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【キングダム】楽乗(がくじょう)とは何者か?18巻で廉頗に敗れた趙の大将軍で、楽毅の一族!

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楽乗(がくじょう)とは何者か?

結論から言うと、楽乗は趙で廉頗に次ぐと言われた大将軍です。18巻で廉頗の討伐を命じられ、同じ趙の廉頗に敗れました。

楽乗は、燕の軍神と呼ばれた楽毅と同じ一族の出です。作中での出番は一つの戦いだけですが、その戦いは三大天・廉頗が趙を捨てて魏へ去るきっかけになりました。この記事では、楽乗が描かれる巻と場面、廉頗との問答、楽毅とのつながり、史実の楽乗がどんな将だったかまでを順に見ていきます。

この記事でわかること

  • 楽乗が描かれるのは何巻か
  • 廉頗と戦うことになった理由と、その結末
  • 楽乗が廉頗に問いかけた言葉の意味(カイの読み)
  • 燕の軍神・楽毅とのつながり
  • 史実の楽乗は何をした将軍か

楽乗が描かれるのは18巻

楽乗が登場するのは18巻です。秦と魏が蛇甘平原で戦ったのと同じ年、紀元前245年の出来事として、趙の中で起きた内輪の戦いが描かれます。

項目 楽乗
読み がくじょう
国 趙
立場 廉頗に次ぐ趙の大将軍。廉頗をも凌ぐと噂された
一族 燕の軍神・楽毅と同じ楽氏
登場 18巻。悼襄王の命で廉頗を討ちに出る
結末 廉頗に本陣まで踏み込まれて敗れる。廉頗は魏へ去る
史実 実在の趙の将。武襄君に封じられた

僕はこう読む

楽乗の役目は、廉頗の大きさを測る物差しだったと思っています。
趙の二番手が、兵の数で上回っても届かない。
「廉頗をも凌ぐ」と噂された男を置いたから、その噂ごと廉頗が踏み越えていける。
山陽で秦の前に現れる廉頗の格は、この一戦で先に決められていたのだと読んでいます。

楽乗はなぜ廉頗と戦ったのか

始まりは、趙の王が代わったことでした。孝成王が亡くなり、悼襄王が即位します。悼襄王は太子のころから素行が悪く、廉頗にたびたび諌められていたことを恨んでいました。

王になった悼襄王は、魏を攻めていた廉頗に大将の座を取り上げると言い渡します。廉頗がこれを拒むと、悼襄王は廉頗を逆賊として討つよう命じました。その討伐軍を率いることになったのが、趙の二番手の大将軍・楽乗でした。楽乗は5万の兵を預けられ、長く同じ国の旗の下で戦ってきた廉頗と向き合います。

楽乗は、すぐには攻めかかりませんでした。「理不尽とは思いますが命令であり」と、廉頗の扱いが筋の通らないものだと認めたうえで、王への詫びを勧めています。廉頗がそれを断ると、楽乗は迷いを捨てて戦に入りました。

廉頗との戦いの結末

楽乗は、同じ趙の将として廉頗の戦い方をよく知っていました。兵の数でも上回っています。それでも廉頗は、楽乗の読みの外から本陣に踏み込みました。気づいたときには、楽乗は廉頗に刃を突きつけられていました。

敗れた楽乗は、廉頗が国を捨てるつもりだと知り、「そんなに軽かったのですか!?趙国への思いは!」と問いただします。廉頗は即座に「戦への思いの方がはるかに重い!」と返し、「戦が廉頗の全てだ!」と言い切りました。

廉頗は楽乗を討たず、そのまま魏へ去ります。この亡命があったから、のちの山陽の戦いで、廉頗は魏の将として秦の前に立つことになりました。趙の三大天だった廉頗が他国の旗を掲げる流れは、ここから始まっています。

僕はこう読む

楽乗の問いは、趙の将として当たり前の問いです。
国に仕え、王の命で動く。その物差しで見れば、廉頗は裏切り者になります。
ところが廉頗は、物差しそのものが違うと答えた。
楽乗が負けたのは戦ではなく、将とは何かという考え方の広さだったのだと思っています。

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楽乗と楽毅のつながり

楽乗は、燕の大将軍・楽毅と同じ楽氏の一族です。楽毅は、滅びかけた燕を立て直し、合従軍を率いて斉をあと二城まで追い詰めた将で、のちの時代の諸葛孔明が手本にしたと言われるほどの名将でした。

