藺相如とは何者なのか
結論から言うと、藺相如(りんしょうじょ)は廉頗・趙奢と並ぶ趙三大天の一人です。作中ではすでに故人で、回想にしか登場しません。
そして史実では、武人ではなく外交官でした。和氏の璧をめぐる交渉での一言が、「完璧」という言葉の語源になっています。
この記事でわかること
- 読み方と、三大天としての立ち位置
- 完璧という言葉が生まれた経緯
- 藺家十傑が担っていた役割
- 尭雲と趙峩龍へ託した遺言
- 廉頗との刎頸の交わり
藺相如の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み方 | りん しょうじょ |
| 作中の立場 | 趙三大天の一人(廉頗・趙奢と並ぶ) |
| 史実の立場 | 趙の上卿。武人ではなく外交官 |
| 生没年 | 不詳。作中では病に倒れて死亡 |
| 直属の将 | 藺家十傑(尭雲・趙峩龍ほか) |
| 親友 | 廉頗(刎頸の交わり) |
趙三大天とは、趙が誇る3人の大将軍のことです。
昭王の時代に武勇を示した秦の六大将軍と、中華の天地を震わせていました。ところが作中の時点で生きているのは廉頗だけで、藺相如はすでに故人です。
実力が絶頂の時期に突然病へ伏し、そのまま亡くなりました。
そのため「幻の三大天」とも呼ばれています。黒の長髪と顎髭、下まつげの長い切れ長の目が特徴で、病弱さを感じさせない姿で描かれました。
完璧という言葉が生まれた交渉
史実の藺相如は、もともと宦官・繆賢の食客でした。
そこから推薦を受けて、和氏の璧をめぐる交渉の使者に抜擢されます。秦が「璧と15の城を交換したい」と申し出てきた一件です。
このとき藺相如は、趙王にこう言いました。
城を受け取れなければ「璧を完うして帰ります」という言葉です。この一言が、「完璧」という言葉の語源になりました。
そして交渉の場で、秦王に城を渡す気がないと見抜きます。
璧を手元へ取り戻し、従者に持たせて趙へ帰らせました。宣言どおり、璧は欠けることなく趙へ戻ったのです。
この功績で、藺相如は上卿まで昇りました。
僕はこう読む
完璧という言葉が、成功の宣言ではなかったところが好きです。
藺相如が言ったのは「欠けさせずに持って帰る」だけでした。
取ってくるでも、勝ってくるでもありません。
手に持って行ったものを、そのまま手に持って帰るという約束です。
それが2000年以上たっても使われる言葉になりました。
減らさないことが、いちばん難しいと知っている人の言い方です。
外交官としての性質が、語源そのものに残っていると読んでいます。
黽池の会で秦王に缻を叩かせた
紀元前279年、趙王は秦との友好の祝宴に赴きました。
黽池の会と呼ばれる場です。その席で秦王は、趙王に瑟(しつ)を弾かせようとしました。
格下の扱いを、公の場で押し付ける行為です。
そこで藺相如が動きました。対抗して秦王に缻(ほとぎ)を叩かせ、対等の儀礼を守らせたのです。
強国の王に、同じことをやり返させました。
刀を抜かずに、その場で国の格を守っています。藺相如が「口で国を守った」と言われるのは、こうした場面が積み重なっているからです。
作中での強さと、藺家十傑
作中の藺相如は、李牧から「智と勇を兼ね備えた大将軍・大戦略家」と評されています。
ただし戦いぶりそのものは描かれていません。廉頗のような圧倒的な個の武は、持ち合わせていませんでした。
その武を代わりに担っていたのが、藺家十傑です。
藺相如直下の10人の将で、いずれも個の武と屈強な精鋭兵団を持っていました。さらに藺相如仕込みの戦術を備え、列国の大将軍たちと渡り合っています。
| 藺家十傑 | その後 |
|---|---|
| 尭雲 | 朱海平原で王賁に討たれる。藺相如軍の武そのものと評された |
| 趙峩龍 | 朱海平原で信に討たれる |
| 残る8人 | 藺相如の死後、殉死するように無理な戦場へ身を投じて戦死 |
つまり藺家十傑は、三大天・藺相如の武そのものでした。
尭雲の軍は「朱海平原全体の中でも最強の武を有する」とまで言われます。本人が戦わなくても、その戦術と兵が最後まで残っていたことになります。
