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【ゴールデンカムイ】永倉新八が「たぬきジジイ」??ギャップの激しさに圧倒される!?

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この記事を読むとわかること

  • 土方歳三と再会し、永倉の物語が始まる
  • 永倉は新撰組屈指の剣豪で最強説もある
  • 永倉は戦闘で凄まじい殺気と剣捌きを見せる

本記事ではゴールデンカムイに登場する永倉新八についてまとめていきます。

永倉新八は新選組幹部として実在した人物であり、ゴールデンカムイでは土方歳三が生きていたという設定のためいわゆるifの永倉です。

しかし永倉が金塊争奪戦に参戦していたらこうだったろうな~とワクワクさせる立ち振る舞いをしており、「剣豪」から「たぬきジジイ」まで幅広い魅力を放っているのです。

それではゴールデンカムイにおける永倉新八というキャラクターの活躍と魅力を、史実も簡単に併せながらご紹介していきます!

 

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【ゴールデンカムイ】永倉新八のプロフィールや性格は??

永倉新八(ながくらしんぱち)は土方一派のひとりで初登場は3巻20話。

ハゲ頭と白髭が特徴の小柄な老翁です。

言わずと知れた新選組二番隊組長であり、つまりは土方歳三と同じく実在した人物でビジュアルは本人に寄せて描かれています。

物語開始の1907年時点で恐らく68歳くらい。(1839年5月23日生まれ)

鳥羽伏見の戦いを最後に新撰組と袂を分かち松前に帰参、そして結婚を経て松前→小樽と移り1882年からは樺戸集治監の剣術師範を務めていました。

この樺戸集治監にて偶然、死んだはずの土方歳三と再会したことから、ゴールデンカムイにおける永倉新八の物語が始まりました。

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永倉新八の目的

永倉の金塊争奪戦での目的は、かつての恩に報いるため土方の大志達成を支えること

基本的には武器やアジトの提供など金銭面での補助や情報収集といったサポートをしていますが、場合によっては自ら剣を取り戦闘に参加することもあります。

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永倉新八の性格

性格は基本的には穏やかで優しい常識人です。

しかし土方曰く若い頃は気性が荒かったらしく、老いた今でも軽口を叩かれれば「舐めた口利いてるとぶった斬る」などとただならぬ殺気を漲らせます

キレ味抜群の毒舌家でもあり、特に石川啄木には「クズ」「転んで背中打って死ね」「クソの塊みたいな野郎」などとかなり厳しめです。

 

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【ゴールデンカムイ】永倉新八は新撰組最強剣士!!その実力は??

永倉新八は新撰組屈指の剣豪

新撰組と言えば最強剣士は誰だ!?なんて議論がよくされていますが、もれなく上位に挙げられるのが沖田総司、斎藤一、そして永倉新八です。

それぞれ活躍や逸話が多く明確な順位付けは未だにされていませんが、中でも永倉新八が最強だったとする説が多いんですよね。

新選組隊士であった阿部十郎が後年に「一に永倉、二に沖田、三に斎藤」と語ったことからも、剣術においての永倉最強説は最も有力と言えそうです。

そんな永倉の得意技は、下段の構えから上へ敵の剣を擦り上げながら下へ斬り落とす「龍飛剣」というものだったそうで、作中でも30巻298話のvs鯉登にてそれらしい剣技を披露していてとてもかっこいいです。

 

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【ゴールデンカムイ】永倉新八と土方歳三!!樺戸集治監で偶然の再会??

ゴールデンカムイの永倉新八が史実と運命を違えたのは、箱館戦争で戦死したとされる土方歳三が実は生きていたというifの背景により、務めていた樺戸集治監で偶然土方と再会したからです。

永倉はそこで初めて土方が落ち延び、犬童典獄によって幽閉されていたことを知りました

看守の計らいによって土方と面会を果たすと、「近藤さんと対立しても新撰組に尽くしたのはあなたがいたからだ」という土方に対する恩義を語った永倉。

袂を分かつことになった原因(喧嘩別れ)についても「あんた達の最後の思いやりではなかったのかと自問自答する夜を多く過ごした」と語るなど、再会しなければ一生伝えられることのなかった様々な想いを土方にぶつけたのでした。

そしてその数年後に土方が網走監獄から脱獄すると永倉は、再び同志として土方の旅に同行するようになります。

初めは土方に「死に場所が欲しいのでは」と問うていた永倉でしたが、与えられた命でまだまだ走り続けようとしている土方に感化され、彼への恩義に報いるために尽力していくのでした。

 

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【ゴールデンカムイ】永倉新八が茨戸で見せた大立ち回りにシビれる!!

