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魏国はいつ滅亡するのか?
結論から言うと、史実の魏は紀元前225年に滅亡します。秦の王賁が黄河の水を引いて都・大梁を水攻めにし、魏王の假が降って魏は秦の郡県になりました。
キングダムの本編はいま始皇十八年、紀元前229年の趙との全面戦争を描いているところで、魏はまだ滅びていません。それでも魏は、信の初陣の蛇甘平原から、廉頗が立った山陽、呉鳳明の合従軍、魏火龍の著雍まで、秦の前に何度も立ちはだかってきた国です。この記事では、魏国とはどんな国か、作中の王と重臣、秦と魏が戦ってきた流れ、韓攻略での魏の動き、そして史実の滅亡と信陵君の話までを順に見ていきます。
この記事でわかること
- 史実で魏が滅亡した年と、滅ぼした将
- キングダムの魏の王・宰相・軍師は誰か
- 秦と魏がこれまでに戦ってきた流れ
- 秦魏同盟と、韓攻略での魏の動き
- 本編はいま魏の滅亡までどれくらいか
- 魏は信陵君を失ったから滅んだのか(カイの読み)
史実の魏の滅亡|紀元前225年、大梁の水攻め
魏を滅ぼしたのは王賁です。『史記』秦始皇本紀は、始皇二十二年(紀元前225年)のこととして、王賁が魏を攻め、黄河の水路から水を引いて大梁に流し込んだと書いています。大梁の城壁は崩れ、魏王は降伏を願い出て、秦は魏の地をすべて取りました。
| 年 | 魏と秦に起きたこと(史実) |
|---|---|
| 紀元前230年 | 秦が韓を滅ぼす |
| 紀元前228年 | 魏の景湣王が亡くなり、子の假が王になる。同じ年に秦が趙の邯鄲を落とす |
| 紀元前227年 | 燕の太子丹が荊軻に秦王を刺させようとして失敗する |
| 紀元前225年 | 王賁が大梁を水攻めにし、王假が降って魏が滅亡 |
『史記』の魏の歴史をまとめた魏世家は、同じ出来事を「秦が大梁に水を注ぎ、王假を捕らえ、魏を滅ぼして郡県にした」と書いています。秦始皇本紀は「王が降伏を願った」、魏世家は「王を捕らえた」で、書き方が少し違います。どちらにしても、王賁の水攻めで魏が終わったことは同じです。
大梁は、魏がもとの都・安邑から移した都です。安邑は秦に近すぎたため、魏は東の大梁へ都を移していました。
キングダムの魏国|王と重臣たち
キングダムに出てくる魏の王は、第十五代の景湣王です。廉頗から「見た目でしか人を量れぬ」と暴言を吐かれても怒らず、敗れた廉頗を死罪にせず追放で済ませた、温和な王として描かれています。呉鳳明の説得に応じて、先王が牢に入れた魏火龍の三人を解き放ったのも景湣王です。
| 人物 | 立場 |
|---|---|
| 景湣王 | いまの魏王。温和で寛容な王 |
| 安釐王 | 先王で故人。魏火龍七師の暴走を許し、内乱を招いた |
| 月華広 | 魏の宰相。良識のある老人 |
| 玻璃 | 魏の軍師。秦魏同盟の条件を呉鳳明に伝えた |
| 呉鳳明 | 魏軍第一将。いまの魏の軍を背負う軍略家 |
史実どおりなら、景湣王は紀元前228年に亡くなります。本編の始皇十八年は紀元前229年なので、景湣王がまだ王座にいるのは史実とも合っています。魏が滅びるときの王・假は、本編にはまだ出てきていません。
僕はこう読む
キングダムの景湣王は、ほとんど怒らない王として描かれています。
廉頗に暴言を吐かれても、呉鳳明に反対されても、話を聞いて決める。
趙の悼襄王や幽繆王と比べると、将を振り回さない珍しい王です。
それでも魏は滅ぶ。王の器では国の終わりを止められない、というのが魏の描き方なのだと思っています。
秦と魏はどう戦ってきたのか
魏は、キングダムの中で秦といちばん長く戦ってきた国の一つです。信の最初の戦場も、魏との戦いでした。
| 戦い | 魏側の中心と結末 |
|---|---|
| 蛇甘平原 | 魏火龍の呉慶が総大将。麃公との一騎打ちに敗れて呉慶が戦死。信の初陣 |
| 山陽 | 趙から亡命した廉頗が魏軍を率いる。秦が山陽を取り、のちの東郡に |
| 合従軍 | 呉鳳明が魏軍総大将。巨大井闌車で函谷関を攻める |
| 著雍 | 呉鳳明が魏火龍の三人を牢から出して守るが、霊凰と紫伯が討たれ撤退 |
| 秦魏同盟(始皇十二年) | 3年の同盟。秦が楚の什虎を魏に譲る条件で、魏は同盟を呑む |
秦魏同盟は、秦が趙の攻略に集中するため、背後の魏と結んだ期限つきの同盟です。呉鳳明は最初、同盟に反対して秦の使者を斬れとまで言いました。ところが楚の什虎を譲るという条件を聞いて考えを変え、什虎の攻略に駆けつけています。魏は同盟の3年のあいだに、秦ではなく楚と韓の土地を削りにいきました。
僕はこう読む
魏は、秦と戦うたびに将を失ってきた国です。
呉慶、霊凰、紫伯。残った魏火龍は凱孟だけになりました。
それでも同盟で3年の時間を買い、楚と韓から土地を取った。
