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趙はいつ滅亡するのか?
結論から言うと、史実の趙は紀元前228年に滅亡します。王都の邯鄲が秦軍に落とされ、幽繆王が捕らわれました。作中は78巻から、その前年にあたる最後の趙攻めに入っています。
キングダムの趙は、李牧・司馬尚・龐煖と、秦をいちばん苦しめてきた国です。その趙が、いまの本編で終わりに向かっています。この記事では、史実で趙がどんな順番で滅んだのかを年表で確かめ、作中の趙完全攻略編がいまどこまで進んでいるか、そして趙を滅ぼした本当の原因は何だったのかを考えていきます。
この記事でわかること
- 史実で趙が滅亡した年と、その前の6年間の流れ
- 邯鄲が落ちたあとも残った「代」と、完全な滅亡の年
- 作中の趙完全攻略編は何巻からで、888話でどこまで進んだか
- 趙を滅ぼした原因は李牧の死だけなのか
- 作中にもう置かれている滅亡の伏線(カイの読み)
史実の趙が滅亡するまでの年表
趙の最後の6年は、秦の攻勢と李牧の反撃が入れ替わる年月でした。李牧が勝ち続けていた国が、李牧を失って半年足らずで終わっています。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 紀元前234年 | 桓騎(史実は桓齮)が平陽で扈輒を討ち、趙兵10万を斬首 |
| 紀元前233年 | 李牧が大将軍になり、肥下で秦軍を破る。武安君に封じられる |
| 紀元前232年 | 李牧が番吾で秦軍を再び破る |
| 紀元前231年 | 代の地で大地震 |
| 紀元前230年 | 趙で大飢饉 |
| 紀元前229年 | 王翦が侵攻。郭開の讒言で李牧は誅殺、司馬尚は罷免 |
| 紀元前228年 | 趙葱が敗れて戦死。邯鄲が落ち、幽繆王が捕らわれて趙は滅亡 |
| 紀元前222年 | 亡命政権・代の代王嘉が王賁に捕らわれ、趙の系統が絶える |
紀元前228年、李牧を失った趙軍は、趙葱と斉の将・顔聚に率いられて王翦と戦い、大敗しました。趙葱は戦死し、幽繆王は降伏します。『史記』の秦始皇本紀は、東陽へ逃れた幽繆王を王翦と羌瘣が平定して捕らえたと書いています。作中で信の隣にいる羌瘣と同じ名前の将が、史実では趙の王を捕らえた側にいるのです。
邯鄲に入った秦王・政は、生まれ育ったこの都で、母の実家と揉めていた者たちを生き埋めにしてから秦へ戻ったと記されています。作中で紫夏に命を救われ、邯鄲から逃げ出した少年が、王として帰ってきたことになります。
邯鄲が落ちても、趙はすぐには終わらなかった
幽繆王が捕らわれたあと、兄の嘉が一族数百人を連れて北の代へ逃れました。嘉はもともと太子でしたが、母の違う弟の遷(のちの幽繆王)に位を奪われていた人です。代で趙の大夫たちに担がれ、「代王」を名乗って燕と組みました。
この亡命政権も、紀元前222年に王賁に攻められ、代王嘉が捕らわれて終わります。国としての趙は紀元前228年に滅び、その名残が消えたのは紀元前222年です。「趙の滅亡はいつか」と聞かれたら、答えはこの2段になります。
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年表を並べると、趙を追い詰めたのが秦軍だけではないのが見えてきます。
地震の翌年に飢饉、その翌年に王翦の大軍です。
李牧が戦場で勝っても、国の足元は先に崩れていた。
李牧の処刑は、倒れかけた国がいちばん大事な柱を自分で抜いた場面だと読んでいます。
作中はいまどこまで進んでいるのか
作中の趙完全攻略編は78巻から始まりました。舞台は始皇十八年、史実でいう紀元前229年で、李牧が誅殺される年そのものです。2026年8月19日に出た80巻、さらに雑誌の888話まで、この戦いが続いています。
秦は44万の大軍で四方から邯鄲を目指し、趙は40万以上で邯鄲の西に防衛線を敷きました。李牧は武安に司馬尚・紀彗ら趙の名将を集め、幽繆王から王都軍5万を預けられて出陣しています。
開戦早々、趙の中華十弓一位・青華雲が、山の民のダントと楊端和を射抜きました。その青華雲を863話で討ったのが、飛信隊の蒼仁です。864話では、録嗚未の軍が苦戦している相手が斉の将・顔聚だと分かりました。史実で趙葱とともに趙軍を率いた、あの顔聚です。886話からは河了貂が囮に残り、888話の時点で趙の捕虜になっています。
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顔聚がここで出てきたのは、原先生が史実の最後の布陣を正確になぞる気でいる合図だと思っています。
史実の顔聚は、李牧の後を継いで趙軍を率い、滅亡の年に敗れる将です。
その名前を、李牧がまだ生きている戦場に先に置いた。
李牧がいなくなったあとの趙を、読者は顔聚の顔で見ることになるのだと読んでいます。
趙の滅亡は何巻で描かれるのか
趙の滅亡が描かれる巻は、まだ出ていません。888話の時点で、邯鄲も幽繆王も健在です。
史実どおりに進むなら、趙はこの先、李牧の誅殺、司馬尚の罷免、趙葱と顔聚の敗戦、邯鄲の陥落という順で終わります。作中はいま、その最初の段にあたる李牧の年の戦場にいます。
