【キングダム】趙滅亡はいつ?趙国が滅亡するまでの流れを史実から徹底考察!李牧の最後とは!? | 漫画コミック考察ブログ

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【キングダム】趙滅亡はいつ?趙国が滅亡するまでの流れを史実から徹底考察!李牧の最後とは!?

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この記事を読むとわかること

  • 強力な武将が「趙国」の侵攻を食い止める
  • 李牧の処刑と司馬尚の更迭が「趙国」滅亡の原因
  • 史実通り、「趙国」は「秦国」によって滅亡

中華統一に本腰を入れた「秦国」と「趙国」は中華全土に名を響かせる名軍師・李牧を筆頭に迎え撃ちます。

その戦いでも無類の強さを見せる「趙国」でしたが、その後の史実では滅亡するとされています。

今回はこの「趙国」滅亡について詳しく見てみたいと思います。

 

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【キングダム】秦国と趙国の争いが激化

「秦国」にとって難敵である「趙国」は、秦が韓を攻めていた隙を突き侵攻を開始します。

この時、この「趙国」を迎え撃った将軍は「秦国」総大将の王騎でした。

「趙国」からは龐煖が出てきており、「秦国」優勢のまま王騎との一騎打ちになります。

ですが、この時、王騎の読みより早く伏兵を潜ませ登場させたのが李牧でした。

そして、退却せざるを得ない「秦国」は王騎も討ち取られてしまい、その後の戦いが激化していく事になります

 

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【キングダム】鄴攻略戦

激化の一途を辿る「趙国」と「秦国」の戦いですが、「秦国」軍師・昌平君は西から少しずつ侵攻していくという正攻法ではなく、趙都・邯鄲の南にある目と鼻の先の距離にある「鄴」を攻略するという奇策にでます

この「秦国」にとって賭けに近い「鄴攻略戦」は総大将「王翦」、副将軍「桓騎」、抹将「楊端和」の六大将軍が攻略軍として編成され、信、蒙恬、王賁、たちの各隊はこの攻略軍の「独立遊軍」として参戦する事になります。

 

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【キングダム】鄴陥落~平陽の戦いへ

「鄴」を攻略するという奇策に出た「秦国」は、総大将・王翦の戦術を盾に周辺の9城を陥落させます。

その戦術とは食糧だけを奪い、民衆は城から追い出すだけというものでした。

いわゆる兵糧攻めを行った王翦の戦力により、結果として鄴に集まってくる民衆。

その結果、王翦の目論み通りに作戦は進み鄴を陥落させる事に成功します

 

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【キングダム】桓騎による趙兵大量虐殺

鄴を陥落させた「秦国」の桓騎は自らの軍を率い平陽に直行しました。

一方、「趙国」が平陽の救援に向かわせたのが、将軍・扈輒でした。

この時も「秦軍」と「趙軍」は激しい戦いを繰り広げますが、その戦いを制したのは扈輒を討ち取った桓騎でした。

その敵将を討ち取った桓騎は、仲間を殺された恨みもあり、約10万と言われる「趙兵」を平陽の城外で斬首する大量虐殺を行い「首斬り桓騎」たる姿を見せる暴挙に出ます

 

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【キングダム】趙軍の反撃~肥下の戦いへ

平陽を攻略し「趙兵」約十万人を斬首した桓騎は、その勢いのまま翌年には宜安城も攻略します。

その戦況で「趙国」が将軍に任命し、総大将となったのは李牧でした。

そして、その李牧は宜安付近に陣を構えると長期戦に備え城壁を作り籠城しました。

この李牧に対し、桓騎が選んだ作戦は李牧を誘き出す為に「肥下城」を攻め、兵士や民を無残な方法で惨殺するというものでした。

ですが、李牧はその誘いに乗らず選んだ作戦は「桓騎軍」が「肥下城」を攻めている間に手薄になった宜安に攻め込むというものでした。

これに意表を突かれた桓騎は急いで宜安に戻りますが、李牧の作戦にまんまとハマってしまう事になります。

 

