬は、腹部で体を両断する刑です。即死させず、苦しませて死なせるための刑罰でした。

法を整えて秦を動かした人物が、その法の最も重い形で処理されたことになります。

処刑直前に息子へ言った言葉

刑場には、李斯の息子の一人も並んで引き立てられていました。そこで李斯が語りかけたと伝わる言葉が残っています。

「かつてお前と黄犬を連れ、上蔡の東門を出て兎狩りによく出かけたものだが、もうそれもできなくなってしまったなあ」

黄犬は猟犬のことです。上蔡は、李斯が生まれた楚の町でした。

丞相まで上り詰めた人物が、最後に口にしたのは出世する前の、故郷での何でもない一日でした。

僕はこう読む

この一言が残っているせいで、李斯を単なる野心家として読めなくなります。
楚にいた頃の李斯は、出世欲のない普通の市民でした。
兎狩りに行く男が、学友を排斥するところまで行っている。
どこで変わったのかは、記録に書かれていません。
ただ最後に戻った場所が上蔡の東門だったということは、
本人もその変化を、取り返しのつかないものとして見ていたのだと思います。
刑の重さより、この一文のほうが効きます。

「法とは願い」という台詞

作中の李斯を決定づけているのが、46巻「地下牢の賢人」の台詞です。

「バカな!刑罰とは手段であって、法の正体ではない!”法”とは願い!国家が国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ!」

続けて、全中華の人間にどうあってほしいのか、どう生きてほしいのか、どこに向かってほしいのかをしっかり思い描けと言います。

法を罰の道具ではなく、国が掲げる理想の形として扱っている。法の番人と呼ばれる人物の、いちばん深いところにある考えです。

もうひとつ、10巻「上奏」の台詞も李斯らしいものでした。「奏とは主に政に関する提言。戦しか能のない貴様が何の提言か?」文官としての立ち位置がそのまま出ています。

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秦での立ち位置

李斯は呂不韋に仕えた四柱の一人です。総司令になる昌平君、武力の蒙武、外交の蔡沢、そして法の李斯という並びでした。

性格はまじめで堅物。法の番人と呼ばれるだけあって頭が固く、融通が利きません。プライドも高い人物です。

その一方で、冷静に状況を把握して手際よく片づける有能さがあります。汚れ仕事を任されるのも、たいていこの人でした。

始皇9年の咸陽攻防戦では、咸陽の守りを弱めています。政を殺させるためでした。その罪で投獄されますが、のちに昌文君の働きかけで政治の場へ復帰しています。

秦の始皇帝は法によって国を動かそうとしていたので、法に詳しい李斯を手放しませんでした。

韓非子を排斥した

李斯の冷酷さが出るのが、学友だった韓非をめぐる一件です。

韓非は『韓非子』の著者で、法家思想の大成者にあたります。のちの三国志の時代、諸葛亮が劉禅に『韓非子』を学ぶよう勧めたことでも知られる人物です。

史実では、韓から秦へ送られてきた韓非が登用されそうになります。李斯は姚賈とともに讒言して韓非を排斥し、韓非は獄死しました。

出世のためなら学友も消す。その評価は、ここから来ています。

僕はこう読む

「法とは願い」と言った人が、韓非を消して焚書を進めています。
矛盾しているように見えて、本人の中では一本だと思っています。
李斯にとって法は、国が掲げる理想の形でした。
理想の形が決まっているなら、それを乱す言葉は消してよいことになる。
願いを法にした瞬間に、願わない者を裁く道具にもなる。
そのまま自分に返ってきたのが紀元前208年でした。
李斯の最期は、自分の考えの行き着く先を見せられた形だと読んでいます。

実写映画での扱い

実写映画シリーズでは、呂不韋を佐藤浩市さん、昌平君を玉木宏さん、蒙武を平山祐介さんが演じています。

李斯については、公式のキャスト一覧に名前が無く、配役が発表されていません。呂氏四柱のうち、映像で名前と顔が結びついていないのが李斯です。

法の場面は絵として地味になりやすいので、扱いが難しいところではあります。

まとめ

李斯の最期は処刑です。紀元前208年7月、始皇帝の死後に趙高との権力争いへ敗れ、五刑を受けたのち腰斬されました。一族も三族に至るまで皆殺しです。

処刑直前、息子に語ったのは上蔡の東門で兎狩りをした日のことでした。丞相まで上がった人が、最後に戻ったのは楚の一市民だった頃です。

作中の李斯は「法とは願い」と語ります。国家が国民に望む理想の形が法だ、という考え方です。

残る論点は、その願いがどこで道具に変わったのかです。同じ人物が、学友の韓非を讒言で排斥しています。

僕はこう読む

原泰久先生が李斯にあの台詞を言わせたのは、優しさだと思っています。
史実の李斯は、焚書と腰斬で記憶されている人物です。
そこへ「法とは願い」という一文を置いた。
結果だけを知っている読者に、出発点を見せたということです。
この人は最初から冷酷だったわけではありません。
理想を形にしようとして、形のほうに飲まれていった。
読者が李斯を嫌いになりきれないのは、あの台詞のせいだと読んでいます。

作中ではまだ、その願いが道具に変わる前の李斯が描かれています。そこが読みどころです。

——あなたは李斯の「法とは願い」という言葉を、本心だったと思いますか。それとも出世のための建前だったと思いますか。よければコメントで教えてください。

よくある質問

李斯は「法とは願い」の李斯と、腰斬される李斯を並べて見ると分かりやすくなります。

Q. 李斯はどうやって死にましたか。
A. 紀元前208年7月に処刑されました。五刑を受けたのち腰斬され、一族も三族まで皆殺しにされています。

Q. なぜ処刑されたのですか。
A. 始皇帝の死後、趙高との権力争いに敗れたためです。それまでは丞相の地位にありました。

Q. 最期に何を言ったのですか。
A. 息子に「上蔡の東門を出て兎狩りによく出かけたが、もうそれもできない」と語ったと伝わります。

Q. 「法とは願い」とはどういう意味ですか。
A. 刑罰は手段にすぎず、法とは国家が国民に望む理想の形だという考えです。46巻「地下牢の賢人」の台詞です。

Q. 李斯はどこの出身ですか。
A. 楚の上蔡です。秦の人間ではなく、外国人採用で登用された側になります。

Q. 実写映画に李斯は出ますか。
A. 公式のキャスト一覧に李斯の名前は無く、配役は発表されていません。呂不韋は佐藤浩市さん、昌平君は玉木宏さんが演じています。

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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月18日

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