僕はこう読む
藺相如が三大天でいられた理由が、この作品の面白いところだと思っています。
本人の武ではなく、10人の将が武の担当でした。
大将軍の条件が、自分で斬れることではないと示しています。
だから8人が殉死したとき、藺相如という武は半分消えました。
残った2人が朱海平原まで生き延びたことに意味が出ます。
人が武器なので、人が残っている限り本人は死んでいません。
信と王賁が倒したのは、40年前の大将軍だったと読んでいます。
尭雲と趙峩龍に託した遺言
作中の藺相如は、高い洞察力と広い視野を持つ人物として描かれます。
それに加えて、予知夢のようなものも見ていました。その中華の未来を託した相手が、尭雲と趙峩龍の2人です。
藺相如は2人に「中華は一つになりたがっている。いずれ機が熟す刻が来るであろう」と語りました。
さらに、2人がいつの日か朱海平原で奮戦する夢まで見ています。死に際にその夢を打ち明けたうえで、遺言を残しました。
「中華統一を成そうとする敵に出会った時は、お前達が背負うものすべてをぶつけて打ち砕け」という言葉です。
そして止められなかった場合の言付けも残しました。「中華を一つにする刃たらんと戦うのならば、何があろうと必ず振り上げた刃は必ず最後まで振り下ろせ」と伝えろ、という内容です。
尭雲と趙峩龍は、息を引き取る藺相如の左右の手を握っていました。
そこで「2人にはまだ役割が残っている。絶対に後を追ってはならん」とも言われています。8人が殉死するなかで、この2人だけが生き延びた理由がこれでした。
そして朱海平原で、2人は秦の若い将たちの前に立ちはだかります。
信・羌瘣・王賁・蒙恬に六大将軍の臭いを感じ取りました。「主を失ってなお生きながらえたこの年月が無意味ではなかった」と奮戦します。
趙峩龍は信に、尭雲は王賁に討たれました。
2人はそれぞれ遺言を伝えながら死んでいきます。ここで藺家十傑は、完全に潰えました。
王騎に語った中華統一
藺相如は、馬丘の戦いのなかで王騎と言葉を交わしています。
そこで語ったのが、中華の統一を匂わせる内容でした。六大将軍を「良くも悪くも大いに無邪気」と評し、その無邪気さが強さだと認めます。
そのうえで「それだけでは届かぬ」と言いました。
理由は、中華がまだ熟しきれていないからです。自分たちの役目は、その中華を熟させることだと藺相如は考えていました。
そして「人は想いを紡いでいける生き物であり、俺たちはずっと繋がって生きている」と続けます。
「もうずいぶん前からずっと中華は“かの日”が来るのを待っている」とも語りました。そのときの王騎には、この言葉の意味がまだ分かっていません。
藺相如は「王騎よ、武運を祈れ。俺も祈る」と言って立ち去ります。
結果として、藺相如は尭雲と趙峩龍に想いを託しました。王騎のほうは騰や信へ繋いでいます。
僕はこう読む
藺相如が敵国の将である王騎に、中華統一の話をしているのが異様です。
趙の三大天が、秦の六大将軍にわざわざ言う内容ではありません。
国より先に、時代のほうを見ている人だからでしょう。
だから自分の側が勝つ話を、一度もしていません。
遺言でも、止められなければ相手に言付けを渡せと言っています。
自分が負けたあとのことまで、あらかじめ設計している人です。
幻の三大天と呼ばれる理由は、そこにあると読んでいます。
廉頗との刎頸の交わり
藺相如と廉頗は、親友と言える間柄でした。
ただし最初からそうだったわけではありません。史実では、藺相如の出世を歴戦の勇将である廉頗がよく思っていませんでした。
そこで藺相如は、廉頗を怯えて避けるふりをします。
2人が衝突すれば、趙の内側が割れるからです。自分が恥をかいてでも、国の形を保つほうを選びました。
その理由を知った廉頗は、心を打たれて頭を下げます。
藺相如は「貴方がいてこその趙国です」と許しました。そして廉頗は「貴方になら首を刎ねられても悔いはない」と誓います。
藺相如も「将軍のためならば喜んで首を差し出しましょう」と応えました。