作中で楽乗が「廉頗をも凌ぐ」と噂されるのは、この血筋があってこそです。史実でも、楽乗は楽毅の子・楽間と同じ一族として記録されています。

僕はこう読む

軍神の一族に生まれ、国の二番手まで上がった。
それでも楽乗は、趙という国の枠の中で強かった将です。
廉頗は国の枠ごと外へ出ていき、楽毅もまた国を移って名を残した。
同じ楽氏でも、楽乗だけが最後まで趙に留まった側だったと思っています。

史実の楽乗はどんな将軍だったのか

楽乗は、趙の恵文王・孝成王・悼襄王の三代に仕えた実在の将軍です。記録に残る事績を並べます。

  • 紀元前270年、秦が閼与を攻めたとき、廉頗とともに救援は難しいと答える
  • 紀元前256年、慶舎とともに秦の信梁の軍を破る
  • 紀元前251年、燕の卿秦が率いる軍を代で破る
  • 紀元前250年、武襄君に封じられる
  • 紀元前249年、仮の宰相となって燕を攻める
  • 紀元前245年、廉頗の後任を命じられ、廉頗に攻められて敗れ、逃げる

紀元前256年に一緒に秦軍を破った慶舎は、のちに黒羊丘で飛信隊とぶつかる趙の将です。

史実では、廉頗に敗れたあとの楽乗の行方は書かれていません。キングダムでも、楽乗が死ぬ場面は描かれていません。

まとめ|楽乗は廉頗に敗れ、廉頗を魏へ送り出した趙の大将軍

楽乗は、廉頗に次ぐと言われた趙の大将軍です。18巻で悼襄王の命を受けて廉頗を討ちに出て、本陣まで踏み込まれて敗れました。

押さえておきたい事実を並べます。

  • 登場は18巻。紀元前245年の、趙の中での戦い
  • 悼襄王に廉頗討伐を命じられ、5万の兵で向き合った
  • 廉頗に本陣へ踏み込まれて敗れ、廉頗は魏へ去った
  • 燕の軍神・楽毅と同じ楽氏の一族
  • 史実でも実在し、慶舎と秦軍を破り、武襄君に封じられた

僕はこう読む

楽乗は負け役ですが、読み返すと損な役ではありません。
理不尽だと分かったうえで命令に従い、まず言葉で止めようとした将です。
廉頗の大きさは、楽乗のまっとうさを背景にして初めて見えてくるのだと僕は読んでいます。

楽乗を王の命に従った忠臣と見るか、廉頗の器を映すための鏡と見るかで、18巻のこの一戦の読み方はずいぶん変わります。

——あなたは楽乗を、国に尽くしたまっとうな将だと思いますか。それとも、廉頗の器を見せるために置かれた将だと思いますか。よければコメントで、どちらに近いか教えてください。

よくある質問

楽乗は18巻の一戦にしか出てこないので、楽毅との関係やその後を確かめに来る人が多い将です。短く答えます。

Q. 楽乗は何巻に出てきますか?
A. 18巻です。悼襄王の命で廉頗を討ちに出て、敗れる場面が描かれます。

Q. 楽乗と楽毅はどういう関係ですか?
A. 同じ楽氏の一族です。楽毅は燕の軍神と呼ばれた大将軍で、史実でも楽乗は楽毅の子・楽間と同じ一族として記録されています。

Q. 楽乗は死亡しましたか?
A. 死ぬ場面は描かれていません。廉頗は楽乗を討たずに魏へ去っています。史実でも、敗れて逃げたあとの記録はありません。

Q. 楽乗は史実に実在しますか?
A. 実在します。趙の三代の王に仕え、紀元前256年に慶舎とともに秦軍を破り、紀元前250年に武襄君に封じられました。

Q. 楽乗はどれくらい強いのですか?
A. 作中では廉頗に次ぐ趙の大将軍で、廉頗をも凌ぐと噂されていました。ただし実際の一戦では、兵の数で上回りながら廉頗に本陣まで踏み込まれています。

この記事の続きに

楽乗は廉頗を魏へ亡命させた将です。趙三大天や藺相如、尭雲も置きました。

趙の三大天趙三大天は誰なのか?旧は廉頗・藺相如・趙奢の3人、新は李牧と龐煖の2人です!対した相手の廉頗と趙三大天です。
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この記事を書いた人:カイ。読み終わったあとの「なんでここ、こう描いたんだろう」を、一人で考えています。→ 運営者情報
最終更新:2026年9月26日

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