ゴールデンカムイの永倉が「あの永倉新八だ」と感じさせられ、心震わされたのが6巻茨戸での戦闘です。

刺青人皮を巡り馬吉と茨戸の警官たちに囲まれた永倉は、近くにあった剣を取りました。

すると「一度この永倉新八に火をつけたら、全員の返り血を浴びないと鎮火せんぞ」と凄まじい殺気を放出

そして恐るべき気迫と剣捌きであっという間に5人を斬り捨ててみせたのでした。

ゴールデンカムイで登場したのは老年の永倉ですが、その気迫と剣の鋭さは紛れもなく永倉新八だと感じさせられます。

同じ茨戸編で土方が残した「この時代に老いぼれを見たら“生き残り”と思え」という名言も裏付ける圧巻の立ち回りでした。

 

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【ゴールデンカムイ】永倉新八が五稜郭にて豹変!!隠されていた狂気とは??

永倉の老獪な立ち回りにも注目です。

函館・五稜郭で行われた金塊争奪戦最終決戦は、五稜郭で待ち構える杉元土方一行に対する海軍の艦砲射撃から始まりました。

すると永倉はなんと単身で鶴見の元へ行き、「金塊は無かった。代わりに権利書があった」と言ってしまったのです。

金塊は無かったというのは嘘ですが、権利書があったというのは事実。

権利書という切り札を出してまで永倉が訴えたのは、「権利書と引き換えに皆の命を保証してほしい」ということでした。

永倉は「土方は新選組の副長として死に場所を探しているだけ。必ず説得してくる」と話し、鶴見に対して土下座までしたのでした。

ところが鶴見は、権利書を盾に艦砲射撃を牽制した上で五稜郭に戻って土方と一緒に戦うつもりなのだろうと疑います

しかしそれがまさしく永倉の真意でした。

「たぬきジジイが」と罵られた永倉は悪~い顔でニヤリ。

鶴見に「どこまで本当かもわかったかね」と翻弄し、艦砲射撃を躊躇させる種をまいたのでした。

しかもその後永倉は、近くにあった石などを使い徒手で立ち回って兵士たちを倒し、鶴見の元から逃げきってみせます

戦術面での機転も戦闘面での機転も魅せた、剣術だけではない永倉の凄みが詰まっていました。

その後門倉たちと合流した永倉は「今度は最後まで付き合いたい」と、かつて為し得なかった想いを胸に土方の元へ向かったのでした。

 

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【ゴールデンカムイ】永倉新八は史実ではどんな晩年を過ごしていた??

ゴールデンカムイで登場した頃の史実での永倉は、小樽にて晩年を過ごしていました。

映画を好み、若くして亡くなった近藤や土方を想いながら、生きながらえたおかげで文明の進化に触れられたと感慨深く思っていたようです。

1909年にはすでに70歳にもかかわらず東北帝国大学農家大学(現・北海道大学)で剣道部の指導をしています。

また、新選組の数少ない生き残りとして新撰組の功績を広める活動に努めたり、新選組時代に負った傷を『七ケ所手負場所顕ス』として書き留めたりしていたそう。

この辺はゴールデンカムイ最終回に「大学生相手に剣道を教えたり、新選組の手記を残したり」と反映されています。

そして史実での永倉は1915年(大正4年)に小樽で亡くなりました。

死因は虫歯を原因とした骨膜炎と敗血症だったそうです。

 

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まとめ

ゴールデンカムイの永倉新八は史実が概ね反映されている人物。

晩年まで剣に生きた永倉ですが、『七ケ所手負場所顕ス』を記すなどやはり新撰組時代が一番光り輝く思い出だったことが感じられますので、ゴールデンカムイの永倉は土方との再会によりその滾りを取り戻した剣豪というイメージではないでしょうか。

五稜郭で鶴見が放った言葉がそれを表していると思います。

「永倉新八こそ最後に喧嘩がしたくて疼いている頭のいかれた新選組の生き残り」

ゴールデンカムイの永倉は強烈な毒舌家だったりどことなく可愛らしかったりする一方で、剣をもっと読者も震えるほどの気迫を纏うなど幅広い魅力的を持つキャラクターですが、史実に残されているたくさんの永倉のエピソードと照らし合わせると強さや性格や想いもより深く感じることが出来ますので、知れば知るほど好きになるはずです!

 

読者の皆さまがこの後に読んでいる記事はこちらです。

⇒函館五稜郭編!!永倉最後の戦い!!たぬきジジイの本領発揮・・

⇒函館五稜郭編!!土方に託されたウイルクの願い!!アイヌの・・

⇒函館五稜郭編!!鯉登VS永倉!!・・

⇒函館五稜郭編!!鶴見は永倉の揺動にどう反応した??・・

⇒石川啄木が永倉に言われたセリフに笑いが止まらない!!・・

 

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