78巻では、邯鄲の民衆が李牧に熱狂し、「李牧こそが王に相応しい」という陰口が幽繆王の耳に入る場面が描かれました。王は李牧に王都軍を預けながら、心の中で不信を育て始めています。さらに883話では、秦の姚賈が邯鄲の民の中に仲間を紛れ込ませ、「李牧将軍万歳」の声を広げる工作を始めました。王より李牧が慕われている形を、秦がわざと作りにいったのです。史実の讒言が効く下地は、もう作中に置かれています。
趙を滅ぼした原因は何だったのか
趙の滅亡は、李牧の処刑だけで説明されがちです。けれど史料を並べると、原因は少なくとも4つ重なっています。
1つ目は、王翦の買収です。王翦は幽繆王の寵臣・郭開に多額の賄賂を贈り、「李牧と司馬尚が謀反を企んでいる」と言わせました。太后の悼倡后も秦から賄賂を受け取って讒言したと伝わります。2つ目は、その讒言を信じた幽繆王です。司馬遷は『史記』で、幽繆王は素行が悪く讒言を信じたので、良将の李牧を殺して郭開を用いたと書いています。
3つ目は天災です。紀元前231年の大地震と翌年の大飢饉で、国の力が削られていました。4つ目は、李牧の後を継いだ趙葱と顔聚が、王翦に太刀打ちできなかったことです。李牧を失ってから、趙が持ちこたえたのは3か月か5か月ほどでした。
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王翦が最後に選んだのが、戦ではなく買収だったところに意味があると思っています。
作中の王翦は「負けない戦しかしない」と言われる将です。
李牧に戦場で勝てないなら、戦場の外で勝つ。
番吾で敗れた王翦がこの手を使うなら、それは負けを認めたうえでの勝ち方で、作中でもいちばん冷たい場面になると読んでいます。
結末が決まっていても、先が読めない理由
趙の滅亡そのものは、史書で結末が決まっています。李牧・司馬尚・郭開・顔聚・趙葱・幽繆王は、どれも史書に名が残る人物です。この人たちがどう動くかは、ある程度まで史実から先回りできます。
けれどキングダムの趙には、カイネや紀彗、青華雲のように、作品が長い時間をかけて描いてきた人物がいます。カイネが李牧とどう別れるのか、離眼の兵を背負う紀彗がどこで戦を終えるのかは、原先生の描き方次第です。滅亡の年が決まっているぶん、そこに至るまでの人の選択に目が向く作りになっています。
まとめ|趙は紀元前228年に滅び、作中はその前年の戦場にいる
史実の趙は紀元前228年に邯鄲が落ちて滅亡し、亡命政権の代も紀元前222年に終わります。作中は78巻からその前年、李牧の年の戦いを描いています。
押さえておきたい事実を並べます。
- 紀元前229年、郭開の讒言で李牧が誅殺され、司馬尚が罷免された
- 紀元前228年、趙葱が戦死し、幽繆王が捕らわれて趙は滅亡
- 兄の嘉が代で王を名乗るが、紀元前222年に王賁に捕らわれた
- 作中の趙完全攻略編は78巻から。舞台は始皇十八年(紀元前229年)
- 888話の時点で、邯鄲も幽繆王もまだ健在
僕はこう読む
趙の最後は、強い国が負けた話ではないと思っています。
強い将を持っていた国が、その将を信じられなくなった話です。
秦が趙を倒したのではなく、趙が李牧を手放した日に終わった。
作中の幽繆王の不信が、どの一言で決定的になるのかを見届けたいと思っています。
趙の滅亡を王翦の策の勝利と見るか、幽繆王が自分で国を手放した結果と見るかで、この先の邯鄲の場面はずいぶん違って見えるはずです。
——あなたは趙を滅ぼしたのは、秦の王翦だと思いますか。それとも李牧を信じなかった幽繆王だと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
紀元前228年と紀元前222年、2つの年が出てくるので混乱しやすいところです。短く答えます。
Q. 史実で趙が滅亡したのはいつですか?
A. 紀元前228年です。邯鄲が秦軍に落とされ、幽繆王が捕らわれました。亡命政権の代は紀元前222年まで続きました。
Q. キングダムで趙が滅亡するのは何巻ですか?
A. まだ描かれていません。趙完全攻略編は78巻から始まり、80巻と888話の時点でも戦いが続いています。
Q. 趙を滅ぼしたのは誰ですか?
A. 秦の王翦です。『史記』では、逃げた幽繆王を王翦と羌瘣が東陽で捕らえたとされています。
Q. 趙が滅亡した原因は何ですか?
A. 李牧の誅殺と司馬尚の罷免が大きく、その裏には王翦による郭開の買収がありました。大地震と大飢饉で国力が落ちていたことも重なっています。
Q. 趙の最後の王は誰ですか?
A. 邯鄲で捕らわれたのは幽繆王(遷)です。そのあと兄の嘉が代で王を名乗り、紀元前222年に王賁に捕らわれました。
Q. 李牧が死んだあと、趙軍を率いたのは誰ですか?
A. 趙葱と、斉の将・顔聚です。紀元前228年に王翦に大敗し、趙葱は戦死しました。
最後の趙攻めは884話で一度崩れました。史実の李牧と、その最後へ。
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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月26日


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