滅びに向かう国なりに、いちばん賢い延命をしていたのが呉鳳明の魏だと読んでいます。
韓攻略で魏はどう動いたのか
同盟が切れたあと、秦は韓を攻めます。魏が韓へ援軍を出さないよう、秦は王賁の玉鳳軍を魏にぶつけました。
始皇十六年、王賁は水軍で魏の洛紫城に攻め込み、すばやく落としています。始皇十七年、秦が韓の都・新鄭を攻めると、魏は呉鳳明と凱孟に大軍を預けて韓を救いに向かわせ、玉鳳軍と戦いました。しかし新鄭が落ちたという知らせを受け、魏軍は退いています。
史実で魏の大梁を水攻めにするのは王賁です。その王賁が、キングダムではすでに水軍を使って魏の城を落としています。魏の最後の戦いへの伏線のようにも読めます。
本編はいま、魏の滅亡までどれくらいか
本編は、始皇十八年(紀元前229年)の趙との全面戦争を描いています。史実では、この翌年に趙の邯鄲が落ち、その次の年に荊軻の秦王暗殺未遂が起き、さらに2年後に魏が滅びます。史実の順番どおりなら、魏の滅亡は趙の決着と荊軻の事件のあとに来ます。
韓がすでに滅び、趙との決着が近づいているいま、魏は次に秦が向かう国の一つになっています。
魏は信陵君を失ったから滅んだのか
魏の公子・信陵君は、秦に囲まれた趙の邯鄲を救いに行ったことで知られる名君です。キングダムでは、甲という国を失って放浪していた呉慶の才を見出した人物として名前が出てきます。
『史記』魏世家の最後で、司馬遷はこう書いています。世の人はみな「魏は信陵君を用いなかったから弱って滅んだ」と言うが、自分はそう思わない。天が秦に天下を平らげさせようとしていたときに、魏がどんな名臣を得ても何の役に立っただろうか、と。
僕はこう読む
司馬遷は、魏の滅亡を人のせいにしませんでした。
時代が秦に向かって流れていたから、誰がいても止められなかった、と書いた。
キングダムの魏がどれだけ名将を出しても勝ちきれないのは、この司馬遷の見方に近いと思っています。
呉鳳明がどれほど賢くても、流れそのものには逆らえない。その悲しさが、魏の将たちの描き方に出ています。
まとめ|魏は紀元前225年、王賁の水攻めで滅ぶ
史実の魏は紀元前225年、王賁が大梁を水攻めにして滅びました。キングダムの本編は、まだその手前の紀元前229年です。
押さえておきたい事実を並べます。
- 魏を滅ぼしたのは王賁。黄河の水を引いて大梁を水攻めにした
- 最後の王は假。景湣王は紀元前228年に亡くなる
- キングダムの魏王は温和な景湣王で、宰相は月華広
- 始皇十二年に3年の秦魏同盟を結び、魏は楚の什虎を得た
- 韓攻略では王賁が魏の洛紫城を落とし、呉鳳明と凱孟が韓を救いに出た
僕はこう読む
魏を落とすのが、著雍で紫伯を討った王賁だというのは、よくできた巡り合わせです。
魏の将と何度も槍を交えてきた人が、最後は槍ではなく水で国を終わらせる。
王賁が「武の家」から「国を落とす将」になる場面として描かれるのではないかと僕は読んでいます。
魏の滅亡を「信陵君を失った魏の自滅」と見るか、「司馬遷の言うとおり時代の流れ」と見るかで、呉鳳明たちの戦いの意味はずいぶん違って見えてきます。
——あなたは魏の滅亡を、名臣を生かせなかった魏の自滅だと思いますか。それとも、誰にも止められない時代の流れだと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。
よくある質問
魏は紀元前225年の大梁の水攻めで終わりますが、本編はまだその手前なので、「いつ」「誰が」を短く答えます。
Q. 魏はいつ滅亡しますか?
A. 史実では紀元前225年です。キングダムの本編はまだ紀元前229年で、魏の滅亡は描かれていません。
Q. 魏を滅ぼしたのは誰ですか?
A. 王賁です。黄河の水を引いて都の大梁を水攻めにし、魏王の假が降りました。
Q. キングダムの魏の王は誰ですか?
A. 景湣王です。先王は安釐王で、魏が滅ぶときの王・假はまだ本編に出てきていません。
Q. 魏の都はどこですか?
A. 大梁です。もとの都の安邑が秦に近すぎたため、魏は大梁へ都を移していました。
Q. 秦と魏は同盟を結んでいましたか?
A. 始皇十二年に3年の同盟を結んでいます。秦が楚の什虎を魏に譲るのが条件でした。
Q. 魏の滅亡に信陵君は関係ありますか?
A. 信陵君を用いなかったから魏は滅んだ、という説が昔からありますが、司馬遷は『史記』で「そうは思わない」と書いています。
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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月26日


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