これが刎頸の交わりです。武の廉頗と外交の藺相如が並んでいる間、秦は趙に手出しできなかったと言われています。
長平の戦いを止めようとした
藺相如が病に倒れ、廉頗も老いた頃、恵文王から孝成王の代に変わりました。
そこで起きたのが、作中でも言及される長平の戦いです。秦の策により、趙軍の総大将が廉頗から趙括に替えられようとしていました。
藺相如は病身を押して参内します。
趙括は名将だった趙奢の書をよく読んでいるだけに過ぎない、という諫言でした。実戦はその時々に合わせて変えなければならないのに、それを知らないという指摘です。
この進言は、聞き入れられませんでした。
そして藺相如は、この頃に病死します。作中で「健在であれば」と言われるのは、この一件が念頭にあるからでしょう。
まとめ
藺相如(りんしょうじょ)は、廉頗・趙奢と並ぶ趙三大天の一人です。作中ではすでに故人で、回想でしか姿を見られません。
実力の絶頂で病に倒れたため、幻の三大天と呼ばれています。
史実では武人ではなく外交官でした。和氏の璧の交渉で言った「璧を完うして帰ります」が、完璧という言葉の語源になっています。
紀元前279年の黽池の会では、秦王に缻を叩かせて対等の儀礼を守らせました。廉頗とは刎頸の交わりを結び、2人が並ぶ間は秦も趙に手出しできません。
作中では、藺家十傑がその武を担っていました。
藺相如の評価は、どこを見るかで変わります。刀を抜かずに国を守った外交の腕を取るか、40年後まで届いた遺言の先見を取るかで、印象が変わってきます。
僕はこう読む
藺相如の描かれ方で感心するのは、勝った場面が1つも無いことです。
璧は取り返しただけ、黽池の会は同じことをやり返しただけでした。
長平の戦いに至っては、諫めて聞き入れられずに死んでいます。
それでも中華統一を誰より早く見通していたのがこの人でした。
勝敗の外側に立っているから、時代のほうが見えたのでしょう。
三大天なのに、一度も戦って見せていません。
それが逆に藺相如という大将軍の格を決めていると読んでいます。
だから藺相如の評価は、外交の腕と遺言の先見のどちらで読むかで割れます。刀を抜かずに国を守った外交の腕を取るか、40年後まで届いた遺言の先見を取るかです。
——あなたは、藺相如の見どころは刀を抜かずに国を守った外交の腕だと思いますか。それとも、40年後の朱海平原まで届いた遺言の先見のほうだと思いますか。よければコメントで、あなたの読み方を聞かせてください。
よくある質問
キングダムの藺相如について、よく出てくる疑問をまとめました。
Q. 藺相如の読み方を教えてください。
A. 「りん しょうじょ」です。廉頗・趙奢と並ぶ趙三大天の一人になります。
Q. 藺相如は実在した人物ですか。
A. 実在します。『史記』に「廉頗藺相如列伝」があり、生没年は不詳です。
Q. 完璧という言葉と関係があるのですか。
A. あります。和氏の璧の交渉で言った「璧を完うして帰ります」が語源です。
Q. 藺家十傑とは何ですか。
A. 藺相如直下の10人の将です。武を持たない藺相如の「武」を担っていました。
Q. 尭雲と趙峩龍はなぜ生き残ったのですか。
A. 藺相如に「まだ役割が残っている。絶対に後を追ってはならん」と言われたからです。
Q. 廉頗との関係はどうでしたか。
A. 刎頸の交わりです。互いに首を刎ねられても悔いはないと誓い合った仲でした。
藺相如の遺言が、趙三大天の未来をどう変えるかに注目したくなります
信を叱る拳骨土門将軍は死亡したのか?蒙驁軍の歴戦の将で、栄備と八千の中央軍を率いました!山陽の戦いで見せた土門の檄と、信への拳骨が印象に残ります。
三大天の変遷趙三大天の驚愕の強さ!新旧メンバーの意外な秘密とは?李牧が筆頭に立ち、廉頗が逆賊として趙を去った経緯に触れています。
堯雲の予知夢尭雲(ぎょううん)の強さの秘密!廉頗を超える?王賁が勝てない理由とは?王賁を圧倒した尭雲の夢は、李牧の死まで予知していたのか?
この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月18日


コメントを残す