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【キングダム】秦軍敗北~番吾の戦いへ

桓騎の弱点である「正攻法の戦い」が苦手である事に気づいた李牧。

仲間を助けに宜安に戻ってきた桓騎軍を強襲し見事に大敗させます

そして、李牧は秦に占領されていた土地を取り戻す事に成功します。

その翌年、「秦国」は再び鄴に兵を大挙させて番吾を占領する事に成功します

ですが、その「秦国」の前に立ちはだかったのはまたしても「趙国」名軍師・李牧でした。

李牧はこの「番吾の戦い」で、秦軍に勝利するとその勢いのまま「秦国」が占領していた韓・魏の国境まで領土を奪還するという強さを見せます

 

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【キングダム】王都邯鄲攻略戦

李牧の前に敗戦を繰り返した「秦国」でしたが、「番吾の戦い」から数年経った紀元前229年に大将軍・王翦率いる「秦国」に侵攻されてしまいます。

この時、「趙国」では干ばつと地震による天災による被害がある中で侵攻されましたが、王翦は更なる戦術を使い「趙国」王都・邯鄲を攻略していく事になります

 

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【キングダム】王都邯鄲陥落~趙国滅亡へ

干ばつと地震の中を侵攻した「秦国」将軍・王翦は「趙国」重臣・郭開を買収する事に成功します。

そして、「趙国」幽繆王のお気に入りの郭開は李牧が謀反を企てていると幽繆王に進言したのです。

これにより李牧は「謀反者」と処罰される事になり、もう1人の名軍師・司馬尚も更迭されてしまいました

この後、幽繆王は2人の代わりに新たな将軍・趙葱・顔聚に軍を率いさせますが、王翦率いる「秦国」の力には敵わず、趙葱は戦死、幽繆王と顔聚が捕虜となった事で「趙国」は滅亡してしまいます。

 

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【キングダム】李牧の最後とは?

中華全土に響き渡る名軍師・李牧でしたが、その最後は謀反者に仕立て上げられ「処刑」されるという呆気ないものでした。

「キングダム」作中ではどのように描かれるかはまだ分かりませんが、楽しみな場面ではあります。

 

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【キングダム】趙国滅亡の原因とは?

名軍師・李牧の活躍により「秦国」の侵攻を防いでいた「趙国」。

李牧処刑後にあっさりと言っていいほど、「秦国」に侵略され滅亡しました。

その1番の原因はやはり李牧を失った事です。

そして、李牧に負けず劣らずの名将・司馬尚の更迭です。

また、干ばつや地震という天災も去る事ながら敵将・王翦の策略、愚王・幽繆王の判断などがあります。

それでも、1番の原因はやはり李牧を失ってしまった事だと思われます。

 

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【キングダム】趙国滅亡は史実通り?

「キングダム」作中ではまだ先になりそうですが、史実でも李牧を失った「趙国」は滅亡しています

作中では若干の脚色はありますが、史実通りに進んでいるのが分かります。

 

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まとめ

中華統一を目指す「秦国」にとり、「キングダム」作中でも描かれるように厄介な難敵が「趙国」です。

その「趙国」には名将とうたわれる李牧や司馬尚の他、廉頗など強力な武将が存在する事で「秦国」の侵攻を食い止めていました。

ですが、時の王・幽繆王は愚王と呼ばれるだけに最悪の判断を下してしまったのです。

それは「秦国」の将軍・王翦に唆された郭開の言葉を鵜呑みにした事でした

こうして、処罰を拒否する李牧を処刑した「趙国」は新たな将軍を立てましたが、李牧の力には及ぶ事なくあっさりと敗れ「趙国」を滅亡させてしまいました。

「キングダム」作中でもこの史実通りに向かっています。

一体どんな風に描かれるのか、楽しみにしたいですね。

 

あいり
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